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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(3)

 

 すでに試合場に立つ寺町の顔は、恋人を待ち焦がれている、というのもあながち言い過ぎではないほどそわそわしているように見えた。

 何がそんなに嬉しいのか、と聞く気も浩之は起きなかった。

 これが、弱いものいじめをして嬉しがる男なら、どれだけましだったろうか。

 しかし、この二戦で力をつけてきた浩之は、確かに、強敵と寺町の中でも位置づけられているのだろう。

 いや、強敵ではない。きっと、楽しい相手とでも思っているのかもしれない。

 浩之も戦うのが段々楽しくなってはきているが、ここまで末期症状にはなりたくなかった。

 きっと戦いたくて禁断症状を起こしているのだろう寺町は、浩之が試合場に立ってこちらを見た瞬間に、表情を変えた。

 寺町の顔から、笑みが消える。そして、さっきまでは禁断症状なのかこらえ性がないのか、そわそわしていた気が、一気に浩之に向けられた。

 さっきまでの、楽しもうという気はどこかに吹き飛び、寺町の目にあるものは、間違いない殺意。

 殺す気はないから、殺意は違うのかもしれない。いわば、倒す気、倒気とでも言った方がいいのかも知れない。

 寺町に、油断どころか、今の状況でさえ隙一つない。

 まだ試合は始まってねえっつうの。

 浩之は、完璧に戦闘態勢に入っている寺町から目をそらした。気押されたわけではない、と言えば嘘だが、むしろ、寺町の気をそらして空回りさせる方がいいと思ったのだ。

 試合はまだ始まってはいなかったが、戦いは、すでに始まっているのだ。

 だから、転んだ子供が母親に助けを求めるように、綾香の方に視線を送ったのは、いささか逃げ腰としか言い様がないのかもしれない。

 綾香も、そんな浩之の逃げ腰に腹を立てたのか、ちょっとおかしそうに顔をしかめながらも、浩之の方を睨んでいる。

 子供じゃないんだから、こっち向かないの。

 綾香のお説教の言葉が聞こえてくるようだ。

 だが、浩之だって、ただ臆病風にふかれてそれをやっているわけではない。寺町は明らかにいれこみすぎている。普通ならば、隙を狙えるいい状況ではあるが、相手はあの寺町、そんな隙を見せてくれる保証はない。

 やる気のある相手の出鼻をくじくのは何が一番効果的か。

 つまり、興味のない態度を取ればいいのだ。それで大半の者は冷めてしまったり、空回りしたりする。

 そして、そこからおもむろに隙を狙えばいいのだ。

 浩之は狙っていた。オープニングヒットを。

 寺町はほぼ間違いなく、この調子なら試合が始まれば突っ込んでくるはずだ。しかし、こっちがやる気のない態度を取っていれば、まさかこっちから行くとは思うまい。

 何しろ、寺町の打ち下ろしの正拳を嫌というほど見せ付けられたのだ。どんな選手であろうとも、恐怖で足は鈍る。

 浩之だって、怖い。あの打撃の中に身体を突っ込むことを考えると、自分がただ自殺しに向かっているとしか思えない。

 だが、そこに盲点はある。

 まさかそんなことはしないだろう、という行為。それが一番効果があるのだ。それに、もしその可能性を考えていても、やはり予想外というのはある。

 綾香に助けを求める視線を送っているのは、演技ではない。だが、浩之はすでに覚悟を決めているのだ。

 覚悟を決めたからには、どんな情けなく見えても、勝つために最大の努力をするのは当然だ。

 しかし、それを考えると、目の前、と言っても視線は外しているが、の寺町の存在は不気味だった。

 寺町の一試合目の試合の運び方はうまかった。ボクシングをやっている相手の心理や、動き、防御までちゃんと読んでさし切る。

 それはまさに詰め将棋のように、ちゃんとした手順と予測を元に、あの試合の動きは全て寺町の手の中にあった。

 かと思えば、二試合目のように、相手の反則を、バカと力技で粉砕する。かなりのダメージを受けたはずなのに、終わってみれば、寺町の圧勝だった。

 さらに、おまけのとどめの一撃付きでだ。

 少なくとも、頭のまわるようには見えない。ということは、一回戦の試合運びは、たまたまか、または天然の実力だ。

 そして、ダメージを受けても反撃するその打たれ強さと精神力はこれまた並大抵のものではない。

 だが、それに反して、本当に試合に勝つ気があるのかは謎だ。

 二試合目はダメージを消すために最初は消極的な試合態度であった。しかし、あのときほど寺町が弱く見えた瞬間もなかった。

 それが、相手の反則でダメージを受けてから、とたんに積極的になった。その瞬間から、寺町の強さは格段にあがっているように浩之は感じていた。

 そして、身体に負担をかけるようなとどめの一撃。

 そこから導き出される寺町の人物像は、簡単なものだった。

 相手をKOすることには興味があるが、試合に勝つことには興味がない。

 それは、弱点だ。浩之はどう言われようと、試合に勝ちに来ている。そのためなら、逃げもするし、ルールを有効に使おうとも思う。

 だが、寺町にはそんな考えはないのだ。相手を正面から自分の身体でKOできれば、もちろんルールは守っているだろうが、試合には負けてもいいのではとさえ思っているように浩之には見えた。

 こちらの逃げを許してくれるような甘い相手ではないのは知っている。実際、二試合目の相手は逃げるのはあきらめて応戦した。そうしなければ、寺町の勢いに負けるのが明白だったからだ。

 だが、試合に勝つことをどうでもいいと思っているのは、何かの弱点になる可能性は高い。今は浩之もそれを有効に使う手を思いつかないが、何かの拍子に、それが勝敗を分けるときが来るかもしれない。

 もちろん、試合の勝敗だ。戦いの勝敗に、浩之は興味はない。

 もっとも、それで綾香が納得してくれるかどうかは謎だったが、試合に勝つことが賭けの対象。であれば、綾香はそれを許しているということだ。

 実力で勝る相手に逃げ勝っても、それはそれでがんばったこと……だと思いたいね。

 逃げは通じない相手であろうから、そんな心配は無用だ。実際、逃げれないというのは、浩之の戦略を少し狭めている。

 まあ、やってみればわかるさ。

 寺町は強いが、穴はある、だろう。大きな力であるだけに、それを行使したとき、どうしてもその反動が起きる、はずだ。

 殺気のみなぎりそうになったのを、浩之はあわてて切り替えて、いつものやる気のない表情を作った。

 寺町には、俺のやる気を悟らせては駄目だ。あくまで、油断させなくては。

 審判が試合場で、二人の間に立って、初めて浩之は寺町の方を向いた。表情はなるだけやる気のないように装ってだ。

「それでは、両者準備はいいね?」

「はいっ!」

「ああ」

 ここでも声にはなるだけやる気のなさを混ぜた。少し審判が顔をしかめたが、それも試合が始まれば演技だったとわかるだろう。

 胸の鼓動が速くなってくる。

 緊張する気持ちは痛いほどわかる。だが、もう少し、もう少しだけそれを悟られるな。

 審判が、腕をあげた。

「レディー……」

 浩之は、かまえないのもわざとらしいかと思い、構えを取った。

 だが、反対に、寺間は構えを取らなかった。

「ファイト!」

 

続く

 

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