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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(96)

 

 首相撲からの膝、まさに王道の打撃、それをキックボクシングの絵志に、柔道家である英輔は決めてみせた。

 英輔は今度こそ、チャンスをものにしたのだ。

 英輔はダメージで動きの止まった絵志の右手首をつかむ。距離も、状態も、完璧だった。

 英輔の身体は、素早く絵志の下にもぐりこんでいた。と感じた瞬間には、絵志の身体は跳ね上げられていた。

 相手の身体と一緒に前転をするような一本背負い。

 一本背負いというのは、綺麗に決まれた柔道の技の中では一番と言っていいほど「痛くない」技なのだが、英輔の一本背負いは違った。相手の体重と、自分の体重をかけ、しかもあごを膝で強打されて意識も朦朧として受け身を取れない相手を、柔道のように畳やスプリングでやわらかくしてあるマットではない、表面以外は硬いマットの上に叩き付けたのだ。

 ドンッ!

 まるで重い打撃のような音を立てて、絵志の身体はマットに叩きつけられ、さらに上からかぶさるような英輔の身体でつぶされる。

 ほとんどKO間違いなしの投げだが、英輔は動きを止めない。

 絵志の上で身体を反転させると、仰向けに倒れた絵志の右脇から自分の左腕を入れ、右腕は絵志の首の下からまわし、がっちりと絵志の身体の下で手をロックした。

 仰向けに倒れている絵志の身体を上から押さえているように見える格好だったので、観客達は一瞬首をかしげた。それが柔道の押さえ込みに見えたのだ。柔道では相手の背中が床についた状態で三十秒たてば勝ちだが、ここはエクストリーム、そんなルールはない。

 葵にも、英輔が何をしているのか、すぐにはわからなかった。

 だが、反対に、安部道場の面々はガッツポーズを取る。

「やった!」

「今度こそ勝った!」

「え……」

「何ほうけてるのよ、葵ちゃん。英輔さんの、今度こそ勝ちよ!」

「でも、あれって……」

「片羽締めよ、あれはどうやっても逃げれないし、完璧に極まってるもの!」

 技の名前を聞いて、葵はやっとわかった。

 そもそも、柔道の試合では、絞めを極めるのなら、道着を使う。その方が確実だし、技のかかりも良い。

 しかし、こういう試合では、つかめない服であったり、上半身裸であったりする。柔道にとってははなはだ不利な条件だ。

 だが、その中でも、いくらかは相手の服を必要としない絞め技がある。それは裸締めであったり、今英輔がかけている片羽絞めであるのだ。

 葵も、詳しくは知らないので、今それを見て確認しているが、なるほどよくできている技だと思った。

 相手の首と、片方の腕をロックしている。これは前方から着る物なしに技をかけるのを自然に行えるようにするためには非常に理にかなっていたし、片腕を取られることによって、抜け難くもなっている。

 さらに、相手を上から押しつぶすような格好なので力や体重がかけやすく、これまた外すのは至難の技になる。

 さらに、自分の胸を相手の胸につけて呼吸を困難にさせ、またさらに自分の肩を相手の口や鼻に押し付け、息をするのを困難にさせている。

 これならば、自分の腕が相手の首に密着していなくとも、十分な効果が得られるだろう。

 葵は知らなかったが、さらに普通に立った状態で腕をあげて、肩を自分の耳に押し付けるような格好をすればわかるが、それだけで普通よりも息苦しくなるのだ。

「……うん、これは、逃げれない」

 葵が自分のことと考えても、逃げられる要素はない。どんなに暴れたところで、柔道で寝技をずっとやってきた英輔の寝技を外せる訳がないのだ。

 しかも、この技ならば、絵志の最大の武器を殺せる。

 どんなに関節が柔らかかろうとも、絞めを我慢できる人間などいないのだ。

 どんな屈強な男でも、首を絞められればそれで終わり。絞める方が非力であろうが、絞め技が完全に極まれば、数秒ともたない。

 完璧に極まったはずの関節技を返されながらも、英輔は考えていたのだ。いや、すでに試合が始まる前から考えていたのかもしれない。

 それが証拠に、英輔は最後の膝蹴り以外、ほとんど打撃を見せなかった。確かにキックボクサーには劣るかもしれないが、それでも戦略の一つとして使えるだけの打撃の実力があるにも関わらずだ。

 そして、予定を外され、関節技から逃げられて、自分が追い詰められても、相手に攻撃をさせてスタミナを奪う。そう、英輔はただ相手の攻撃をしのいでいたのではない。相手のスタミナを削っていたのだ。

 下手をすればKOと言われて試合を止められる危険まで犯しながら、それを行い、今まで見せていなかった打撃で相手の動きを止める。

 投げが、方法によっては必殺技になりうることを理解し、その通りの投げで、相手を投げる。

 それでKOを取れるかもしれないのに、まだ確実ではないと、対関節の柔らかい相手用、そして上半身裸の相手に対しても使える絞め技、片羽締めを極める。

 本当に、一体いつから考えていたのか、葵にはわからなかった。

 対戦相手を見たときから、試合の始まる前から、試合をやっている間に、それとも、極める最後の最後まで?

 それとも、本当に考えていなかったのか?

 葵にはできない試合の運び方だ。しかし、きっと、方法や戦略は違えど、それが浩之にはできるだろう。

 当然、綾香にもできる。坂下にはできないかもしれない。

 本当に、世の中は不公平にできているのだ。所詮、葵のような凡人には及びもしない場所で、彼ら、彼女らは戦ってるのだろう。

 天才というのは、本当に……

 ぱんぱんっと絵志がマットを二回叩く。

「それまで!」

 審判の合図に、観客や、安部道場の面々が沸く。

「やった!」

「よしっ!」

「英輔さん、かっこいい〜!」

 それでも最後の最後まで我慢していたのだろう、負けた絵志が咳き込んでいる。その絵志を、少し申し訳ないような顔で見ながらも、英輔は手を差し伸べなかった。

 勝った者が、負けた者に対して言える言葉などないのだ。

 絵志は、審判をふり切って立ち上がると、もとの試合位置に戻った。負けたことはわかっていても、ちゃんと最後まで聞かないと納得できないのだろう。

 負けて、はいそうですかと言える人間は、こんなところにはいない。

「勝者、藤木英輔選手!」

 審判が、腕を英輔の方に振り上げた。それで観客と、安部道場の面々と、葵はまた沸く。

 本当に、どうして天才達は、こう強いのだろう。

 葵は、自分の中で燃え上がるものを、英輔と同じぐらいは隠して、勝った英輔を迎え入れた。

「おめでとうございます、英輔さん」

「ありがとう、松原さん」

「あーあ、顔がにやけてるよ」

「ゆるしてやれよ、勝ったんだからさ」

 もちろん、安部道場の面々は、英輔を暖かい冷やかしの声で迎えた。

 

続く

 

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