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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(95)

 

 英輔は、絵志の打撃に、しりもちをつくように倒れた。

「ワン、ツー」

 審判が、無常にカウントを始める。

 絵志は、英輔が自分のパンチで倒れたにも関わらず、倒れた英輔にとどめを刺す、つまり組み技に移行することはなかった。

 自分の打撃に絶対の自信を持っている……訳ではない。自分の不利な組み技は、相手に倒れるほどのダメージがあってもやりたくはないのだ。

 それは英輔の組み技の実力を十分に認めているからだ。怖い相手の得意な領域には、入りたくない、いや、入らない方が利口だ。

 もし、組み技を狙ってきたなら、まだ英輔にもチャンスはあっただろうに。

「英輔さん!」

「立て、英輔!」

 安部道場の面々が、英輔に声援を送っている。打撃を受けた相手に無責任な発言だが、英輔なら立てる、と思っているのだ。しかし、そんな中、葵だけは違った。

 英輔を応援せずに、とまどったような顔をしてつぶやいていた。

「でも、今のは……」

「葵ちゃん、応援!」

「う、うん、でも……」

 美紀に言われても、葵は応援しなかった。英輔を応援するのが嫌なわけではない。ダメージのある者に、応援と言うのは以外に効くものだ。そういう意味では、どなってでも応援するべきなのかも知れない。

「スリー、フォー」

 のろのろと英輔は立ち上がろうとしている。まだ完全にKOされるだけのダメージは受けていないようだった。もっとも、英輔が立ち上がろうとしているだけで、すでに立てないダメージを負っている可能性はあるのだだ。

「ファイブ、シックス」

「だって、さっき英輔さんが倒れたジャブ、大してダメージないはずなのに……」

 葵はちゃんと見ていた。英輔にどれだけのクリーンヒットが入るかを。それを考えれば、6秒という時間はよく持ったものだが、英輔が本気であるなら、後数秒はもったはずだ。

「セブン、エイト……」

 英輔は、ここでやっと構えを取った。立ち上がっても、構えを取らなければ、戦意喪失と取られるのだ。審判が英輔に意識の確認をしている。

「大丈夫かい?」

「はい、問題ありません」

 英輔の声ははっきりしていたし、目の光もいつも通り、つまり闘志にあふれかえっていた。

 そう、KOされるほどのダメージでも、倒れるほどのダメージでもなかった。

 英輔は、ダウンを取られることで、相手のラッシュから逃げたのだ。

 エクストリームは、実は組み技系の選手に有利にできている。倒れた相手に対する打撃が使えないのだから、打撃系の選手は相手に倒れられたら何もできないのだ。

 だが、もちろんそんなことを許されるわけがなく、防御のためにわざと倒れるのは反則で、一度ぐらいなら反則負けにはならないだろうが、採点はかなり辛くなるし、故意にニ、三度もやれば反則負けになるだろう。

 英輔は、全力ならば後数秒もつというのはわかっていたろうが、それはKOされるまでの時間と同義語だった。

 だから、反対に我慢せずに軽い打撃で倒れたのだ。ダメージの蓄積はあるだろうから、立ち上がる間にダメージを抜くこともできる。時間もかせげる。

 ただし、絶対に判定勝ちはなくなる逃げ方だった。

 英輔は、どうしようもないピンチを、ほんの少し延命したにすぎないのだ。

 それでも、それは一発というチャンスを生む可能性を残したという、大きなものでもある。

 葵なら反対に、あんな場面で英輔のような大それたことは思いもつかなかったろう。

 反則ではない、審判は故意とは感じなかったようだし、英輔には倒れるだけのダメージの蓄積はあったはずだ。

 次につなぐための、苦肉の策ではあるが、それでも、英輔はその危機を乗り越えた。

 絵志本人も、感触はそれなりにあっただろうし、ラッシュの途中の一打撃の威力など気にしている余裕はなかっただろう。それが証拠に、すぐにでも英輔を襲えるように構えを解いていない。

 絵志は、このラウンドで決めれると思っている。いや、決めなくてはならないのだ。絵志にとっても、英輔は恐ろしいのだから。

「ファイトッ!」

 審判は、英輔がまだ戦えると判断し、手を交差させた。

 絵志がそれと同時に英輔に向かって走りこむ。と止めを刺すつもりなのだ。絵志にとっても、英輔を倒せる機会など、今しかない。

 これが、おそらく最後のチャンス。

 英輔は、前に出た。それがギリギリの戦いであろうとも、今出なければ、一生勝ちなどない。

 いや、心配するだけ無駄だと、葵は思った。

 英輔は負けることはあっても、前に出ないなんて、英輔の闘志からはない。

 バシッ!

 脚を止めるための絵志のローキックを、英輔は意に返さなかった。ローキック一発では、少なくとも倒れることはない、それで十分なのだ。

 ガシッ!

 絵志は、それでも攻撃の手を休めなかった。英輔のテンプルに、右フックが入る。普通なら、KOされるだろう打撃だ。

 だが、英輔は耐えた。最初からフックを受けるつもりだったのだ。絵志のフックが入るということは、英輔が相手をつかめる距離、ということだ。

 フックをかいくぐるようにして、英輔の両腕が絵志の首を捉えた。

 絵志は瞬間に腰を落とし、左フックを放つ。

 両腕を相手をつかむことに使っている英輔は、それでも頭をかがめて絵志の左フックを外す。

 しかし、すぐに右フックの返しがあるだろう。

 一ラウンド目は、意表をつく倒れ方で何とか相手を引きずりこむことができたが、次は絵志もわかっているので耐えるはずだ。しかし、普通の投げも決まるとは思えないし、この後、英輔は何につなぐつもりなのだろうか。

 絵志は、腰を落としたまま、右の拳を返した。しかも、今度は英輔の脇にだ。

 ドスッ!

 英輔の顔が苦痛にゆがむ。両腕を使っているので、脇はほとんどがら空きなのだ。それは打撃の格好の目標だ。

 筋肉もつきにくい急所の脇腹を何度も打たれれば、それでKOされる可能性も十分、というより、それは遠くない話だ。

 絵志が、左の拳を構えたときに、英輔は動いた。相手を引きずり倒すのでもなく、投げるのでもなく、関節技に入るのでもなく。

 バカンッ!

 英輔の膝蹴りが、絵志のあごを打ち抜いていた。

 

続く

 

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