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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(78)

 

「ストップッ!」

 審判のかけた言葉に、後藤勇一が顔をしかめたのが見えた。

 もう少しで仕留めることができたのに。そう表情に書いてある。

「……あの野郎、耐えやがった」

 そう、寺町は耐えたのだ。3分という、短くも長い時間を。

 そのために、無駄だと知りながらも相手のタックルを耐え、タックルで転ばされた後も何とか防御していたのだ。

 だいたい、2分以上ずっと守っていたことになる。普通の人間なら、疲労で立ちあがることもままならないだろう。

 だが、寺町は後藤勇一が自分の上からどくと、息を切らせながらも立った。おそらく、フックのダメージも抜け切ってはいないだろうにだ。

 まさに無尽蔵の体力だ。後藤勇一も、目をみはっている。

「ダメージは受けてるし、このインターバルの一分間で回復するとも思えないけど、それでも、耐えたのにはかわりないわ。案外冷静ね、あのバカ」

「はい、あそこまでのダメージを受けて負けないには、あれしかありませんでした。でも、本当に実行するなんて……」

 ダメージを受けた後、だいたいの選手は守りには入らない。玉砕覚悟で向かっていく者がほとんどだ。

 それは、ダメージの回復を相手が待ってくれることなどないことを皆よく知っているのもあるが、ダメージで正常な判断がつかなくなるからでもある。

 正常な判断がつけば、守るべきところでは守れる。勝てるかどうかはわからないが、そこで決まる可能性は格段に減るのは確かだ。

 身体を引きずるようにして、寺町はセコンドのところへ戻っていく。怪我はしていないようだし、ああいうときの処置は坂下はかなり手馴れているので、おそらくは大丈夫であろう。

「しかし……あれだけのダメージと疲労で、勝てるのか?」

「そうね……難しいわね」

「不利なのは確かだと思います。どんな手を使ったにしろ、それなりの実力者のようですし」

 例えば、これが浩之なら。

 もう、打つ手はない。さっきのような、ラッキーで当たった掌打、あれは本当にラッキーで当たったのだ、ああいうものは、そう何度もできるものではない。

 決定力に欠ける浩之には、こういうときに頼るべき技も、支えになるバックボーンもない。その分、こういうときは柔軟な作戦で対応するしかないが、その作戦がはまる可能性を考えると、あまり頼りにはならない。

 だが、寺町ならばどうだろうか?

 寺町には、れっきとした、長い練習というバックボーンがある。それに、頼るだけの、いや、こだわるだけの技もある。

 打ち下ろしの正拳。あれは一発決まればKOは間違いないだろうし、相手にかかるプレッシャーも段違いだ。

 寺町は、うまく使いさえすれば、その打ち下ろしの正拳突きで試合を組み立てられる。

 だが、それでも勝てる確率は低い。ダメージを受けている前と後では、打撃には精度も威力も別物の可能性もあるのだ。

 打ち下ろしの正拳突きは、確かに凄い打撃ではあるが、それも体勢十分だからこそとも言える。ダメージを負った、言わば手負いの状態で通常の威力が出せるかどうかはかなり怪しい。

「でも、あっちは負ける気はないようよ」

 くいっと綾香は寺町の方を親指で指差した。

 何を睨んでいるのか、寺町が怒りの形相でそこにたたずんでいた。中谷の言葉にも耳をかさず、坂下は最初からあきらめているのか、後ろの方で肩をすくめ、そして寺町は仁王立ちしたままどこかを睨んでいた。

 そう、どこかだ。その瞳にはさっき自分を反則で追い詰めた後藤勇一の姿は写っていない。ただその怒りの形相だけが、何もない虚空を睨んでいた。

 さっきの綾香の殺気に比べれば、全然かわいいものだ、とは浩之が考える程度で、当然まわりの人間はそれを見て緊張している。

「……というか、頭打っておかしくなったんじゃないのか?」

「あれ以上おかしくなりそうにない頭してたけど?」

 今日初対面だというのに、酷い言い様であるが、それ以上の殺気を持つ者と、それを直に見てきた人間としては、当然の反応だったのかもしれない。

「どっちにしろ、意欲はあるみたいね」

 ダメージを受けた怖いのは、心が折れることだ。いかに格闘技をしているような人種でも、痛みで気力が萎えるということはある。そうなってしまったら、ダメージが回復しようと、勝てる見込みはない。

 少なくとも、寺町はそういうことはなさそうだった。この場合、怒りというのは、非常に有効な特効薬だ。

 ただ、これで冷静さを欠くことになれば、それはそれで勝てなくなってしまうだろうが。

 どちらにしろ、寺町が不利なのはかわりないのだ。この不利な状況を打破するには、生半可なものでは難しい。

 しかし、そこは心配ないように思えた。

 寺町の打ち下ろしの正拳は、生半可なものではないだろうから。

「両者、位置について」

 審判の声がかかるころには、寺町の息はだいぶ落ち着いていた。腰も下ろさずに、立っていただけでもそれだけ回復しているのは、むしろ脅威と言ってよかった。

 後藤勇一の方も、目つきに油断はない。反則まで使って、当然反則負けになる危険性もあったのだから、かなりのリスクを背負っていたのは確かなのだ、それでも倒せなかった相手、油断する要素はない。

「寺町の方が不利だと俺は思うけど、どうだ?」

「そうね、戦力で言えば、それでもどっこいどっこいじゃない?」

 綾香はだいぶ寺町の実力を評価しているようだ。だが、それは葵の目から見ても同じなのか、うなづきながら言う。

「はい、寺町さんは、かなり強いです。今の状態でも、おそらく対等に戦えるでしょう」

 それだけ回復が早いということだ。一日に何試合もしなくてはいけない状況では、それはかなり有利な身体的特徴だ。

「ま、今回は全面的にあのバカの応援しとこうかな」

「そうだな」

 いくらそれしか手がなかったとは言え、反則をしてまで勝とうとする人間の味方にはつきたくないものだ。

 どちらにしろ、勝敗はこのラウンドでつく。そして、おそらくどちらも判定を狙ってはいないだろう。その目つきが物を言っている。

 審判が何を言う間でもなく、どちらとも構えを取った。寺町は、当然、あの右腕を上に構えた、独特の構えだ。

 それがはったりでないことを、この試合場の誰もが知っている。

「レディー、ファイトッ!」

 審判の声と同時に、寺町が動いた。

 

続く

 

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