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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(81)

 

 審判の合図があっても、寺町はすぐには動かなかった。今は少しでも時間が大切なはずである。後藤勇一は、当然KOは狙うが、最悪このまま判定に持っていってもいいとさえ思っているだろう。

 しかし、それは、ありえない。寺町は、勝つにしろ、負けるにしろ、判定でこの試合を決めることはしない。必ず、KOで決着をつけるつもりだ。

「ハァァァァァァァァ」

 寺町が、大きく息を吐いた。それは、決意の一息。次に息を吸った後に、動きを止めるときは、どちらかが、倒れているときだという決意。

 会場が息を呑む中、寺町は、拳を上に構えた。

 が、後藤勇一は寺町が次に動くまで待たなかった。

 バシイッ!

 驚くことに、最初に手を出したのは後藤勇一だった。肩から振りぬくような拳が、寺町のガードの上を強く叩いていた。

「よく考えてるわね、あれ」

 綾香は、後藤勇一の打撃をそう評価した。

 きっと、さっきの反則の爪での攻撃まで温存していたのだ。腕でこれ以上の射程を出せないことろまで腕を伸ばす。そういう打撃だ。しかも、懐に入られればそのまままきつけて相手をつかみ、後ろによけられても、最初から頭を後ろに逃がすように殴っているので、致命傷は避けれる。

 自分の戦い方をよく熟知し、考えて、そして何度も練習してものにした打撃なのであろう。威力も音を聞く限り、なかなかのものだ。

 だが、それでも、寺町の前では。

「セイッ!」

 ブパッ!

 人がストレートで出せる音ではないような音を立てて、打ち下ろしの正拳突きが空を切った。

 寺町は、最初からよけることなど考えていなかった。相手の打撃が当たるときは、自分の打撃も届く。ただそれだけを考えて、拳を振り下ろしたのだ。

 当たらなかったのは、最初から後藤勇一が逃げ腰だったからにすぎない。もし、寺町をKOしたいのなら、打ち下ろしの正拳の届く距離にとどまらなくてはいけないのだ。

 上半身をゆらして、うまく打撃から離れるように頭部を守ってはいるが、そんな体勢から、どんなに訓練したところで、有効な打撃を出せるわけがない。

 後藤勇一も、それはよくわかっているはずだ。だが、このまま耐え切れば、という考えが、攻撃を鈍らせる。何より、寺町の射程内に入るのは並大抵の恐ろしさではないのだ。

 後藤勇一は、地面を這うようにしてタックルをしかけようとしたが、脚を止めた。と同時に、次の瞬間には後藤勇一の頭部があったであろう場所を、膝が貫いていた。もし、もう一歩でも踏み込んでいれば、決まっていた。

 そして、それでも寺町は動きを止める様子もない。左の手刀を振り下ろす。

 ブオンッ!

 後藤勇一はすぐに体勢を整えて避けたが、それを狙っていたように寺町の打ち下ろしの正拳突きが、それを覚悟して顔の前で腕を十字にしてガードしていた後藤勇一の腕の上から、打ちつけた。

 ズバンッ!

 ワッと大きな歓声があがる。後藤勇一の身体が、2メートルほど後ろに吹き飛ばされたのだ。それでも倒れなかったのは、むしろ褒めるべき部分だ。

 後藤勇一の顔から、ポタポタと血がたれる。ガード越しに、鼻をつぶしたのだ。おびただしい量の鼻血がたれている。

 だが、この程度では試合は止まらないし、寺町も止まらない。審判が何か反応するのも待たずに、突っ込んでいた。

 このままやり過ごすのは、無理だと後藤勇一の表情が訴えている。それは、危険な賭けではあるが、それでもこの男はやるだろう。

 それだけ、勝利というのは、しかもそれが寺町からというのは、まわりがどう見ようと、この男にとっては十分な価値があるのだ。でなければ、反則など使わないし、使おうとしないだろう。

「狙ってる……よな?」

「当然ね。勝つ方法なんて、それしかないもの」

 打ち下ろしの正拳こそ使わないが、今は寺町の打撃を何とか避けているということだ。反対に、寺町はラッシュに入っている。こうなると隙の大きい打ち下ろしの正拳突きは使いにくくはなるが、基本はどれもしっかりしている寺町には、さして問題ではないだろう。

 むしろ、後藤勇一にとってみれば、最大の危険である打ち下ろしの正拳は、それと同時に最大のチャンスでもあるのだ。

 反則を使って、逆転するための。

 パチーンッ!

 派手なわりには軽い音が響いた。後藤勇一の左の掌打が、寺町の顔を叩いたのだ。

 いや、これは……

「ビンタ?」

 パチーンッ!

 再度、音が響く。やはり軽い音だ。寺町の表情も、大して効いた様子はない、というよりも、まったく効いた様子はない。

「傷を狙ってるのよ」

 反則でなく勝つ唯一の方法と言ってもいいだろう。寺町の傷を叩いて、血をもっと流させてTKOを狙うのだ。

 スピードだけを考えて打つ打撃は、威力はないが、傷を広げるには十分だ。

「ここに着て、反則以外で決めるつもりか?」

 それもないとは言い切れない。だが、その程度の打撃では、寺町に効くわけもなく、その気迫に押され、審判も止めるのはまだまだ先のような気がする。危険を犯してまでやるほどの攻撃なのだろうか?

 ドウッ!

 そう言っている間に、寺町のボディーブローが後藤勇一の腹にめり込み、後藤勇一はくの字に身体を曲げる。それを合図にするように、寺町は拳を上に構えた。

 おそらく、最後は打ち下ろしの正拳で終わらせるつもりなのだろうが、それは危険なように見えた。完全に、出すことのわかっている打撃。

 最後のチャンスだ。

 浩之は目を見開いてその試合を観た。どちらに転ぶにしろ、次の瞬間に、試合は決するだろう。

 反則以外で? 違う、それは反則のための布石。反則以外を狙うと見せかけて、実際は、反則で決める。

 身体をくの字に曲げながらも、後藤勇一はほんの少し脚を持ち上げていた。通常の打撃にはならない動きも、反則をするには十分なのだ。

 後藤勇一は、左のフックを振りかぶりながら、一歩踏み出した。いや、一歩前に出て、寺町の足を踏んだ。

 いかに寺町の打ち下ろしの正拳突きが強いとしても、それは身体全体を使っているからだ。足をふまれるだけで、そのバランスは崩れる。

 そして、バランスを崩して打ってきた打撃をかいくぐり、左でのフックで、決めるつもりだ。最初から狙いがわかっている浩之はそれが読めた。だが、寺町には……

 フワッ

 次の瞬間、寺町の足をふんでいるはずの後藤勇一の右脚が、浮いていた。

 完璧にバランスを崩した後藤勇一の左脚が地面に着く前に、寺町の足は地面についていた。

 そして、後藤勇一の顔面を、寺町の打ち下ろしの正拳突きは、打ち貫いた。

 

続く

 

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