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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(75)

 

 相手を完全に封じ、かつ、隙あらば充分にKOが狙える。

 浩之の、対中谷用の変則ガードなど比ではなかった。寺町のそれは、一種の完成形だ。

 もちろん、それは寺町の実力があってこそなので、寺町の実力こそが脅威なのだが、それにしたって、いつものバカぶりとはまったくかけ離れた冷静さだ。

 結局、一ラウンド目は、寺町は相手に何もさせることなくしのいだ。いや、むしろ、相手が何とかダメージをほとんど受けずにしのいだと言った方がいいのかもしれない。

「しっかし、本当に全然相手にならねえなあ」

 浩之は、ほんの少しだけ期待していたのだ。寺町がこの試合でダメージを受けて、万全でない状態で自分と戦うのを。

 情けないと言われようとも、浩之は浩之の実力で相手に勝たなくてはいけないのだ。綾香は戦術は教えてくれても、綾香が戦ってくれるわけではない。浩之自身の実力、それが全てなのだ。

 となれば、実力で負ける相手に実力で勝てる訳がなくなる。結果、浩之は運に頼るしかなくなるのだ。

 だったら、いっそのことこの試合で寺町が負けてくれた方がいいのでは、という意見もあるが、それほど浩之は甘くは考えていない。

 格闘技の実力はともかく、試合巧者によって寺町が負けることはあると思える。所詮試合だ、ルールに則って、一番寺町の苦手とすることをすれば、それで何とかなる可能性もある。

 だが、よしんば寺町の一番苦手とする、おそらく組み技、寝技だろうが、それを誘ったとしても、そこまで持っていくだけの実力を持った選手というのは、ざらにはいないような気もするし、そんな相手に、やはり浩之は勝てる気がしない。

 何より、ただそれだけの選手に、寺町が負けるとは思えない。

 浩之の心の端には、寺町と戦いたいという気持ちがないでもなかったが、まったく勝てる気がしないのはいかんともしがたく、寺町が試合でなるべくダメージを受けるのを祈る状況になっている。

 もっとも、この状況、浩之の希望通りになることもないだろうし、ほんの少しの、浩之の危惧を現実のものとすることもなかろう。

「ぜんっぜん面白くないけどね」

 綾香は横でブーたれている。安定した、綾香から言わせれば、面白くない試合運びが許せないのだろう。

 まあ、綾香の場合は、許せないというより、暇だから何かしろというニュアンスの方が強いに決まっているのだが。

「……というか、格闘技の試合で安定しているって、かなり凄いことじゃないのか?」

「はい、格闘技は、絶対的に実力が違っていても、一回の油断でひっくり返ることも多々あります。勝負はどうしても水物ですから、そのときの体調、精神状態、運に大きく左右されます。それでも安定しているというのは……かなりの実力者、ということですね」

 葵もしきりに感心していた。葵はむしろああいう試合運びをできない方なので、もしかしたら参考になっているのかもしれない。

 セコンドには中谷と坂下がついている。寺町は中谷からドリンクを受け取るが、一口口に含んだだけだった。

 汗もかいてなければ、息もあがっていない。まったくの余裕と言ったところだ。しかし、その顔が少し飽きを感じているように見えるのは、浩之の気のせいだったのだろうか?

