作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(87)

 

 葵達は息を呑んだ。

 いや、息を呑んだのは、葵達ばかりではない。観ている観客のほとんどは息を呑んだはずだ。

 格闘家の腹筋は強い。特に打撃系の格闘技なら、腹は最も叩きやすい部位の一つなのだ。的は広いし、相手も身体の中心に位置するお腹を、「避ける」という行動はとり辛い。

 相手のスタミナを削るには、非常に有効な場所であり、当然一番打撃にさらされやすい。反対に、一番防御力を鍛え易い場所でもあるのだ。

 もちろん、人間の打撃の限界を超えるような打たれ強さを求めるのは間違っているが、弱ければ打撃系では致命的だ。しかも、エクストリームのような何が来るかわからない場所でならば、必ず鍛えておきたい場所だ。

 その腹筋を、拳一撃で破壊するなど、葵も初めて見た。いかにそれが鳩尾を狙った打撃だとしても、無理にもほどがある。

 相手が、あごに拳を受けて、意識を無くしていたからこそあんなことが起きたのは理解できるが、正直、普通ではなかった。

 かなり強い人間を見てきただろう安部道場の面々も、さすがに言葉を失っている。素人ならまだしも、れっきとした格闘家を吐かせるというのは、並大抵の威力でできるものではないのだ。

「あの人って次の英輔さんの試合相手でしょ?」

 恐る恐るという感じで、美紀が葵に訊ねる。

「うん、強いね」

「素人さんが受けたら、内蔵破裂しちゃうんじゃない?」

 冗談で言っているのではない。実際にやれば、おそらく冗談では済まないことになるだろう。

 葵は浩之達と別れ、安部道場の面々と試合を見ていた。英輔の試合が近いのだ。浩之の試合はまだ先なので、応援する時間はある。

 それに、葵は、もちろん浩之と英輔が試合をするのは、どっちを応援するにしても微妙ではあるのだが、素直に見たいのだ。

 格闘技を始めて、僅か2ヶ月ちょっとであれだけの多彩な技と実力を発揮する天才藤田浩之と、柔道家ながら、打撃にも精通していることを一回戦で見せた藤木英輔、葵は基本的には格闘マニアなのだから、この試合は観たい。

 それに、葵としては、微妙とは言え、一応応援する方は決めているのだし、試合をするからと言っていがみ合う必要性はないのだ。

 自分の応援ぐらいで英輔の実力が変わるとも思えないが、応援しても損ではなかろう。葵自身、浩之の応援に何度も助けられたのだ。どう影響してくるかなど、やってみないとわからない。

「英輔、勝てる見込みは?」

 安部道場の男子の一人がにやけ顔で聞く。心配して聞いているわけではなさそうだ。まあ、それはむしろ余裕とさえ取れる。

「正直、当たりたくない相手だよ。攻略法は全然思いつかないしね」

 と言う英輔だが、その目はまったく戦意を喪失しているようには見えない。葵が見たところ、目の奥の闘志の炎は、むしろ強く燃え上がっているようにさえ見える。

 葵が、英輔の凄いと思う部分は、実力もさることながら、この闘志だ。安部道場では、ほとんど安部先生程度にしか見せる必要のないものであるが、言葉の端や、何げない目線に、それは顕著に現れている。

 精神的に強い、というのはバカにならないのだ。葵は、ついこの間まで、試合になるとあがってしまうという、競技者にとっては致命的な心の弱さを持っていた。

 それは、葵の実力を極端に削る。坂下とやったときは、実力的にはほとんど均衡しているとさえ思っていたのだ。

 だが、もしあのまま浩之に助けられずに試合をしていたなら……勝ててはいまい。勝ったこと自体、自分と坂下の実力を同等と見ても驚きなのに、実力のほとんどを発揮できないような状態で、勝てる訳がない。

 あれは心の弱さ。しかし、それとは反対の人間もいる。

 心の強さ。それは一つの実力だ。むしろ、勝つためには非常に重要なものだ。

 最後の最後まで諦めず、そして、何故か本番となれば実力以上の力を発揮してくる。

 よく陸上の大会などで自己ベストを超えてくる選手がいるが、あれは、心の強さが特化した結果だ。反対に、心の弱さで実力の半分も出せずに惨敗する選手も後を断たない。

 葵は思うのだ。浩之の強さを支えているのは、そういう心の強さも一役買っているのではないかと。

 言葉ではどういいながらも、本番の本番となると、実力以上のものを発揮してくる。驚異としか言えない粘りで、実力以上の相手を倒す。

 葵は、浩之のことを天才だと思っているが、そういう心の強さが、浩之に結果を持ってきている、とも思っている。

 そして、その心の強さを持つためには、二つしか方法がない。

 葵のように、誰かに助けてもらって、その助力で走り出すか。

「ほらほら、そんなこと言いながら、全然負ける気なんてないくせに」

「もちろん、負ける気はないよ。でも、強いね。今まで僕が戦ってきた相手の誰よりも強いかもしれない」

 その言葉には嘘はない。そう、まったく嘘はない。

 嘘つきの浩之と、正直な英輔、同じと思うのは、失礼なのかもしれないけれど、葵は、二人が非常に良く似ているように思えた。

 嘘はない。英輔は、北条桃矢に勝つつもりなのだ。この大会でも頭一つ、いや、二つは飛びぬけている実力であろうことぐらい、英輔にはわかっているだろうに。

 はっきり言えば、北条桃矢の実力の方が、英輔を上回っていることを知っているだろうに。

 それでも、英輔は負ける気はない。無謀ではない。ちゃんと勝算を持って戦うのだ。

 二人が似ていると葵が思う理由はここだ。

 二人の心の強さ。葵には、それが見えた。

 だからこそ、二人の戦いが見たいと心から思ったのだ。

 葵のような、誰かに助けられてもらった心の強さではない。純粋な強い心と、強い心の対決を、葵は観たかった。

 しかし、そのためには、二人とも強敵を倒さなくてはいけないのだ。

 浩之は、片角ながら鬼の拳を使う、天然で繰り出してくる戦術の恐ろしい寺町。

 英輔は、両角の鬼の拳を使ってくる、『鬼の拳』北条鬼一の息子、北条桃矢。

 おそらく、二人が決勝で会う確率は高くない。二人の相手はそれほどまでに強いのだ。

 それでも、許されることなら、葵は観たかった。二人の戦う姿を。

 もちろん、英輔はまだこの試合に勝たないと準決勝に進めないのだし、当然油断ができる状況でもないだろう。

 でも、その目の奥に燃える闘志の炎を見ると思う。

 きっと、英輔さんはこの試合、負けないだろう、と。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む