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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(74)

 

 何のフェイントをかけるわけでもなく、ただ真正面から不用意に近寄って、寺町は拳を振り下ろした。

 それこそ、不用意すぎだ。踏み込みもまったく速くないし、それどころか、拳も遅い。

 ブンッ!

 寺町の右拳は、空を切る。

 ほれ見ろ、いわんこっちゃない。

 あくまで、寺町の振り下ろしの正拳が強いのは、寺町自身が絶対の自信を持つほどの威力とスピードにある。それがあるからこそ、いかにあの打ち下ろしの正拳が狙い易くとも、相手は手を突っ込めないのだ。

 だが、今回の寺町の動きは、むしろ遅い。浩之でも十分捉えることのできるスピードだ。

 そんな不用意に攻撃をすれば、反撃を受けるのは目に見えてる。

 しかし、対戦相手の方は、ただその寺町の動きに合わせて逃げただけだった。

「ん? 反撃のチャンスだったんじゃないのか?」

「……あああからさますぎると、経験豊富な選手なら手を出さないよ」

 坂下は浩之の意見よりも、対戦相手の取った行動を評価した。

「寺町のやつ、いっちょ前に相手を誘ってるんだよ。打ち下ろしの正拳突きに隙があるのは確か、でも、それも全力で打ってるからに他ならない。寺町は余裕を持って相手に反撃できるよ」

 確かに、寺町が一度使った打ち下ろしの正拳とは、スピードもそうだが、迫力が違った。まったく別の技、と考えるのが正しそうだ。

「あんなのに手を突っ込んだら、色々反撃を受けるのは目に見えてる。私が保障するけど、寺町ってのは基本はしっかりしているよ。あの正拳突きがなくても、藤田なら十分相手にできるんじゃないのか?」

「……それって、次の試合に俺の勝ち目がないってことにならないか?」

 確かに勝ち目は薄い。打ち下ろしの正拳もそうだが、あのバカな顔をして、意外に試合では冷静なのだ。

 ただ冷静ならいい。だが、寺町は冷静に判断しているくせに、ギリギリの作戦を通してくる。それは寺町自身のリスクも高い、実際一試合目はほんとに少しの差だった、が、相手としてもたまったものではないのだ。

「しかし、寺町があんな消極的な作戦を取るとは思えないけどね」

 反撃に十分なスピードと威力の打ち下ろしの正拳を持っているとは言え、それを生かし切るには寺町は戦いを楽しみすぎる。

 しかし、反対に言えば、そういった待ちの状態には入らない。これは、格闘家にとっては美徳でさえある。

 待ちは、単に勝つための手段であり、本当に格闘を楽しみたい者にとっては、大して重要な作戦ではなく、むしろ邪魔なのだ。

 それなのに、寺町がそういう作戦を取っているのが、坂下には理解できない。負けてもいいから、寺町なら戦いを楽しもうとすると思っていたのだ。

「それは、ちゃんと理由があるんですよ」

 中谷は久しぶりに苦笑を復活させて笑った。それは、むしろ少しうらやましい、という感情が入っているのでは、と坂下には思えた。

「藤田さんと、全力で戦うために、今ダメージを受けるのを避けてるんですよ」

 うらやましいなら、心からかわってやりたい、と浩之なら思うだろう、とも坂下には思えた。

「……俺?」

「はい、そうですよ。僕との試合で、部長はえらく浩之さんと戦いたくなったようですから」

「……あ、ああ、光栄に思っておくよ」

 心にもないことを考えて、浩之は冷や汗をたらした。

 普通に考えてさえ、勝てる要素などほとんどない相手なのに、わざわざその相手に万全で来られたら……

 浩之の未来は、けっこう暗い。

「ほら、相手も本気出すって言ってるなら、心おきなく偵察しときなさいよ」

 綾香はえらく嬉しそうだ。まあ、浩之が苦しむのを見て喜ぶ習性を最近気付いたので、きっと綾香はサドだろう。

 ゴインッ

「何か失礼なこと考えたでしょう?」

「めっそうもない」

 殴られた後なので、浩之は心の中で確定させておいた。綾香は超のつくサドだと。

 そんな平和な観客の横で、試合場ではややゆっくりした攻防が、くりひろげられていた。

 寺町が、かなり大振りの攻撃をしている。それを、相手がただ避けるだけの試合展開だ。どちらもまったく有効打を与えていない上

に、むしろ二人に戦う意思がないのではと思ってしまう。

 注目されていた試合だけに、観客は少し飽きているようだ。もっと強烈な攻防を期待していたのだろう。

「何か、ゆっくりしてんな。このまま判定行くんじゃないのか?」

 相手が、寺町が誘っていることに気付いているのなら、反撃はしてこないはずだ。しかし、そうなれば、判定で寺町は勝てる。

 疲労よりも、やはりダメージの方が怖いのは確かだ。寺町は、一試合目でKO寸前までいっているし、それが完全に抜けているわけもない。確かに、ダメージを受けず、浩之と試合するには絶好の手である。

「というか、それだと相手の方はジリ貧じゃないのか?」

「そんなこと言っても、誘いにのってきた相手に的確に反撃できるようなレベルがごろごろころがってる訳ないから、当然じゃない?」

「はい、そんなこと、普通はできませんよ」

「……」

 綾香の言葉に葵が頷くのを見て、浩之は無言だった。

 ここには、それができる人間が、最低三人はいるだろう。むしろ、ここだけが異常状態なだけなのだろうか?

「ま、結局、寺町の相手じゃないってことよ。実力が違うわね。ほら、そろそろ相手もしびれを切らして攻撃してくるわよ」

 ジリ貧なのは重々承知であるのだろう。綾香の言葉通り、しびれを切らした大振りの大して力も入っていない右のフックをはじくと、相手は懐に飛び込んだ。

 素早い、かなり速いタックルだ。しかも寺町の右腕は弾かれている。

 ドッ!

 が、次の瞬間には対戦相手の小さくない身体は大きく後ろに弾かれていた。

「……へえ、一応、ガードできたみたいだねえ」

 坂下が少し皮肉をこめたような声で対戦相手をほめている。

「……て、おいおい……」

 浩之はうなった。うなるしかなかった。寺町の使った技は、何のことはない、膝蹴りだ。

 ただし、無駄なほど重い膝蹴り。

 相手が飛び込んできたのに合わせて自分も前に出て、膝がお腹辺りに当たったというのに、それをガードした対戦相手は、大きく後ろに飛ばされていた。

 ダメージはもちろんあるだろうが、目を見開いて、驚いているようだ。それもそうだろう、膝蹴り一発でここまで身体を弾かれた経験など、今までなかったろうから。

 あまりの凄さに、どよめきが終わらない試合場の中で。

「ほら、言ったじゃない。実力が違うって」

 綾香は、別に自慢する様子もなく、当たり前といわんばかりに、冷静だった。

 

続く

 

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