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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(73)

 

 浩之は、ふらつきながらも試合場に来ていた。寝たのはほんの20分程度ではあったが、それでもかなり回復できた。

 それでも、綾香に肩を借りないとどうしよもない状態ではあったが、今は無理して肩を借りてはいない。歩く程度なら、何とかできる状態だ。

 まだ、浩之の試合までかなり時間がある。そのままゆっくり寝ておくことも考えたが、見ておかねばならない人間が一人いるのだ。

 試合場は、やはりざわついている。

 今から試合を始めるのは、もうこの大会では注目株なのだ。

 優勝候補であったボクシングの四ツ木正吾選手を、ただ一刀の正拳突きでKOしてのけた男。しかも、その正拳突きは、かの有名な鬼の拳、北条鬼一の、まさにその鬼の拳にそっくりだったのだ。

 確かに、北条鬼一の有名な鬼の拳を真似る選手は、中にはいるだろうが、あそこまでの威力を見せ付ける選手はいない。北条鬼一の息子、北条桃矢でさえ、単なるフェイントにしか使えなかった技なのだ。

 地区大会優勝がほとんど確定と思われていた北条桃矢が、一回戦で見せた失態、相手が修治だったのだから仕方ないのだが、そのせいで、このバカが、優勝候補になってしまったのだ。

 むろん、それでも相手選手は負ける気はないだろうが。

 まわりのざわつきには興味がないのか、寺町は余裕の表情で試合場で柔軟をしている。

 しかし、寺町を知っている人間は、それを余裕の表情とは思わなかった。

 ものすごく、楽しそうな顔をしているのだ。

 すぐに相手選手も試合場に来る。

「あ、皆さん、来ましたか」

 まだ浩之と同じく、ダメージでふらついている中谷が、浩之達に気付いて話しかけてくる。

 さっきの今負けた相手に、非常に屈託のない笑顔で話しかけてくるあたり、中谷の性格がうかがえる。

「……大丈夫なのか?」

 浩之は、自分のことを棚にあげて置いて聞いた。自分がKOしたのだが、KOされなかった浩之だって、かなり厳しいのだ。次の対戦相手であるから見ておこうとして来てはいるが、足元がおぼつかない。

「まあ、何とか。もちろん、あまり大丈夫じゃないですけど、僕はもう試合はありませんから」

 他意はない。さっき負けた相手に親しく話しかけてくることからも、それは容易に想像できる。

「それより、藤田さんは大丈夫なんですか? やった本人が言うのは何ですが、甘い打撃ではなかったと思うんですが」

 クリーンヒットも何度かあるし、細々した打撃も、数が集まれば、かなり浩之の体力を消耗させているはずだ。

「ん、とりあえず、寺町の試合は見ておかないとな」

 ダメージが抜けているとは答えなかった。正直次の試合まで寝ていたいのは確かだし、中谷本人が言うように、甘い打撃ではなかったのだ。

「そうですか。多分、藤田さんの次の相手は部長になると思いますし、損ではないと思いますよ」

「疑ってないのね」

 中谷は、寺町の勝利を信じて疑っていないようだ。

「もちろんですよ。うちの部長は、性格に関しては僕からは何も言えませんが、こと格闘技に関しては確かな人ですから」

 しかし、それは決してひいき目から来るものではないのだろう。浩之もそうだと思っている。

 寺町は、むやみやたらに強いのだ。次の対戦相手の試合は見ていなかったが、おそらく負けることはない。

 いや、ほぼ間違いなく、KOで寺町が勝つ。

「……でも、坂下には負けたんだよな」

 恐ろしい話である。あの寺町を、格闘技で手玉に取る女がこの世界にはいるのだ。

「それは……何と言うか、僕からはあまり大きなことでは言えませんが、坂下さんはちょっと反則なほど強いので」

「悪かったわね、反則で」

 坂下はむすっとしながら中谷を睨んだ。

「でも、それでも私を倒した人間がここには二人いるんだけど、そいつらはどうなるんだい?」

「……」

「……」

 推して知るべし、男二人の気持ち。

「あ、試合始まるみたいですよ」

「そ、そうみたいだな」

 男二人は話をそらした。ここにいる女の子達に、自分達が勝てないのを、各自自覚しているからだ。

「両者、位置について」

 審判が合図をすると、寺町と、相手選手は試合位置についた。しかし、顔を笑みが消えていない。その姿はむしろ不気味だが、寺町の実力を恐れる選手達には、不適な笑みと取れたろう。

「レディー」

 寺町が、右拳を上に構える。

「ファイトッ!」

 会場の注目が、今始まった試合場に集まる。

 寺町は、いつもの空手着に、そしていつもの、右拳が異常に高い位置で構えられた構えだ。右脇がほとんど無防備状態ではあるが、それが寺町の基本の構えであるし、その右脇腹に打撃を叩き込むためには、一度は寺町の、その右拳を避けなくてはならないのだ。

 片や、対戦相手の方は、レスリングスタイルで、腰の構えも低い。完璧にタックル狙いのように見える。

「一応、一番苦手な相手みたいだけど?」

「そうですね、部長のスタイルから言うと、一番やっかいな格闘スタイルです」

 寺町の打撃は高い。もとより、上からの打ち下ろしの正拳が主武器であるし、打撃はほとんど上しか狙わない。

 それは、坂下から言わせればまだまだの状態で、打ち下ろしの正拳突きは凄いと感心したが、その打撃の総合力で坂下は勝った。

 その打撃の総合力というものは、こういう組み技系の相手だった場合には、より顕著に出る。

 どの体勢からも、打撃を狙った場所に打てるというのは、組み技系の相手にも十分な効果を得ることができるのだ。例えば、坂下がやってみせたようなタックル殺しも、空手という格闘技ならばこそという話もあるが、坂下の打撃の総合力に因る所が大きい。

 対戦相手も、それを読んだ、というわけではないだろうが、こういう威力の高い打撃を持つ相手ならば、下からもぐりこんだ方が有利と考えてもおかしくない。

 もっとも、打撃では相手にならないので、結果組み技に固執するしかなかったという可能性も否定はできないが。

「まずは、様子見ってところ……」

 と浩之が言いかけたところで、それをまったく根底から覆すように、寺町は距離を相手との縮めようとしていた。

 というか、さすがに無用心すぎやせんか?

 一試合目の、わかっているのかわかってないのかはさっぱりわからないが、慎重で大胆な試合運びとはうって変わって、何の変哲もなく、ただ距離を縮めようとする動き。

 あんな適当でいいのかよ?

 浩之の心配を他所に、寺町は、右拳を握り締め、振り下ろしていた。

 

続く

 

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