流れる汗、荒い息。
おまけのようについてくる、全身を覆う疲労感と痛み。
それでも、寺町は膝を屈さなかった。
「ほら、もう終わり!?」
息を整えている寺町を、中谷から見ると鬼の形相で坂下が怒鳴っている。
「ま、まだまだ!」
明らかに虚勢とも思える状態で寺町は自慢(?)の大きな声で怒鳴り返すと、それでも構えを取った。
いつもの、右腕が高く構えられた独自の片角。いや、誰かの技の真似と言うには失礼だろう。それは、実際独自の戦い方だし、独自の拳だ。
「せいやぁっ!」
ビュンッ!
疲労でぼろぼろの身体でも、打ち下ろしの正拳突きだけは、はっきり他の打撃とスピードが違った。
だが、その打ち下ろしの正拳突きを、坂下は難なくかわして、寺町の懐にもぐりこむ。偵察に来ている選手や、見物人が驚くほどの身のこなしだ。
「フッ!」
ドスッ!
坂下の悶絶物の左ボディーが綺麗に寺町の脇腹に決まるが、鍛えに鍛えた腹筋はその程度ではびくともしない。
と言うわけにはいかなかった。今日さっきから、何度ボディーを受けたかわからないのだ。しかも、疲労とダメージでかなり脚にきている。
動きのにぶった寺町の脚に容赦のないローキックを、決め、坂下はさらに返す刀、ではなく返す拳で寺町のあごを捉えた。
重い手ごたえと共に、寺町の身体が派手に後ろに吹き飛ぶ。
「ふーっ」
坂下が、一息で息を整えるが、寺町は起き上がって来る気配さえない。
「ひ、ひでえ」
「何だ、あっちの女」
「どっかのチャンピオンとかじゃないのか?」
「いやいや、きっと新しい戦闘用メイドロボだろ」
見物人は口々に言いたい事をつぶやきあっているが、誰一人として坂下とは目をあわせようとしないし、坂下がまわりを見ると、あわてて顔をそらす。
もう二度も恐ろしいKOシーンを見せた、ナックルプリンスの、今では地区大会優勝候補の大男が、さっきから大柄とは言え、女に手も足も出ずにボコボコにされているのだ。しかも、女の方も、鬼のように寺町を倒しては怒鳴って起き上がらせている。
寺町は確かにダメージをかなり負っているし、疲労も間違いなくある。しかし、そんなことを除いても、坂下の方が強いのだ。
さっきから中谷が数えるだけで五回はKOされていた。いや、十秒以上寝転んでいてもKOとするなら、十三回はやられているだろう。
だが、寺町も寺町だ。それだけやられても、立ち上がって構え、さらにそこから自分でしかけるのだ。もっとも、そのことごとくをカウンターされているので、立つ瀬というのはないだろうが、元々そんなことを気にする 人間ではないので、中谷も気にしないというか、あきらめて見ていた。
どうせ、止めたところで聞きはすまい。力ずくという手もないでもないが、中谷とてダメージが残っているし、このボロボロの寺町を実力で止めれるなどと思い上がってはいない。
よしんば、運よく実力で止めたとして、次の試合は間違いなく棄権だ。今平気、というほどではないが少なくとも顔の傷の血が止まっているのが奇跡のようなものなのに、これでさらにダメージが増えれば、寺町が平気と言ってもとめられるのは目に見えていた。
もっとも、それでなくとも、今の状態で止められない理由もないのだが。
「あ、立った」
観客の誰かが言ったのか、中谷が見ると、確かに寺町は立ち上がっていた。しかも、しょうこりもなく構えを取っている。
「まだ、まだ」
「根性はみとめてあげるよ。でも、そんな身体で、私に一撃でも入れれるのかい?」
無理だ、だいたい元気な状態でさえボッコボコなのに、今の状態でこれ以上何ができるつもりなのだろうか。
まあ、そんなことを言ったって、聞く寺町ではない。中谷がそのことを一番理解していたから、大きくため息をつくだけなのだ。
大きくため息をついて、無駄と知りながらも、止めるのも自分の役目と、よく心得ていた。
「坂下さん、そろそろやめてもいいんではないでしょうか?」
「いいから、ひっこんでろ、中谷」
そんな状態でも、人並みの声が出ているのは、寺町がもとから大声で話す人間だかただろう。つまり、だいぶ弱っているということだ。
坂下も、こきこきと首をならしながら、止める気配はない。
「私は、このバカに相手してくれって言われているだけだからね。こいつが止める気ならさっさと止めたいんだけどね」
とか言いながら、ちゃんと空手着も用意しているわ、倒れている寺町を挑発するわ、あきらかに坂下も確信じみていた。
「……坂下さん、もしかして、さっきまでの試合で、ちょっとやる気でちゃってます?」
ぎくっと坂下の顔に大きな汗マークが出るのを、中谷は見逃さなかったというか、あきらかにそれが理由というわけだ。
坂下は格闘技をやる。しかも寺町をボコボコにするレベルでだ。当然、格闘技の試合を、しかもあんな白熱した試合を観れば、血がたぎるのは仕方ないというものだろう。
ま、このさい坂下の方はいいとして、寺町も、きっとそうなのだ。血がたぎって仕方ないのだ。
さっき、相手をKOした瞬間は、少しは落ち着いていたのかもしれないが、それだけ押さえれるほど、寺町は一般人ではない。
かなりの変態なのだ。後輩の中谷がKOされて喜んでいるのだから。
次の相手は藤田浩之。格闘技を始めて大して時間もたってないというのに、中谷をKOし、準決勝に進んだ天才。
独特の戦略と、どこで覚えたのか、セオリーにはない動きさえしてくる。
それだけではない。寺町が見る限り、藤田浩之は、強い者に共通したものを持っている。
つまり、強さ。
どんな状況、どんな実力差、どんな形式においても、何故か勝つ。そういう一種神通力じみたものを持ち合わせた人種。
だから、寺町はたぎっていた。
次の試合まで待てない。自分のコンディションぎりぎりまで、戦っていなければ、押さえようがない。
いいかげん、限界を優に超しているだろうと中谷などは思っている状態でも、寺町の中のたぎりは、いっこうに収まる気配はないのだ。
「もう……一度!」
「よく言った、さあ、来なっ!」
ついでに、きっと寺町以外にも、もう一人血がたぎっているのは間違いなさそうだった。
ズバンッ!
寺町の身体が、もう一度宙を舞った。
続く