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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(1)

 

 アナウンスこそなかったが、浩之が体育館に入ってくると、自然と視線がそちらに向いた。

 横には、平然とした顔で綾香が伴っている。どういう噂をされているかはわからなかったが、ヒソヒソ声が浩之にも届いていた。

 観客もそうだが、残っている選手、おそらくは負けた選手も大勢いるのだろうが、それでも今だ試合場に残って試合を観るつもりのようだ。

 そして、浩之もここになって、初めて意識した。

 注目されているのだ。いや、綾香の関係で、さっきまでも十分注目はされていた。エクストリームのチャンピオンを伴う選手。そうなれば注目されない訳にはいかなかったのだが、今のこの場の雰囲気は、明らかにそれとは異質のものであった。

 浩之が注目されているのだ。綾香によりも、浩之自身に向けられた視線の方が多いのでは、と浩之は感じたのだ。

 それは、最初自意識過剰かともおもったが、今は特に神経が敏感になっているので、よけいに気になる。

「何おじけづいてるのよ」

 少し気おされたような態度を取る浩之に、後ろからついてきた綾香が背中を押す。

「いや、何か視線感じてな」

「当たり前じゃない」

 何を当然なことを、と綾香の顔は言っていた。

「ナックルプリンスの準決勝よ。注目されない訳がないじゃない」

「……そういやそうだったな」

 ということは、これに勝って、さらにもう一度勝てば、地区大会ながら、優勝ということになる。四回勝てば優勝なのだから、考えてみれば簡単な話である。

 ……て、んな訳ねえだろ。

 浩之の頭の中に、準決勝という言葉はなかった。最初から忘れていたわけではないのだが、そんなことに気を取られている余裕がなかったのが大きな原因だ。

 浩之の相手は、あの寺町。準決勝などとうかれている余裕など、どこを探してもない。

 本当なら、初めての公式戦で準決勝など、上がってしょうがない状況なのだろうが、そういう意味では非常に助かる話だ。

 寺町という強敵を前に、それ以外を考える余裕などなくなっているのだ。

 ブルッと浩之が身体を振るわせたのは、武者ぶるいだ。これから対峙、できることなら退治する強敵に対して、浩之の身体と心が反応しているのだ。

 だが、綾香は浩之のそんな気持ちに気付きながらも、ちょっと過大評価しすぎなのでは、と思っていた。

 いや、逆だ。浩之は寺町のことを正当に評価している。

 でも、自分を低く評価しているのだ。

 どちらも、ニ連続KOであがってきた猛者だ。確かに、ここまで残った選手は、北条桃矢の反則勝ちを除いて、ナックルプリンスではKOだけだったが、総合格闘技を目指した者達の中で、この結果はかなり凄いことなのだ。

 誰しもが綾香のように誰でもKOできるような強さを持っているわけではない。しかも、三ラウンドという限られた時間の中で、相手をKOしてしまうのは、凄いことなのだ。

 しかも、戦い方がいい。両方も逆転、しかも最後は強さを見せて逆転している。どちらの相手も十分強かっただろうに、それに勝つだけならまだしも、KOをしているのだ。

 どの観客も選手も、注目して当たり前なのだ。

「センパイッ!」

 葵が、浩之の姿を見つけて駆け寄ってくる。

「おう、葵ちゃん」

「調子は、どうですか?」

 葵はそう言って浩之の身体を心配そうに確認する。さっきまでダメージでろくに動けなかったのだ、心配して当然。

 しかし、浩之は一言で葵の心配をかき消した。

「絶好調さ」

 それは、いくらか強がりだったかもしれないが、身体はそうでも、浩之の意思は、確かに絶好調だった。

 浩之がそう言ったからには、葵はそれを信じる。少なくとも、表情ならば、信じれるだけのものが今の浩之にはある。

「ほら、この通り」

 シュビッ!

 浩之のストレートが、空を切った。

 辺りから、感嘆の声があがる。それほどに浩之のストレートの完成度は高かった。例え、身体が完調でなかろうとも、浩之の打撃は、間違いなく強くなっている。

 葵は、目をみはって、そして、間を置いてから、嬉しそうに笑って喜んだ。

「凄い、朝よりも、突きがよくなってます!」

「うむ、綾香に言われたら半信半疑だったが、葵ちゃんが言うなら間違いないだろう」

「何よ、私のときも同じようなこと言ったじゃない」

 ゴインッと綾香は手加減しながらも、ダメージの消えていない、しかもすぐに試合のひかえている浩之の頭をどついた。

 いや、正確な表現ならば、それは明らかに「殴った」だろう。

「……っ」

 浩之は、しばらく痛みでその場にうずくまっていたが、失笑の目線に気付いて、何とか立ち上がった。

「……あのなあ、綾香。注目されてるんだから、あんまり俺をピエロにせんでくれ」

「それは無理じゃない? 浩之がそういう立場にいるんだから」

 まったくその通り、とはさすがに言えない状況ではあったが、また殴られるのも嫌だったので、浩之は黙っておくことにした。

 しかし、浩之の意見云々は置いておいても、その様子はばっちり観客にも選手にも見られているので、押し殺した笑い後が浩之の耳にも届いていた。

 結局俺は道化って訳かよ……

 自分がかっこいい主人公になれるとは思ってはいないが、せめて決め場ぐらいは決めさせて欲しいものである。

 何せ、次の試合は見せ場も見せ場、下手をすれば瞬殺だし、うまく立ち回っても、それぐらいでは勝てない相手ではあるが、まかり間違ってもやっぱり勝てない気もするが、奇跡的に、仮に勝てたとすれば、ちゃんと決める場所は決められる、三枚目の主人公ぐらいにはなれるかもしれない。

 それほどの、強敵だ。

 浩之が入ってきた入り口とは反対側の入り口がざわつき始める。

 極端に大きいわけではない。確かに筋肉はかなり発達しているようには見えるが、ニメートルの巨人というわけではないのだ。

 だが、試合場に向かってくるそのバカの姿は、大きく見えた。

 あれが、浩之が戦わなくてはいけない相手。

 あれが、浩之が倒さなくてはいけない相手。

 寺町という、一般的な尺度から言えばバカだ。だが、その右腕から繰り出される打ち下ろしの正拳は、強敵をことごとく打ち滅ぼして、いや、文字通り殴り倒してきたのだ。

 ふっと寺町は遠くから浩之の方を向き、浩之の姿を見ると、嬉しそうにニカッと笑った。

 

続く

 

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