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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(90)

 

 絵志は、英輔に背中を見せた。

 それと同時に、英輔の左腕がからぶりしていた。

 ドンッ!

 英輔の次のつかみに移行するために脇が少し浮いていていた右側面の脇腹にに、絵志の後ろ回し蹴りが入った。

「っは!」

 英輔は息ができなくなって動きの鈍った身体で、しかし後ろに飛んだ。どんなに我慢強くとも、息ができなくなれば一瞬動きが止まる。そこを狙われたら、いかに英輔でも相手の打撃を捌き切れない。

 だが、英輔には助かったことに、後ろ回し蹴りはその後のコンビネーションにつなげ辛い。しかも胴体の奥に当たったので、回転する力が弱まって、絵志は前を向くまではできなかった。

 だが、一回の攻防は、完全に英輔の負けだった。

 まだダメージはあるものの、動きに支障をきたすほどではないのが不幸中の幸いと言えよう。

「す、すごい……」

 その攻防のどれだけを理解したのかはわからないが、美紀や安部道場の面々がうなる。それほどに英輔の動きを読んだとしか思えない動きだった。

 葵には、さっきの攻防の凄さは、ほとんど理解できていた。

「でも、英輔さんが避けれない蹴りじゃないと思うけど……」

 英輔の動きは、非常に速い。柔道と言えば動きが鈍いようにさえ思われているが、その動きは速い。すり足での動きは素人では捉えきれないだろう。

 その中でも、打撃を念頭に置いて動いてきたのだろう英輔の動きは、群を抜いていた。速いだけでは柔道では勝てないかもしれないが、こういう試合、しかも打撃戦では、有効な能力のはずだ。

「相手の選手は、英輔さんの逆をついたの」

「逆?」

「うん、英輔さんの腕に合わせて、後ろに下がりながら背を向ける。英輔さんの動きを読んだんだから、それは凄いけど、英輔さんなら、そこからでも普通は蹴りを避けれるし、無効化できる」

 蹴りというのは、確かにパンチよりも威力は大きい。しかし、それは助走となるべき距離があればこそだ。近距離で放たれるキックというのは、案外怖くないものだ。

 太ももや膝辺りを押さえてしまえば、ほとんど威力をなくしてしまうのだ。近距離で怖い脚技は、ひざぐらいだ。

 英輔の動きは速いし、何より腕の動きが速い。普通の後ろ回し蹴りなら、根元を押さえて、しかも自分はつかむことに成功していただろう。

「相手の絵志って選手、よく考えてる。左回転で背中を見せたから、英輔さんは相手が蹴りを放つにしても、左からだろうと思ったところに、右の後ろ回し蹴り。英輔さんでも無効化することはできなかったのね」

「へー、さすが葵ちゃん」

「これでも打撃格闘家だから」

 葵は少し照れながら言った。

 しかし、葵は説明まではしなかったが、さらに絵志がやったことの全てを見ていた。

 背中を見せて相手の気をそらすのもうまかったし、何より、最後までまわらなかったのだ。

 それが英輔が絵志を捉え切れなかった理由。一度完全に回転するよりも、四分の一ほど回転して、それだけ戻った方が速いに決まっている。

 回転の威力はあまり加えられなかったので、英輔が致命傷を負うことはなかったが、絵志の狙いはKOでは、少なくともこの場面のKOではない。

 英輔がいかに闘志あふれていようとも、ああも見事に動きを読まれて、反撃をくらったのでは、違う手を考える。英輔は打撃を受けることを怖がってはいないが、特攻する気もない。

 ダメージを与えるよりも、プレッシャーをかけることを考えての動きだ。相手も、英輔を弱い相手だとは思っていないということだ。

 駆け引きの多い試合は、やもすれば消極的な試合になりがちだが、この二人の間には、つねに緊張感がただよっている。それだけ、実力が均衡しているのだ。

 そして、どちらも同じほど、相手を倒すつもりなのだ。

「英輔のやつ、苦戦だな」

「まったくだ」

 安部道場の面々は、厳しくそう判断している。

 いや、厳しくはない。確かに、英輔は苦戦していた。全ての動きで相手に一歩上をいかれているのだ。

 それは、初動を読まれているという、ある意味致命的な部分だった。

 多少打撃が強いとか、動きが速いとか、そんなことではそう優劣がつくものではない。英輔と絵志の差は、その読みだ。

 英輔は、初動を読まれている。当然読める絵志は、英輔の初動に合わせて罠を張るに決まっている。そして、初動で罠をはられれば、不利なのはもちろん、下手をすれば、何もできない。

 何より、それを続けられれば、心が折れる。そうなれば、まともに戦うことも……

 絵志の狙っているのはそこ。直接打撃を当てる必要はない。相手の心を折れば、それで勝敗は決まる。

 でも、葵は思う。

 相手が悪い、悪すぎる。

 それが、自信を武器として戦う自分のような、才能のない人間ならともかく、今絵志が相手にしているのは、そういう類の相手ではない。

 自信によらず、そして才能によらずとも戦える、戦うことのできる、根本的に普通の人間とは違う人間が、そこには立っているのだ。

 絵志が、じりじりと距離をつめる。一気にはいかない。それはプレッシャーをかけるためだ。じわじわとした精神的な加重に、人間は弱い。

 だが、英輔は下がらない。

 闘志の消えかかった目に、再度火がともる。

 実際は、消えかかってなどいないのだ。葵から見て、英輔が不利だったので、勝手に葵がそう思っただけだ。

 その闘志は、消えることなく、彼の意識が閉じるまで、いやおうもなく燃え続ける。

 そんな人間を、葵は多くは見てこなかったが、そういうおかしな人間は確実にいるのだ。

 だから、英輔はまた一歩、距離をつめた。

 パパンッ!

 絵志のワンツーが、英輔のガードの上を叩く。距離は遠い。リーチは絵志の方が有利なようだ。

 後一歩入れば、英輔の距離。だが、後一歩が入れない。それほどに絵志のパンチが鋭いのだ。

 英輔が、頭をかがめて、タックルのように突っ込む。スピードはあったが、それは高い。

 バシッ!

 英輔のかがんだ後頭部に、絵志の真横に振られたフックが直撃した。安部道場の面々が息を呑む。

 でも、それではまだ英輔さんは倒れない!

 英輔の両腕が伸び、絵志の首の後ろで組まれた。

 ドスッ!

 今度は絵志のフックが英輔の脇腹に入るが、英輔の腕は外れない。

 完璧につかんだ!

 上半身に何も着ていない絵志に対してできる、完璧に近いつかみだ。

 だが、絵志もすでに腰を落としている。胴体をつかんだならともかく、この体勢では、投げるのは難しいだろう。

 しかも、時間をかければ、絵志はそこからでも打撃を打ってくる。正直、もう十分英輔はダメージを受けすぎている。

 しかし。

 葵の心配を裏切るように、英輔の脚が浮いた。

 

続く

 

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