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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(83)

 

「いや〜、楽しめましたよ」

 寺町は、満足げに笑いながら、試合場を降りた。

 にこやかな寺町の表情に恐れをなしたわけではないだろうが、いや、そういう部分も含めて恐れをなしたのだろう、坂下と中谷のまわりの選手達が道をあける。

 この大会に出ている選手でさえ、今の寺町の試合には恐ろしいものを感じたのだろう。鬼神のように攻め、そして無慈悲とも思えるとどめをさしている。

 しかし、少なくとこそれは寺町には間違いではない。寺町は、確かに正々堂々と戦うことを求めているのだろうが、競技者よりは、むしろ格闘家と言っていい精神構造をしている。

「お疲れ様です、部長」

「ああ、やっぱりいいな、ここの試合は。あれだけの相手、普通じゃお目にかかれないからな。来てよかったよ」

 寺町は実に満足げだ。中谷が部長と呼んだのにも突っ込みを入れない。よほど今の試合がお気に召したようだ。

「……って、あんた、さっきまで怒ってたんじゃないの?」

「何でですか?」

 寺町は不思議そうな顔をしている。

 坂下は丁度寺町がフックを受けた瞬間を、審判にさえぎられて見れなかったが、結果を見れば相手が何かしたことぐらいわかる。大きい寺町の身体は見えたので、不自然な動きから、足をふまれたのではないかと勘ぐってはいた。

 だが、寺町は何のクレームもつけなかったので、おそらく、自分で決着をつけたい、はっきり言うと、自分で倒したいと思った、と理解していた。

 だが、気をはらして清々したというには、寺町は喜びすぎていた。

「寺町、フックをうけたとき、何かやられた?」

「ええ、足をふまれましたよ。ドンピシャのタイミングだったので、避けようがありませんでしたよ」

 少なくとも、自分が何をされたのかの自覚はあるようだ。いきなり足をふまれたりすれば、しかもその直後に強烈な打撃を食らえば、何をされたのかもわからない選手は多くいるはずだ。その点、寺町は優れていると言えよう。

 だが、足をふまれたことに関して、何故か寺町は気にした風もない。さっきまでの鬼の形相が嘘のようだ。

「よけたと思ったパンチを、指をのばして爪をひっかけてくるし、かなりの使い手ですね。俺が昔街で戦ってたころでも、あそこまでやれる人間なんていなかったですよ」

 格闘技を本気でやっている者が、反則と言われる技を本気で使えば、確かにその効果は絶大だ。教えてくれる者はいないだろうから、独学にはなるが、反則をとっさに使えるレベルにまで引き上げるのだ。身体能力は言うに及ばず、一般人など相手にならないはずだ。

 だが、寺町はそれを正面から切って捨てたのだ。自分はただ正攻法の空手だけを使って。

「というか、気付いているなら、審判にクレームつけなさいよ」

 坂下は大きくため息をついた。寺町の性格上、そんなことをするとは到底思えないが、下手をすればクレームをつけるだけで勝てるのだ。悪いことではない。

 いや、坂下だってあんなことをされれば、絶対に自分の拳で相手を黙らせるつもりだから、寺町に言えた義理ではないのかもしれないが。

 寺町は、間違いなく格闘バカだから。

 しかし、寺町は坂下の言葉を聞いて、首をかしげた。

「は? 何のクレームをつけるんですか?」

「相手の反則に決まってるじゃないの」

「反則なんか使いましたか?」

「はあ?」

 寺町は、坂下の予想を遥かに上回っていた。

 遥かに上回る、バカだった。

「部長、足を踏むのも、爪での攻撃も反則ですよ」

「おい、俺は倒れた相手への打撃と、ひじ、目つき、金的、頭突きが反則としか聞いてないぞ」

 実に寺町らしい。実に、寺町らしいバカさ加減だ。

「足踏むのが反則なんて、考えればわかるだろ!」

「と言われても俺の戦ってたやつに、足を踏んで反則だと言ったやつはいませんでしたから」

 そりゃ、ストリートで戦ってるやつが足ふんだぐらいで卑怯とは言わんだろうが。

 というか、部長の常識は、やっぱり……

「……」

「……」

「ん、どうかしましたか、坂下さん。中谷まで黙って」

 大きなため息、坂下と中谷は顔をあわせた。タイミングもばっちりだ。

「……なら、何であんたはあんな怒ってたんだよ?」

「はあ、怒っていたというか……相手があそこまで素晴らしい動きをするというのに、自分が無傷で判定を狙うというのは、非常に相手に失礼だと思い、自分に腹が立ったわけで」

「……で?」

「もちろん、全力でやらせてもらいました」

 ぐっと寺町は嬉しそうに拳を握り締めた。相手も、きっと自分の反則で腹を立てているものとばかり思っていたろうし、倒された今でも思っているだろう。まだ意識はないだろうが。

 つまり、相手の後藤勇一は、寺町の自己満足のために打ち下ろしの正拳を受け、ついでにとどめの必要もないのに、追い討ちの前蹴りを食らったのだ。

 反則を使っていた分を除いても、哀れとしか言い様がないだろう。

 実際、坂下にさえほとんど反則を見破られなかったその技術、賞賛に値する。だが、相手が悪かった。もしかしたら、北条桃矢に当たっても勝てる可能性があったというのに、よりにもよって、相手の反則を反則とさえ気付かないようなバカに当たったのが、運の尽きだ。

「いや、実に面白い戦いでした。やっぱり、戦いは全力でやるのが一番です。俺には判定勝ちなんて狙うのはやはり性に合いません」

 いや、それは坂下もよくわかっている。寺町は突っ込んでこその選手だ。

 だが、そのバカは治しておかないと、寺町自身はともかく、相手に悪いような気さえする。

「さて、これで次の相手はあの藤田浩之か。今から非常に楽しみだ」

 戦うのを何よりも楽しむ男は、ここでもまた一人犠牲者を増やそうと、待ちきれないとばかりに顔をほころばせた。

 楽しい時間というのは、楽しいことを待つことだ、と聞いたことがある。

 きっと、浩之にとっては、その逆で、嫌な時間を待つというのは、非常に嫌なことだろう。坂下はそう思った。

「さて、次の試合のために今からウォームアップだ!」

「部長、ダメージ残ってるんですから、休みましょうよ」

 寺町の幸福そうな顔を見ながら、坂下は、浩之の冥福を祈った。

 

続く

 

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