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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(80)

 

 寺町のテンプル、つまりこめかみから血がはじけた。

 目じりや、紙の生え際のような血の流しやすい場所ではなかった。が、寺町は出血していた。しかも、かなりの出血だ。

 会場の注目が寺町に集まる。

「ストップ!」

 審判は、試合を止めた。それはそうだろう、出血が激しい。出血多量になるような量ではまったくないが、このまま試合を続ければ試合場が血だらけになる可能性はある。

「君、手を見せて」

 審判は、試合を止めて後藤勇一に言った。後藤勇一はその言葉に素直にしたがって手を見せる。

「……爪が少し割れているようだね。爪きりを用意してあるから、切りなさい。それと、爪は短くしておくように」

「はい」

 後藤勇一は神妙にうなづくと、用意されている爪きりで爪を切る。

 こういうことはたまにあるのだ。本戦ならば、こうなっても試合が止められることはないかもしれないが、ここはまだ予選で、試合の采配の多くは審判にまかされている。ナックル・プリンスは高校生も含まれているので、酷い出血などのときには、すぐに待ったをかけるのかもしれないが。

 審判は、他の係員から渡されたティッシュの束で傷を押さえている寺町の傷を見た。

「……深くはないようだね」

 爪がひっかかって切れた傷ならば、かなり鋭く切られているはずだ。しかし、それは怪我としては大して深い傷とは言わない。

「まだやれるかい?」

「もちろんです」

 寺町は、さも当然という風に答えた。これしきの傷で試合を止められるとは、微塵にも思っていないのだろう。

 しかし、実際はかなり微妙な傷だ。そんなに深くはないものの、ザックリと広範囲にわたって傷ができており、血がすぐに止まる様子もない。

 傷の手当てや、その上に何かをはったり包帯をまいたりすることはエクストリームでは許されているが、怪我の場所が場所だけに、応急処置では止めれない可能性もある。

 となれば、血どろみの試合をさせるわけにもいかないのだから、TKO負けは十分考えられる結果だ。

 だが、バカな寺町は、そんなことに気付くわけもなく、平然としていた。むしろ、平然としすぎていることに、審判が不振な顔をしている。

「君、本当に大丈夫かい?」

「不思議なことを聞きますね。別に出血多量になるような怪我でもないし、目には入ってこないので、視界も良好です」

 寺町にとっては、怪我などその程度のことなのかもしれない。いかに格闘技をやっている者でも、血というのは戦意を喪失してしまう可能性がある。普通の格闘家は、血にはなれていないのだ。

 さすがは夜の街にケンカ相手を探しに出るような酔狂な男だ。血など、まったく問題にしていない。

 その態度が皮肉にもよかったのだろうか。審判は言った。

「とりあえず、血止めをしなさい。2分時間を与えます」

 これも規則としてある。出血の激しい怪我の場合、2分の治療の時間を与えることがあるのだ。これは、実はテレビのせいだ。出血で試合が決まってしまうと、せっかくの注目の対決が尻切れトンボで終わってしまうのを、極力避けるためだ。それでも目のまわりの怪我はどうしようもないのだが。

 今回は、目にはかからない部分の怪我なので、許されたのだ。

「試合は続けれるようだけど、ついてないな」

 いつ目に入るかわからない場所の怪我だ。さらに出血してしまえば、おそらく試合を止められる。寺町はダメージ以上に大きなハンデを背負ってしまったのだ。

「何言ってるのよ、運じゃないわ」

「えっ?」

「わざとよ」

「そ、そうなんですか?」

 綾香の言葉に、葵も驚いている。つまり、さっきのは葵にさえわからなかったのだ。

「拳じゃなくて、親指をたてて寺町の顔をひっかいたのよ。おそらく、爪は尖らせてあったんでしょうね」

 爪を立てる、しかも顔面となれば、かなり深刻な反則だ。注意では済ませれないレベルの反則であり、一発で反則負けになるだろう。

「……しかし、それって審判が見ればわかるんじゃないのか?」

 故意に爪を尖らせていれば、審判が確認したときに気付いたはずだ。そうなれば、後藤勇一の反則負けはほぼ間違いないだろう。

「寺町の怪我にみんなの目がいった瞬間をねらって、噛んで切ったわ」

「あ……」

 審判が爪がわれているといったのは、そのせいだったのだ。後藤勇一は、故意に爪を割って、証拠を消し、いかにもわざとではないように見せかけたのだ。

「好恵あたりはもしかしたら気付いているかもね。北条のおじ様は……気付いてても止める気はさらさらないでしょうけど」

 しかし、一度ならず二度までもの反則。そろそろ浩之は許せなくなっていた。だが、反対に、綾香はえらく冷静だ。

「腹が立たないのか、綾香?」

「一回目はそれなりに、ね。でも、あそこまでやるなら……れっきとした技術よ。それに、相手に反則を許す、寺町が未熟なのよ」

 審判に止められなければ、それは反則ではない。クリーンだろうとダーティーだろうと、まずは勝たなくてはいけないのだ。敗者に語る口はない。

 反則も技術の一つ、そう言うなら、間違いなくあの後藤勇一は強い。反則技もそうだが、それをばれずに行う、そしてそれを実行する度胸と頭の回転の速さは、間違いなく強い部類のものだ。

「まあ、きっとさっきの一撃で、反則負けかTKO勝ちを狙ったんだろうから、失敗していると言えば失敗しているのかもね」

 反則は、やはり反則。決まればその威力たるや絶大なものがあるが、かわりに反則負けというリスクを背負う。下手をすれば、二度とこういう大会に出れなくなる可能性だってあるのだ。

 できることなら、使いたくはないはずだ。だが、寺町には二回も使わされた。それは、寺町が強いからであり、さらに言えば、それが成功したにも関わらず、まだ寺町を倒せていないのだ。

 正攻法での実力は間違いなく上の寺町と、ダーティーな、完璧に反則の技を使いこなす後藤勇一。

 どちらとも戦いたくない、浩之は素直に思った。だが、それでもどちらかが勝って、浩之と対戦するのだ。勘弁して欲しい話である。

「後藤勇一は、まず間違いなくもう一回反則を使ってくるわよ。今度は、ばれるのも仕方ないほど露骨に、でも仕留めれるように。でないと、今までのリスクが無駄になってしまうものね」

 こめかみの怪我は、故意ではないことになっており、ポイントには入らない。ニラウンドは押しに押していたが、1、3と押されっぱなしだ。このまま判定に持ち込んでも、結果は半々だろう。

 何より、このままこの最終ラウンドを無事に乗り切ることは、後藤勇一にとって、至難であるように浩之は思えた。

 だから、後藤勇一は反則を使うのだろう、勝つために。

 そして、寺町は正攻法で攻めるのだ、やはり勝つために。

「レディー、ファイトッ!」

 両雄は、並び立たない。

 

続く

 

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