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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(82)

 

 バクンッ!

 後藤勇一の顔面を、寺町の右の打ち下ろしの正拳突きが打ち貫く。とっさに身体をひねろうとしたのだろう、あごの横にその打撃を受け、一瞬おかしな方向まで首がねじまがった。

 そのあまりにも鈍い音で、その試合が決したのを、誰もが理解したとき。

「ックアァァァァッ!」

 奇声をあげて、寺町が身体をひねっていた。

 明らかに無理な動き。音と様子、そして寺町自身はその感触まで理解していただろうに、それにも関わらず、寺町は身体をひねっていた。

 ビキビキと筋肉のきしむ音が聞こえるような動きだった。打ち下ろしの正拳突きは身体の負担も大きいだろうに、その後に無理やり動いたのだ。

 本当に無理やり、寺町の上半身が後ろに倒れ、それに合わせて左脚が跳ね上がった。

 ズドガッ!

 今まさに倒れようとしていた後藤勇一の脇腹に、寺町の変則の前蹴りが入った。渾身の前蹴りは、軽々と後藤勇一の身体を持ち上げる。

 観客の誰もが息を飲む。後藤勇一の身体は、1メートルほど宙に持ち上がって、マットの上に落ちた。

 ドサッ

 寺町自身も、しりもちをついたが、顔をしかめながらもすぐに立ち上がる。

 そして、それでもまだ後藤勇一が立ち上がってくると思っているのか、右拳を上に構えて、待った。

 浩之の身体に悪寒が走った。それは、寺町の技の凄さではなく。

「そ……それまでっ!」

 遅まきながらに、審判の声がかかり、一気に歓声があがる。文句なしのKOだ。

 寺町も、荒い息をしながら満足そうだ。

 そう、後藤勇一が反則を使ったのがわからなかった人にとってみれば、一進一退、そしてKOのいい試合だった。反則を使っていると知っている者にとっても、寺町の逆転勝ちという、いい試合だった。

 ただし、寺町のその勇士は、浩之の横の女性に興味をわかせてしまったのだ。浩之が悪寒を感じるほどに。

 綾香の口が小さくつりあがる。笑っているようだが、その姿は綺麗ではあっても、あまりにも恐ろしくて、浩之は直視できなかった。

「……やるじゃない」

 その一言に、綾香の気持ちが凝縮されていた。下手をすれば、このまま試合場に出ていって乱入しかねない勢いだ。

 だが、綾香はそうしなかった。その瞳は浩之に寒気を感じさせるままであるのに、静かにそこに立っていた。すぐに乱入する気はないようだ。もしかしたら、寺町の回復を待ってから襲うつもりなのかもしれない。だとすれば、我慢強いことだ。

 黙った綾香のかわりに、葵が感心したように口を開いた。綾香の様子には気付いていないのか、それともいつものことと思っているのか、反応はない。

「すごい動きでしたね、最後のは」

「ああ……というか、あの動きは反則だと思うぞ」

 隙の多い打ち下ろしの正拳突きには、その技の完成度によってただでさえ近づくのは大変だと言うのに、その後にあんな連携技を出されたのでは、どうにもできない。

「いえ、あれは……」

 葵は少し困った顔というか、理解できないという表情を作った。

「私が凄いと思ったのは、そこではなくて……」

「へ?」

「最後の動きは、どう見ても蛇足です。凄いは凄い動きですが、今までの動きを見る限り、絶対に無理をした動きです。きっと脚や腰を痛めると思います」

 限界を超える動きをすれば、当然無理は出る。限界を超える動きができるのは凄いことではあるが、さっきの試合は打ち下ろしの正拳突きで決まっていたのだ。最後の変則前蹴りは、いらない動きだ。

「それぐらい腹をたててたんじゃないのか? 反則使われて」

「そうかもしれませんね。でも、私が凄いと思ったのは、あの反則の返し方です」

「ん、そう言えば……」

 後藤勇一が寺町の足を踏もうとしたまではわかった。だが、そう思ったときには、寺町の足をふんでいるはずの脚は、宙に浮いていた。

 脚が宙に浮いた状態では、相手の打撃を避けれるわけもなく、フックを狙って腕を横に振っていた後藤勇一には、あれを避ける術はなかった。

「足、踏んだはずだよなあ?」

「はい、寺町さんは、足を踏まれました。ですが、そこから足をあげて、相手の脚ごと持ち上げたんです」

「……はあ?」

 葵の説明に、浩之は首をひねった。

「ですから、踏まれた足で、相手の脚を持ち上げたんです」

「……当然、後藤勇一は、体重をかけて踏んでるよなあ?」

 後藤勇一はそんなに大きな選手ではないし、寺町は中でも大柄な方ではあるが、それにしたって、相手の体重のかかる脚を、片足で持ち上げるというのは……

「もちろん、踏まれる一瞬前を読んでやったんだとは思いますけど……凄い力ですよね」

「それだけじゃないわよ。相手と自分のすねを当てて、後ろに体重をかけさせてる。でなかったら、持ち上げられるもんじゃないわ」

 綾香が、怖い瞳のまま、おそらくほとんどの者が見えていなかったことを解説してくれた。というか、そのまま解説されても怖い。

「……というか、そんなところまで見えてたのか?」

「当然じゃない。次の相手なんだから」

 そうか、やっぱり綾香は寺町を闇討ちする気なのか。今の綾香の瞳を見ていると、それも別に不思議でも何でもないような気がする。

 が、大きな間違いな上に、まさにそれは勝手な想像に過ぎなかった。浩之が一番目をそらしたい部分に、どうやってもたどり着く言葉だ。

「がんばってよ、浩之。あれに勝たなくちゃいけないんだから」

「そうですね、自分のことじゃないですけど、何だか私もわくわくしてきました」

「……あの〜、棄権、とかいう手はないものでしょうか?」

 タンカで運ばれていくピクリとも動かない後藤勇一の屍を横目に、浩之はお伺いをたててみた。まさに、試してみただけで、結果は見えていた。

「何言っているですか、センパイ。あんな強い人と戦えるんですから、がんばらないと」

「そうよ、浩之。目標は優勝なんだから、あれも倒さないと」

「……」

 やはりピクリとも動かなかった後藤勇一の後ろ姿、正確には後藤勇一をタンカで運ぶ係の人の背中だが、を見ながら、浩之は祈った。

 願わくば、自分の足で試合場を後にできることを。

 

続く

 

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