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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(72)

 

「しっかしまあ……よくやられたわね」

 坂下は感心したように言った。皮肉を言ったわけではない。むしろ、ある意味敬意を払ったと言っていい。

「はい、見事にやられました」

「……まあ、いいけど」

 少し中谷の答え方がおかしかったが、坂下は気にしないことにした。試合の後、しかもKOされるようなダメージを受けた後では、どんな人間でも意味不明なことを言っていたりするのだ。珍しいことではない。

 それよりも、坂下は中谷を褒めてやりたかった。

「ほんと、よくがんばったよ。あれだけやられても、立とうとしたんだからね」

「だが、結局、立てなかった」

 自分の後輩がよくやったことを、素直に褒めない寺町。

「すみません、部長」

「だから、主将と呼べ。中谷、お前の実力なら、あの藤田という男に勝ってもおかしくなった。相手も強いが、俺は中谷の方が強いと思っている。負けた今でもだ」

 それには嘘はない。寺町は、無意味に、もちろんそういうときも多々あるのが、このバカな男の問題な部分だが、中谷にKOをしろと言ったり、無理を言ったりしているわけではないのだ。

「……」

 中谷はうなだれて返事を返せない。負けたのは確かだし、実力も、そう差があったわけではないのだ。負けてしまったのは、自分のミスなのだ。

「また、修行しなおしだな」

「はい……」

 しかし、中谷は、寺町のまたおかしな発言に、素直に答えた。別に本当に修行するわけではないだろうから、きっとダメージが抜けきっていなくて、意識が朦朧としているのだろう。

「寺町、あんた、もう少し有能な後輩は褒めるべきだよ」

 人をほとんど褒めない坂下が言うと、あまり説得力がないが、坂下はすごいと思ったものはすごいと言う。坂下にすごいと思わせるものがそうないから言わないだけだ。

 葵や、綾香、浩之、バカの寺町、すごいと思えば、強いと思えば、それを坂下は認める。一番認めたくない綾香だって、くやしいが認めているのだ。

「もちろん、俺が中谷の実力を一番評価してます。だからこそ、負けたのが許せないんですよ」

 驚異的なスピード、針を通す打撃精度、そういうものを持ちながら、中谷は地区大会で消えてしまった。寺町には、それが惜しくて仕方ないのだ。

「……でも、もし、藤田に勝っても、次は寺町と戦うんだったんだろ?」

「俺に負けても、三位決定戦に勝てば、決勝大会に出れるんでしたよね」

 このバカでも、その程度のことは考えていたようだ。もっとも、中谷が口をすっぱくして教えたせいではあると思うが。

「……で、中谷は、藤田と戦って、どうだった?」

「どうだったというのはどういう意味でですか?」

 いつもよりも中谷の口数が少ない。心ここにあらずと言った様子だ。もっとも、立てないぐらいのダメージを受けた後だ。今はしゃべるのもおっくうなはずだ。

「面白かった?」

「はい」

 中谷は、すっきりした顔で答えた。

「ほう……」

 寺町が、少し目をみはる。率直に言えば、驚いたのだ。

「痛かったですし、藤田さんは強いので、私も手加減はできませんでした。相手に殴られるのも嫌ですが、相手を殴るのも僕は嫌いです。でも、今回だけは、面白かったです」

「それが、格闘技ってもんよ。暴力の拳とは違う、誰かと競い合うための拳」

「……はい」

 いいことだ。中谷は、あまり試合を楽しんでいなかった。だから、前に部活に来たときも試合は遠慮していた感があったのだ。

 しかし、実力的に同じ、いや、自分よりも低いかもしれないが、才能ととっさの動きで自分を追い詰めてくる相手と対峙して思ったのだろう。

 戦うことは、楽しい。

 自分が一番強いと証明しないと気がすまない人間や、賞金目当ての選手、それしか才能がなかった変人、相手を殴ることで興奮するサディスト、やられることに満足するマゾヒスト、そんなものが混在している、一般からきっと大きくかけ離れた場所、エクストリーム。

 こんなものができるのは、結局、それを見て楽しむ者と、それをやって楽しむ者がいなければ成り立たない。

 格闘技、そして、試合は楽しいのだ。そういうおかしな趣味を持った者が、ここに集まっている。そして、参加していないくとも、坂下もその一人。

 そして、その魅力、中谷は、浩之との戦いで知ったろう。それは、つまり……

 どっかのバカと同じ道をたどったりする可能性が出てきたということだ。

 少なくとも、今の中谷の瞳に宿る光は、確実に、寺町が持っているものと同等のものだ。それを普通、人は「バカ」と呼ぶのだ。

 ……かわいそうに、きっと、近くにいるとうつるんだろう。

 しかも、その瞳の光が、寺町と酷似していたので、坂下はさらにかわいそうになってきた。きっと、まともな人生は送ることができないだろう、と。

「今回は負けたしたけど……もっと練習して、もう一度、藤田さんに挑みたいと思います」

「ま、まあ、いいと思うけど……」

 今度は葵に似ている。実は、格闘家にはあんまり多くのタイプはないのでは、と坂下は勘ぐった。

 願うならば、少なくとも寺町のタイプにはなりたくないものだ。人間として。

 それに、坂下は非常に嫌な予感がしていた。

 通常、寺町はバカだ。これは、誰に聞いても、きっと寺町を好きな女の子に聞いてさえ、同じ答えが返ってくるだろう。

 そんなバカな寺町が何とか社会生活を送れるのは、かなりまわりの人間のフォローがあるからだ。バカで裏表がないせいか、人望はあるのだ。

 そのまわりの常識人の筆頭のような中谷が、気の迷いで常識を逸脱してしまったとしよう。するとどうなるか?

「さて、次は俺の試合か。中谷にこれだけ言った以上、勝ってくる」

「部長のことはは心配してませんよ。次もKOですか?」

「もちろんだ、俺がKO以外で勝ち負けを認めると思うか?」

 そのバカが野に放たれるのである。これは、危険だ。坂下としては、他人のふりをして全力で後ろを向いて逃げたい状況だ。

「それに、こんなところで負けるわけにはいかなくなったしな」

 見に来いとも言わずに、寺町は立ち上がった。

「藤田……だったかな」

 珍しく、寺町は相手の名前を覚えていた。もちろん、寺町もすぐに人間の名前を覚える瞬間がある。

 戦ってみたい相手の名前は、何故かこのバカはすぐ覚えるのだ。

「戦ってみたいな。中谷を倒した実力を、存分に出して欲しいものだ」

 ついでに、ご愁傷様。

 どっちが勝つかは置いておいて、坂下は浩之に同情した。

 この男に目をつけられると、ろくなことはないのだ。これは、もう絶対に間違いない。

 

続く

 

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