 寺町は、精神的には、むしろ綾香に近い。面白い戦いがしたくてしたくてたまらないのだ。だからどこでもケンカを売るような態度を取ってしまうのも納得できる。

 綾香もたいがい挑発好きだが、綾香の相手をからかうのが好きというのとは違い、寺町は純粋に戦いたいのだ。いくら次の試合のためとは言え、この試合は暇なのかもしれない。

 休憩だというのに、寺町は動きを止めない。動き足りない、と顔が言っている。

「……何か、実力よりも、あの男の場合、性格的にああいう試合運びは向いてないんじゃないのか?」

「それはあるかもね。まあ、そこまで楽しそうな相手でもないし、今回はこのまま通すんじゃない?」

「楽しそうな相手じゃないって……私から見て、相手の人も相当鍛えてきてますよ。タックルも、かなり速いように私には見えるんですけど」

 葵の意見に、浩之も賛成だった。実際、きっと浩之ならいい勝負だ。となると、寺町と浩之が試合をした場合、こういう光景が繰り返されるということになる。

 それはまずい、非常にまずい。何せ、覆す方法がまったく思いつかないのだ。これはもうこの観衆の前で恥をさらすのが決定したと言ってもいい。

「……なあ、綾香、棄権……」

「棄権して、私が生きて返すと思う?」

 はい、ごもっとも。浩之は心の中で相づちを打った。そんな半端なことをしようものなら、綾香にこっぴどく色々やられるのは間違いない。

 公衆の面前で恥をかいて、もしかしたらちょっとぐらいは怪我をするかもしれないのと、全殺し。

 浩之は、しごく当たり前に前者を選択した。というか誰が好き好んで後者を選択するものか。

 一分のインターバル後、寺町はもう飽きたと言わんばかりにやる気なさそうに試合場に立った。

 しかし、相手の方はそういうわけにはいかない。眼光鋭く、寺町を睨みつけている。実力はよくわかった、自分では勝てる相手ではないと理解したとしても、だからと言ってギブアップしたり、戦いを止めるような人間は、ここにはほとんどいない。浩之でさえ、試合が始まったら今までの弱音を、完璧に打ち捨てるのだから。

 しかし……どうするんだ?

 はっきり言って万策尽きていると浩之は思っている。実力をまだ隠しているならまだしも、そんな余裕をかましている余裕は、それこそなかったはずだ。

 全力で行って、軽くあしらわれたのだ。いくら心の方が折れなくとも、おのずと勝敗は決まってしまう。

 何でもいい、何か浩之は寺町の攻略法を知りたかった。そういう意味では、まだ相手が心を折っていないのは好都合。がむしゃらの中に、一光が射すことも十分にありうる話だ。

 一試合では、それを相手は生かし切ることができないかもしれないが、浩之は、それを生かし切る。そうでなくては、浩之はこのバカで、おまけに強い寺町に勝てる訳がないのだから。

 頼むから、あがいてくれよ。

 相手には非常に失礼なことを浩之は心の中で考えていた。それだけ浩之にも余裕がないのは確かなのだが。

「レディー」

 審判の声に、寺町は見た目適当に、相手は気合いをこめて構える。当然、寺町はいつもの左半身に、上に右腕をかまえる。例え、寺町のやる気がそがれていたとしても、その打ち下ろしの正拳の気迫は、薄まることはなかろう。

「ファイトッ!」

 寺町は、一ラウンド目と同じように、無造作に前に出る。スピードは、やはりあまり速くない。しかし、この中にたまに速いスピードを入れてみたりと、技は多彩で、変化に富む。これを捕まえるのは一苦労というか、無理だ。

 寺町の、間違いなくおとりの拳を、相手は憎憎しげにしながらも避ける。もし、次の打撃が本命であったときに、そのままでは致命傷となるからだ。

 恐ろしいのは、寺町はその速い攻撃を、ほとんど出していないということだ。このプレッシャーのかけ方は、寺町を十分試合巧者と思わせた。

 大胆で、繊細。規則正しくかと思えば、変化に富む。

 そう、打撃で戦うための、ほとんど理想ではないか。それを、寺町は体現していた。相手との実力差を考えても、それは間違いない実力としての結果だ。

 このまま放っておけば、寺町は勝つだろう。しかも、KOで。

 自分が消耗せずにKOを狙えるだけの実力差があるのだ。今はその隙をうかがっているだけで、試合を延ばそうと思う気持ちはなかろう。ただ、無理をしていないだけだ。

 相手もかわいそうに。寺町と当たったのが、運が悪かったと思ってあきらめてもらうしかなさそうだった。

「……ん?」

 浩之は、おいつめられている相手が一瞬、笑ったような気がした。

 相手は、素早く踏み込んでいた。

 

続く

 

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