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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(84)

 

 その選手は、一回戦が終わるまで、一番注目されていた選手だった。

 だが、一回戦が終わった後、多くの選手は、注目に足る選手ではない、と判断してしまっていた。

 しかし、北条桃矢は、そんなことは関係ないと言わんばかりに無口に試合場に立った。胸にまかれた包帯も痛々しいが、それで本人は顔をしかめたりはしないだろう。

 さっきの寺町の試合のときよりも選手が減っている。自分達も試合があるのだから、他の選手にかまってばかりいられないのは確かだ。だが、警戒する相手だと思えば、試合を観るはずだ。自分が戦うときの参考にするために。

 今自分の階級に北条桃矢がいないとしても、北条桃矢が年をとれば、当然同じ階級になることもある。そう考えれば、ナックルプリンスに出ている選手だけ観に来ている訳ではないのだ。現に、寺町のときは、負けた選手や、違う階級の選手も観にきていた。

「で、綾香はどう見る?」

「北条桃矢の勝ち」

 綾香は、あっけないほどにそう予想してみせた。

「……まあ、そうだよなあ」

 観に来ていない選手は、大きな間違いをしている。

 一回戦、北条桃矢が軽くあしらわれたのは、北条桃矢が弱いわけではない。修治が、あまりにも強かっただけだ。

 それが証拠に、北条桃矢は人間の常識を無視するような動きを続けていた。それは、修治を捉えることができるほどではなかったが、他のどの選手を見ても、それだけの動きをやることのできる者などいまい。

 不幸は、修治のインパクトは、普通に人間離れした北条桃矢のはるか上を行っていたということだ。

 勝てる相手ではない。浩之はそれを肌で感じたし、見ただけで十分わかる。

 それにもし勝つ気があるのなら、自分の準備運動を放っておいてでも、見るべきなのだ。そう思って浩之も休憩するのを止めて観に来たのだが……

「はっきり言って、この試合は参考にならないわよ」

「そ、そうなのか?」

「だいたい、北条桃矢の能力なんて、私が知ってるわよ。作戦を練るのに情報を増やす必要はないわ」

 綾香はきっぱりと言い放った。

「でも、ほら、北条桃矢も綾香が見ていない間に成長してるかも……」

「よしんば、成長してても、この試合は観る価値ないわよ。どうせすぐに終わるもの。修治ならともかく、一般の格闘家に遅れを取ることはないわ」

 浩之は少し驚いていた。綾香は、北条桃矢に関しては、冷めた顔でかなり辛辣なことを言っていたので、おそらく北条桃矢のことが嫌いだと思っていたのだが、評価はしているようだ。

「戦って面白い相手じゃないけど、それってつまりは、完成されてるのよ」

 浩之の表情を読んで取ったのだろう、綾香は肩をすくめて言った。

「理にかなった動き、理にかなったトレーニング、理にかなった戦略、そういうものを、日々研究はしてるだろうけど、そういうものを集めると、北条桃矢になるわ。ま、完成してると言っても、実力的には全然だけどね」

「綾香にはそうだろうけどなあ」

 綾香は、ちょっと口の端をあげて笑った。浩之の考えていたことを理解したのだろう。

「もちろん、浩之じゃあ、今の浩之じゃあ勝てないわよ」

「はっきり言いやがるなあ」

 それは別に嫌なことではなかった。強がったり、慢心したりするには、相手の実力は自分を上回りすぎている。

「負けることが決まってるなら、この試合を観ても、俺には役に立たないな」

 そう言いながら、浩之はその場から動こうとはしなかった。それを見て、綾香は満足そうに笑った。

「いい心がけね、浩之」

「負けるのは慣れてるからな」

 実際、今日、一試合目、二試合目と勝つまで、浩之は「格闘技」としての勝ちを知らなかった。綾香とやったのは、ゲームだったのだし、葵のときは、そもそも自分は何の役にもたっていない。

「負ける気、なさそうね」

 実に嬉しそうに笑う綾香を見て、浩之は少しだけ強がりをしたことを後悔しなかった。

 浩之だって恐ろしい。寺町に勝てるかどうかもわからないが、北条桃矢とやることになれば、勝てるとは思えない。いや、勝てないだろう。綾香もそう言っているし、そもそも実力の桁が違い過ぎる。

 だが、それでも、それだけに、浩之は逃げるわけにはいかないのだ。

 何故なら、綾香は、言ったのだ。

 浩之が、強いと。

 それが単なるはげますための言葉だったのか、心から出た言葉なのかはともかく、そう言われたからには、浩之は引き下がる訳にはいかない。

 強制力はない、浩之が、ただその言葉を嘘にしたくないだけだ。

 そのためには、今この場にいることは無駄ではない。休むだけなら、観ていてもできる。少しでも北条桃矢の動きを頭に入れておけば、わずかながらでも勝つ可能性は増える。そう信じる。

 浩之が、新たな決心を固めながら、北条桃矢に目を向ける。すでに試合が始まるのを待つ北条桃矢の表情は、無表情だ。

 だが、対戦相手の方は落ち着かないようだ。まわりにきょろきょろと目を向けている。試合前に落ち着かない選手はどこでもいるだろうが、それにしても、初めての試合ではないのだから、もう少し普通なら落ち着いてもよさそうなものだが。

 言わずと知れたこと、北条桃矢と目を合わせるのが怖いのだ。

 無表情だが、その目は間違いなく、鬼神の目だ。向き合っている対戦相手には、それが伝わるのだろう。

 一回戦目の無様な反則勝ち、血まみれになりながらもつっかかっていったことを考えても、怒りは並々ならぬものだろう。しかも、それを父親の北条鬼一に止められたのだ。

 北条鬼一が出てきたときに引いたのは間違っていない。あのまま北条鬼一と乱闘をしていれば、おそらく出場停止をくらっていただろうし、何より、伝説の『鬼の拳』、北条鬼一に勝てる訳がないのだ。修治や綾香ならいざ知らず、北条桃矢は、あそこでは引くしかなかった。

 だが、納得していないのは当たり前だ。おそらく、そのむしゃくしゃした気持ちを、この試合にぶつけてくるのは予想に難くない。

 対戦相手としてはたまったものではないだろう。言わば八つ当たりを受けるのだから。願わくば、いつもの冷静な動きができないほどに逆上しておいて欲しいものだ。そうなれば、つけいる隙ができるはずだ。怒ったぐらいでどうにかなるほど、格闘の世界は甘くないのだから。

 審判が試合場に出てくる。が、一瞬ビクッと震えた。きっと北条桃矢が、何があるわけでもないが睨んだのだろう。

「そ、それでは」

 コホン、と一度咳払いをして、審判は腕を上げた。

「レディー」

 ギリッ

 北条桃矢の歯軋りの音が、浩之達のところまで聞こえてきた。

「ファイトッ!」

 

続く

 

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