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最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(99)

 

 遠くの方から、歓声が響いてくる。しかし、それもこことは遠い世界のことだ。

 うららかな、初夏の日。

 少し暑くなってきた今日でも、こうして木陰の下で寝そべっていれば、吹いてくる風が心地よい涼しさとなって感じれる。

 ついでに、枕がいい。

 さっきまでの風流な考えはどこへやら、浩之は一気に現実に戻ってきた。ついでに、鼻の下辺りが伸びている気もする。

「何鼻の下のばしてるのよ」

 ギュッ

「いででで、もっとやさしくしてくれよ、綾香」

「エロ大魔神に何か言われたくないわね」

 綾香はそう言いながらも、浩之を膝枕したまま、腕をむにむにともんでいる。

「……なあ、それって効果あるのか?」

 マッサージらしいが、たまに修治に受けるマッサージと違い、大して効いている感じはしない。かわいい女の子、当然綾香のことだが、に腕をもんでもらうのは、気持ちはいいのだが、それはマッサージとかとは別の感覚だ。

「さあ?」

「さあってなあ……」

「仕方ないじゃない。浩之が膝の上からどかないんだから。そこに寝転がったら、本格的なやつやってあげるわよ」

 綾香はそう言って含み笑いをこぼした。

「いや、痛そうだからいい」

 綾香の含み笑いの意味を考え、浩之は辞退した。しかし、本当のことを言うと、この膝枕から動くのが嫌なだけなのだが。

 それを言わずとも、態度で十分理解しているのか、綾香は大きくため息をついた。

「ほんと、浩之って顔とは違って中年エロ親父よね」

「顔には自分でも自信あるんだ」

 浩之は、そう良い様に解釈することにした。中年エロ親父を否定するよりは、よほどかわいい行為だと自分でも自覚している辺りが怖い。

「言ってなさいよ。しっかし、この後の相手は強いってのに、えらい余裕よねえ」

「仕方ないだろ、それまでにゆっくり休みたいんだよ」

 ダメージは、完璧に抜けているとは言い難い。葵が気を利かせて自分は準備運動に行ったのも、浩之にとってはありがたかった。

 実のところ、綾香としゃべっている暇があるなら、休んでおく方が身体のためにはいいのかも知れない。

 しかし。

 しかし、だ。浩之は男。しかも中年エロ親父を否定しない、むしろ「そんなに謙遜した言い方でいいのか」と自分で言ってしまうかもしれないほどエロい。いや、青春真っ只中の男など、みなそんなものだろうが。

 その浩之が、綾香の膝枕の感触に、眠って過ごすなどできよう訳がない。

 この感触を感じると……

「……」

「どうしたの、浩之、顔しかめて。どっか痛いの?」

「痛いっていうか何と言うか……」

 綾香の膝枕で思い出される場面が、どれもこれも痛い場面であったので、さすがに浩之も思い出し「痛い」してしまった。

 今の状況も、痛い。身体の節々が痛いし、頭はがんがんしていた。だいぶ落ち着いては来たが、この後に続く試合に耐えれるとは到底思えない。

 いっそ、このまま綾香の膝枕で一日中寝ていたいとさえ思う。

 身体はボロボロで、次の試合には出るだけでも辛いかもしれない。それで勝つなど、夢物語のようなものだ。そんな浩之を見て、綾香は目を伏せて、やさしく、息がかかるほど耳元で語りかけた。

「浩之ぃ」

「ん?」

 綾香の声は、鈴の鳴るよな、天使の声だった。

「棄権はリンチよ」

 そういや、天使って異教徒や悪魔には残酷なんだよな……

 耳元、というより首元に近い綾香の、きっと牙の一つや二つぐらい常備してそうな紅い唇を見ながら、浩之はそんなことを思っていた。

「ここで嫌だって言ったら、きっと首を噛み千切られるんだろうなあ」

「そんなこと思ってても本人の前で口にしないでよ」

 せめて、浩之は思った。

 せめて、否定してくれよ。

 首元にあった綾香の顔が、いつの間にか浩之を上から見下ろしていた。目は、すごく優しそうで、唇は、紅くて。

 牙の一つ二つぐらいなら、見逃してもいいかと思う。

 優しく微笑んでいても、きっと顔を伏せて悲しんでいても、そんな偽りの顔には、浩之は騙されなかったろう。

 造形の美しさもある。それは否定しないし、大いに肯定してもいい。

 しかし、優しく微笑んでいても、悲しく泣いていても、絶対に消せない綾香の表情がある。

 それは生命の輝き。

 いや、言いすぎというか、かっこつけすぎだ。もっと庶民的なものだ。綾香は高貴かもしれないが、そういうものは関係ない。

「そういうことを言うと、腕の一本ぐらい噛み千切るわよ」

 綾香は、楽しそうに笑った。

 うん、これだ、間違いない。

 綾香の元気さ、明るい笑顔の魅力は、消せない。

 やはり、綾香は楽しそうに笑っているのが、一番かわいい。

「綾香」

「ん?」

「賭け、しないか?」

 ピクンッと綾香に動物の耳があったら反応していただろう。

「いいわよ。浩之が寺町に勝てたら、何でも一つ、言うこと聞いてあげる。でも、もし勝てなかったら……」

「ああ、綾香の言うことを、何でも一つ聞いてやるよ」

「のったわ、これで、負けれなくなったわね」

「だな、負けたら何されるかわからんからな」

 急に、身体にみなぎる力。

 命の危険を感じて、身体が活性化したわけではない。もっと、負けれなくなったのだ。

 いや、正確に言えば、今その瞬間、浩之は勝ちたくなったのだ。

 ニコニコ現金払いを信奉する浩之の身体は、綾香にだけは負けたくない。そう思っているのだ。

 綾香にだけは負けてはいけないのだ。それは浩之が綾香と知り合って、話すようになってから、一度として変わらない浩之の信念。

 もちろん、綾香は強い。並ではなく強い。どんな相手にでも相手の土俵でさえ勝ち越して来た浩之が、初めて味わった本物の壁だ。

 綾香にとっても、自分が初めての壁であって欲しい、と浩之は思った。

 壁を無視するわけにはいかない。目の前に立ちはだかるものを無視するには、二人とも色々なものに、恵まれすぎた。

 浩之は、本気なのだ。壁、などと言っては失礼だ。

 その花に、浩之は見惚れずにはおれない。そして、その全てに、負けるわけにはいかない。

 ただの花ならそれもよかろう。だが、浩之は、その美しき花に、綾香に本気なのだから。

 うぬぼれるなら、綾香もまた、自分に本気なのだ。

 そう、本気も本気だろう、自分の身が危険なほどに。

「……ちなみに、引き分けは?」

 綾香が、これほど優しく笑ったことを、浩之は見たことがなかったような気がした。それは、つまりこれほど外見だけで人は優しく笑えるのかという、限界に挑戦したような笑顔だった。

「エクストリームにはないというか、腕一本」

 ガブッ

「ギャーッ!」

 とりあえず、綾香は牙の一本ぐらいは常備しているのを、浩之は身を持って知らされることとなった。

 

続く

 

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