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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(94)

 

 英輔は、はやる闘争心を抑えて、距離を取った。絵志も、すぐには手を出してこない。何の工夫もなく倒すには、どちらの実力も高すぎる。それを両方わかっているのだ。こう着状態というのは歓迎すべきことではないが、今の英輔には有益だ。

「英輔さんらしくないね……」

「そうだな……」

 英輔は、安部道場で知る限りは、無謀に突っ込んでいくタイプではないが、自分が判定で勝っていようとも攻めるのをやめはしない。

 今の判定がどうかは微妙な部分はあるが、まだ攻撃の手を休めるような状態ではないはずだ。

「ううん、あれでいいの」

 しかし、葵は英輔の気持ちが痛いほどわかっていた。

 うかつに、いや、考えに考え抜いてどんな策を弄しても、勝つのは難しいのだ。英輔は、試合をやりながら、何とか勝つ方法を考えている。

 葵なら、考えるよりも先に手を出した方がいい結果につながるだろうが、英輔はちゃんと考えてから動いている。その後は、身体が反射で動くが、それまでに、「自分の有利な状態」で身体にまかせれるようにしておくタイプなのだ。

 おそらく、その点は相手も同じなのだろう。もっとも、倒されたのは誤算であったろうし、あそこから逃げれるのまで計算にあったのかは別だ。

 自分の身体は柔らかいので、関節技は極まらない。そう考えている可能性は大だ。いかに身体が柔らかくとも、極まる技はあるが、制限がかかるのは確か。逃げれる、または極まらない技は無視してしまえる。

 となると、相手の取る作戦は。

 すっと絵志は英輔との距離をつめる。英断ではない、通常の判断だ。勇気はいるだろうが、それが一番確実な方法なのだ。

 正面から、相手の技を無視して叩き潰す。絵志の取る作戦は間違いなくこれしかない。

 パパンッ!

 絵志のワンツーを、英輔はガードしていた。それでも英輔は一歩距離を縮めて、相手のヒットポイントをずらすと同時に、自分の距離に持っていこうとしている。それはかなり勇気がいることだ。

 だが、絵志もそれを許さなかった。

 ドンッ!

 ワンツーを打ったばかりの右の拳が翻り、近づいた英輔のボディを狙う。

 これもガードは間にあったが、大きく英輔の身体が後ろに跳ね飛ばされる。英輔が、一度で無理をするのは不可能と判断して、ダメージを後ろにそらしたのと、組み付かれるのを嫌った絵志が、ダメージを狙ったと言うより、距離を離そうとして打ったパンチが重なった結果ではあるが、2メートル近く二人との距離が離れる。

 それをワンパンチの威力と勘違いしているのだろう観客が、オオッと歓声を上げるが、ここまで残っているような選手は、誰も驚いていない。

「英輔さん!」

「大丈夫、今のは英輔さん本人が後ろに飛んだだけだから」

 打撃初心者である安部道場の面々にそれだけのことを理解しろというのは無理な話だが、であるなら、柔道家のくせに今の打撃を後ろに飛んで殺す英輔は、一体どういうつもりで今まで柔道を習ってきたのだろうか。

 しかし、英輔もすごいが、絵志も無茶苦茶な打撃を打つものだ。あんな動き、腕と手首を無理やり翻すような動きは、身体に負担がかかって仕方ないだろうに。おそらく、鍛えに鍛えた筋力と、その天性であろう柔軟な身体を持ってしての打撃であろうが、葵にはできそうもない動きだ。いや、できるかもしれないが、すぐに身体を痛めてしまうだろう。

 自分の打撃で距離を取ったにも関わらず、絵志はすぐに距離をつめていた。

 おそらく、絵志の得意とするのはミドルレンジだ。組み技は得意ではなさそうなので、打撃を使いたいが、あれだけの柔軟な身体なら、「曲がりシロ」さえあれば、普通では頭に入っていないような角度で打撃を打てるはずだ。完璧に関節が伸びてしまった状態では、その柔軟さも威力を発揮できない。

 しかし、そうわかっていたとしても、なかなか組み技相手にミドルレンジを保てるものではない。一歩入られれば、すぐに相手の距離になるのだ。打撃を使う者にとってみれば、ロングレンジでちまちまとダメージを当てたいはずだ。

 つまり相手は、それだけ自分の打撃を信じており、つまり英輔の実力を評価しているのだ。だから、自分の一番強い距離で戦おうとするのだ。

 英輔は、それでも隙をうかがう。ショートレンジに近づけないのなら、距離を取るしかないのだが、フットワークのスピードが違う。英輔のすり足も速いが、あくまで攻めるためのものであり、逃げるのは難しい。

 ミドルキックをガードさせて英輔の動きを止め、下から回転して伸びてくる裏拳であごを狙う。

 英輔は、徹底的に距離を取って逃げるしかなかった。一か八か飛び込むことを考えてはいるのだろうが、それにもチャンスは必要なのだ。無駄に飛び込めば、余力のある絵志の打撃の的だ。

 絵志が攻め、英輔が守る。それを二分近くも二人は続けていた。もちろん、内容はあ絵志が息を整える場面もあったが、英輔の方からは手を出さない。いや、出せないのだ。英輔の並の動きでは、絵志に捉えられる。

「英輔さん、ファイト〜ッ!」

「まけんなよっ!」

「攻めろってっ!」

 安部道場の面々も応援やヤジを飛ばしているが、それに英輔が従うことも、目を向けることもない。

 だが、英輔は今一番疲れる仕事をしているのだ。葵にはわかった。神経、体力共に削れるし、間違いなく判定では負けることになるだろうが、英輔はあきらめてはいないのだ。

 もし、攻めていても、おそらくは倒されていた。実力の差は微量だが、歴然としているのだ。ラッキーパンチ、いや、ラッキーキャッチに全てをかける英輔ではない。

 まだ、負けると決まったわけではないのだ。

 ニラウンド残り一分を切っていた。三分間、息を整えることはしているものの、絵志は攻め続けていたし、英輔はそれでも逃げ続けていた。

 だが、それでも、その作戦には無理があった。とうとう英輔はつかまってしまったのだ。

 キックを放つ、と見せかけて脚をあげ、その蹴りを、威力を殺して受けようと内に入ってきた英輔の顔面に、裏拳が入ったのだ。

 簡単なフェイントではあったが、ギリギリの動きをしていた英輔には効果は高かった。

 KOできるダメージではなかったが、英輔の脚が止まる。

「英輔さん、動いて!」

 葵はとっさに叫んでいた。何故なら、葵達打撃格闘家にとって、英輔の今の状態は、ラッシュを決めるまたとないチャンスだったのだから。

 そして、それはそのまま絵志にとっても、ヒットアンドアウェイを続けていたのだから、まだ油断できない相手だと思っていた矢先の、チャンスだった。

 これが、英輔の演技であれば、絵志を倒すためのまたとないチャンスであったろう。だが、絵志の腕に伝わった感触は、相手がダメージを受けているものであったし、英輔のそれも、演技ではなかった。

 最大の危機は、最大のチャンス。

 しかし、英輔はそれを活かす事が、できなかった。

 6秒後、英輔はマットの上にしりもちをついていた。

 

続く

 

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