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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(93)

 

 英輔は息を切らせて、戻ってきた。

 何とか第一ラウンドの残りの時間を守りきることはできた。絵志が積極的に攻めてこなかったのが幸いしてのことだが、相手も息を整えていたし、けん制をしては英輔が休むのを妨害していた。このラウンドでは、押し切れないと判断したのだろう。

「英輔さん……」

 葵も英輔に声をかけかねていた。完璧に極まったと思ったアームロックを返されたのは、精神的にかなり痛いはずだ。

 英輔は一片の手加減もしていなかった。むしろ、あのとき絵志の腕が折れたとしたら、全力で折っていたのかもしれない。

 下手に手などを抜けば、反対にやられるのは自分だし、まさか相手も手加減してくれるなどとは少しも思ってはいまい。

「あの調子で、捉まえればどうにかなるだろ」

「そうですよ、押していけば……」

 安部道場の面々も、何とか英輔を元気付けようと無責任な、そう、言っている本人さえそれが気休めにしか聞こえない言葉をかけるのが精一杯だった。

 英輔は、無傷で相手を倒したのではないのだ。何発かもらって、何とか倒した。しかし、相手にはほとんど無傷で逃げられたのだ。

 単純に戦力を計算すれば、勝てないのだ。それは数字上ではなく、現実のこととして英輔は感じているはずだ。

「しかし、何でにげれたんだ。完璧に極まってなかったか?」

 一人が今ここで聞くべきかどうかは微妙な質問をした。しかし、確かにおかしい。完璧に極まった関節技を逃れることなど、できないはずなのだ。相手が人間である以上、関節は極まった方向にしか曲がらないのだ。

「完璧じゃなかった」

 英輔は、ぼそっとつぶやいた。

「へ?」

「完璧じゃなかった。今の腕がらみは、完全に極まってたわけじゃない」

「そ、そうか?」

 そう静かに話す英輔のいつにない気迫に、安部道場の面々も気おされている。いつもなら、例えそれがどうしようもないピンチであろうと、その表情を崩さない英輔が、表情は崩していなかったが、確かに目の光はいつもと違っていた。

「どう見ても、極まってたよな?」

「うん、私ならすぐまいったするよ」

 安部道場の人間が、関節技が極まっていないかどうかを見誤るとは思えない。学生ではそこまで関節技は重要視されてはいないが、それでも安部道場は一風変わった道場だ。一番どの格闘技に、つまりどんな人間にも有効な関節技を、教えもらすことはないだろう。

 一瞬、英輔が負け惜しみを言っているのかとさえ思った。だが、英輔はそういう人間ではない。負けなら負けを認める、もちろん全力をかけてから後のことがだ、競技者としては潔い男だ。

「サイドにまわるようにしてかける体勢になったから仕方なかったけれど、あそこでは相手の身体の上にのしかかるようにしておかないと、ああやって身体を回転させて逃がすことがある」

「そこまでは私でもわかるけど……ねえ?」

 アームロックを逃げることは可能ではある。確かに、そうやって逃げるということは教わっている。

 だが、それでも絵志の肩は明らかにおかしな方向に曲がっていた。あれで平気だというのはあまりにもおかしい。

「相手の関節が柔らかかった。それだけだよ」

「それだけって、普通なら肩が抜けるのに……」

「確かに、ありえない動きじゃないです」

 英輔の考えに葵は賛同した。

「私自身は関節は硬い方ですが、打撃格闘家の関節は異常に柔らかい人がいます。打撃という、身体に無理をさせる方法を使う限り、身体の柔軟性は必修です」

 ついこの間までは葵もそれを知らずに来たが、浩之に言われてから、自分で色々調べもした。

 組み技系の方が柔軟をよくすると思ったら、実は打撃系の方が柔軟をより重要視するのだ。組み技系も柔軟はするが、「関節技にかかってしまってはどうにもならない」という気持ちがあるせいか、その多くは関節技の対処作としての柔軟は行わない。

 だが、打撃格闘家にとって、身体が柔らかいのは有利だ。練習中の故障の防止は組み技系でもそうだが、身体が柔らかいと、普通は予測できない方向からの打撃が使える。それは非常に重要だ。

「最初に見た裏拳で気付くべきだったよ」

 どんなに柔らかくとも、ほとんど大差のないひじの関節さえ柔らかかったのだ。よく考えていれば、関節が柔らかいことに気付いていたかもしれない。

「そうですね。私も気付いてアドバイスするべきだったかもしれませんが……このまま同じことをしても、勝てませんよ」

「葵ちゃん!」

 美紀が、そのままズバリと言い切った葵を止める。それは言わずともわかっていたこと。そして、安部道場の面々は弱音を本人の前で吐くなんてことを習っていない。

 だが、葵とて、それは弱音ではない。

 現に、その言葉だけで、英輔の目の、さっきまでも爛々と燃える闘志の色が、さらに濃くなる。

「だろうね。さっきは倒すまでにいいのをニ発。次は、多分もっと、いや、冷静に考えれば、倒せもしないだろうね」

 弱音を吐くには、あまりにも明るすぎる目の光。

 英輔の闘志は、少しも衰えていない。技を返されても、それでも光る。それが、おそらく英輔の一番の武器だから。

 どんなに闘志があろうとも、それでも負けるときは負ける。闘志だけで勝てるほど、甘い世界ではない。

「でも、私はそこまでわかっていても、無責任に言います。英輔さん、がんばってください!」

 しかし、それを信じる。闘志は絶対ではないが、それでも、一つの力ではあるのだから。

「……ありがとう」

 英輔は、葵の激励に笑って応えた。

 諦めるのは、まだまだ早すぎる。安部道場の面々でさえも、心が折れかかっていた。だが、英輔に対して、それは杞憂でしかない。

「じゃあ、もうちょっとがんばってくるよ」

 英輔の、いつもの姿に、安部道場の面々も、自分達を取り戻す。

「さすが、葵ちゃんの応援は効くね〜」

「まったくだ」

 取り戻して最初にすることがからかいなのだから、いい性格をしている。英輔も、思わず苦笑し、葵も突っ込みを入れるのを忘れて笑ってしまった。

「両者、位置に戻って!」

 審判の声に促され、英輔は苦笑しながら試合場に立つ。絵志がその表情にいぶかしげな表情をしているが、英輔には問題ではない。

 自分の中からわく闘志、それに、火をつけたとして……

 目の前の、強敵を見る。英輔は、今までこんなに強い人間を、つまり自分より強い人間を、そんなに多く見て来た訳ではないが。

 勝ちたい。

 心からそう思った。葵や、安部道場の仲間や、そういった自分を支えてくれている人々。

 そういった人々に関係なく、自分のために。

「レディー、ファイト!」

 

続く

 

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