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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(97)

 

 葵は試合着に着替えていた。

 名前の通り、青色を基調にしたスパッツと、同じく青色の身体にフィットした首から覆われたウェットスーツの上に、今はシャツを着ている。

 もちろん、試合ではこのシャツは脱ぐ。スパッツもウェットスーツも、簡単につかまれたりしないように、葵の身体に合わせて作ってある上、生地も葵の動きを妨げない程度に硬いので、つかむのはほとんど無理だろう。

 綾香からの贈り物だ。葵はそういうことに無頓着であるから、空手着ならまだしも、下手をすれば体操服で試合に出かねないと綾香が危惧してのことだ。実際、葵は空手着では不利なので、体操服の方がいいかとさえ思っていたのだ。

 空手着は、確かに柔道のように、組み技専用に作られたものではないが、それでもつかみやすい。打撃だけでなく、組み技も許された試合に空手着で出るのは勇気のいることというか、無謀と言えよう。

 実際、空手着で出ている打撃系の選手は少ない。男子でもまだ空手着を着て残っているのは、あの寺町ぐらいのものだ。しかも寺町は、組み技は素人でも、そのバカ力がある。それに比べ、葵は女子の中でもかなり華奢なのだ。

 まあ、その華奢な身体で、平気で浩之をKOしてしまうのだから、見た目というのはあまりあてにならないが、葵も腕力に関してはあまり自信がない。

 そうなれば、つかみ難い試合着を選ぶのは、しごく当然のこと。それだけでも、かなり葵は試合を有利に運べるだろう。

「どう、葵。動きにくいことない?」

 葵はくいくいと身体をひねってみたり、脚をあげてみたりしているが、まるで自分の身体に合わせて作ったようにぴったりだった。

「すごく動きやすいです。それに、かなりつかみ難いですね、これ」

 葵が自分でひっぱっても、なかなかつかむのは難しい。しかも葵は動くのだ。この服ならば、服をつかまれるという危険はほとんどないだろう。

「まあ、葵用に特注したしね」

「でも、いいんですか? こんな高価そうなものをいただいて」

 特注もそうだが、こんな格闘技専門の服など、普通はどこにも売っていない。需要がないのだから当たり前なのだが、そうなれば、価格はかなり高くなるはずだ。

「いいのいいの、私からのエクストリーム初参戦のお祝いよ。地区大会優勝の前祝いと思ってもらってもいいわ」

「そんな、優勝なんて……」

「大丈夫、葵ちゃんならやれるって」

「センパイまで……」

 浩之は無責任に言い放ち、さらに言葉を続ける。

「それだけ葵ちゃんは練習してきたろ? だったら自分を信じなくちゃ」

 何度も何度も聞いてきた言葉のはずなのだが、何故か、今でも聞いただけで胸に何かぐっとくるものがあった。綾香の手前、それは隠したが、もしかしたら、浩之と二人っきりなら、涙ぐらい出てきたかもしれない。

「……はいっ!」

 葵の表情が明るくなった。試合が近づいてきたので、だいぶ緊張の色が見えていたのだが、浩之の一言二言で、緊張はかなりほぐれたようだった。

「にしても、浩之。情けない格好でかっこよく決めても、よけいに滑稽なだけよ」

「うるせー、俺も試合が近いんだ。休んで何が悪い」

 浩之は、まだ綾香の膝枕で寝転んだままだった。英輔の試合を見に行こうとしたのだが「休んでなくて勝てる相手じゃないでしょ」と綾香に止められたのだ。

 次の浩之の相手、あの天然バカでありながら、格闘センスと、その打撃は否が応でも光る、寺町に、ダメージの残った状態で勝てないのは事実。

 しかし、ダメージがあろうとなかろうと、勝てないかもしれないのはやはりどうしようもない事実。

 だが、当の本人の浩之は、あきらめてはいないだろう。だからこそ恥ずかしいながら綾香の膝枕に断腸の思いで、もしかしたらかなり喜んでいるのかもしれないが、ねっころがって回復をはかっているのだ。

 試合の間に身体を冷やすのもあまり良くはないのだが、浩之の場合は、受けたダメージの方が深刻だ。身体からはまだほてりが消えておらず、痛みも少しずつひいてはきているが、完調にはほど遠い。

 自分の心配など、している暇はないだろうに、と葵は思った。

 もちろん、浩之にはげましてもらうのは嬉しい。それだけで、胸の奥から熱いものがこみあげてくる。上がり癖で、試合では今までほとんどいい結果を残せなかった葵が、野試合とは言え、坂下に勝ったのは、やはり浩之がいてこそだと、葵はつくづく思う。

 今もそうだ。ダメージは深刻で、本当ならずっと寝ておきたいだろう浩之は、身体を休めながらも、葵の心配をして、はげましてくれるのだ。

 人の心配をしているときではないのだ。葵の心配をするぐらいなら、その分休んだ方が、次の試合に有効なのは火を見るより明らか。

 それでも、葵は確かに励まして欲しいと思った。浩之がはげましてくれれば、地区大会優勝もできるのではないかという気分になってくる。

「……で、あの柔道家は勝ったのか?」

「はい、膝蹴りから一本背負い、最後は片羽締めで決めました。相手もかなり強かったですが、英輔さんの作戦勝ちですね」

 作戦?

 葵は、自分で言っておきながら、少しおかしくなった。

 打撃を何度も受けて、ぎりぎりの所をわたって極めたと思った関節技を外されて、KOしかかって、それが、作戦?

 否、あんなもの作戦でも何でもない。特攻が作戦というなら、自暴自棄になった者が負ける道理などない。

 英輔は、そして浩之も、自暴自棄にもなっていなければ、特攻もしない。だからと言って、作戦をたてているわけでもない。

 完璧な実力だ。

 英輔の相手は強かった。実際、組み技有利のこの大会で、ほとんど英輔の動きを封じたのだ。組み技に対しての対抗策もよく練られていた。

 強かった、英輔よりも、格闘の技だけ見れば強かったのかもしれない。

 だが、勝ったのは英輔。そして勝ったのは、葵は少しも疑っていなかった、いや、信じ切った、浩之だった。

 実力は、相手よりもこの二人の方がまさっていたのだ。何も奇抜な作戦で勝っているのではない。

 この次も、葵は信じている。浩之が勝ち、英輔が勝つ。二人の決勝戦は、それだけ面白いだろうか。どれだけ、葵の心を躍らせるだろうか。

「まあ、順当ってやつか。俺もがんばらないとなあ」

 ダメージは、確実に浩之の方が多い。相手も、北条桃矢はかなり強いが、こと怖さという面においては、寺町はかなり怖い。

 浩之の方が、不利だろう。

 それでも、葵は浩之を応援する。最初からそう決めていたし、英輔には悪いが、何より葵にとって、藤田浩之という男は、大切なのだ。

「ほら、葵も準備運動始めたら。とりあえず、浩之が立ち上がれるようになったらスパーリングの相手してあげるから」

「それは俺にさっさとどけってことか」

「脚がそろそろしびれてきたのは確かね」

 軽口を叩く二人が、まぶしく見えるのも、やはりそのせいなのだろう。膝枕をしている綾香が、少しうらやましいのも事実。

「私もがんばります、だから、センパイもがんばってください」

 自分勝手なことを言っているという自覚はあった。でも、今浩之にかけれる言葉など、これぐらいしかないのだ。

「これは責任重大だな」

 そう言っているわりには、浩之の顔には自信があるように見えた、のは葵の少しばかりひいき目だったのかもしれない。

 

続く

 

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