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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(5)

 

 寺町の右の拳が、ゆっくりと円を画きながら動く。

 実にゆっくりで、その動き自体は何ら脅威ではないのだが、それに反して、観ている選手や観客達にさえ緊張が伝わっていく。

 くそっ、本当にバカのくせに、何でこううまいんだろうな。

 浩之は心の中で悪態をついた。表情にも出ていたかもしれない。

 寺町は、天然なのか意識してなのか、とにかく自分の右拳が相手に多大なプレッシャーを与えるのをよく心得ている。

 それを反対に使って、最初のように浩之の気をそらしたり、今のように、ただ構える、それだけの行為をえらくもったいぶってやることによって、浩之に重いプレッシャーをかける。

 さっきまでバカやってた人間とは思えない。きっと後ろにチャックがあって、中の人間が入れ替わっているんだろう。

 ふざけたことを考えながらも、浩之はゆっくりと構えを取る寺町にとびかかった。

 天然だろうが考えてだろうが、相手が作戦を使ってくるなら、つけいる隙は多いにある!

 相手にプレッシャーを与えるのは、うまい。だが、プレッシャーを与えているということは、その間は攻撃して来ないということだ。

 少なくとも、今右拳を上に構えていない間は、あの打ち下ろしの正拳は来ない。

 それでも危険はつきまとうが、どちらがましかは言う間でもなかった。だから、浩之は寺町に向かって飛び込んでいた。

 何度も何度も繰り返し行ってきた動きで、寺町との間をつめる。しかも、相手との距離を詰めるのには必要不可欠な瞬発力は、浩之には先天的に備わっている。

 打撃が打てるギリギリまで身体を落として、浩之は突っ込んでいた。

 通常、エクストリームならタックルを狙うところ。だが、寺町にはわかるはずだ。浩之がまだ打撃を打てるだけの余裕が体勢にあることを。

 とっさに、打撃か組み技かわからなくなる、その瞬間が、勝機。

 浩之と寺町の間が詰まるまでは、本当に少しの時間しかなかった。だが、寺町はその時間でも、浩之の動きを読めた。

 ほんの一瞬迷った末に、腰を落としたのだ。打撃が狙えると言っても、腰を落とした状態で十分防げるだけの打撃しか打ってこない、そう読んだのだろう。そして、タックルなら腰を落とせば振り切れる。

 それだけの寺町に自信があったのだから、その体勢になるのは当然だった。だが、当然というのは、浩之にとっては有利なことだった。

 かかった!

 浩之の読み通りに寺町は動いた。それが寺町の策であったとしても、こうなってしまったら、次の技は避けれない。

 浩之の身体がしずむ、しかし、それはタックルのための低姿勢ではない。

 飛ぶために、ふりをつけたのだ。

 タンッ

 走ったまま、まったく止まることなく、浩之は飛んでいた。

 タックルか、打撃か、確かにどっちか読んだろうが、さらにその読みを外す。

 空中からの、打撃!

 腰を落とした寺町には、走ったスピードも合わせて、避けることは不可能。

 飛んだ浩之を見て、寺町ほどの選手であれば、相手が何をしようとしたのかを十分理解できるはずだ。そして、無理があろうとそれに対応しようとする。

 だが、それさえも浩之の作戦の内。

 両腕をあげて頭をガードしようと寺町は腕を浮かした。それが、本当の浩之の狙いだった。

 通常、飛び技は横や上からの打撃のためのものだ。身体が上にあるのだから、その方が威力も高いし、やり易くもある。受ける相手も、上や横を警戒するのは当然だ。何せ相手は上にいるのだ。視線は上に向かう。

 浩之の蹴りは、下から振り上げられた。

 ドガッ!

 重い手ごたえ、いや、足ごたえを感じ、浩之はそのままバランスを崩してマットの上にしりもちをついた。

 防がれてない、決まった!

 とっとっ、と寺町は後ろに二三歩たたらを踏んでから、結局バランスを保てなくなって、そのまましりもちをついた。

 浩之がバランスを崩して倒れたのは、蹴りが寺町の身体を完全に捉えて、飛んだ威力だけでは飛ばせなかっただからだ。

 だが、つまりそれは蹴りの威力がそのまま寺町に伝わったということだ。

 腰を落として、ダメージを殺せない状態での飛び前蹴りだ。効かない訳がない。

 飛ぶという不意をつく行動に、さらにそこから下、という変則の打撃だ。いかに寺町とて、これを読むのは不可能。

 浩之は素早く立ち上がった。ここで倒れた寺町を捕まえれば、組み技を使わない寺町に勝てる。

 が、すでにそのときには寺町は片膝をついていた。

 あれを受けて立ち上がるかよ!

 それでも、片膝をついている状態のうちに、浩之は組み付くために飛びかかった。少なくとも、その体勢では体力差があっても寺町を倒せるはずなのだ。

 ダメージは消えてないはずだ、やせ我慢で立っても、先が見えている。

 だが、浩之の視界の隅、寺町の右拳は上で固められていた。

 やばいっ!

「っけぇぃ!」

 シュバッ!

 ぎりぎりで身体を横にそらして寺町と通りすぎた浩之のほほに、その打ち下ろし、いや、立ち上がり際の打ち上げの正拳突きがかすった。

 寺町は、気合いの掛け声と共に、立ち上がりながら正拳を放ったのだ。おそるべき身体能力であり、それより何より、無茶苦茶な男だ。

 浩之は、そのまま勢いを殺すように前転をして、素早く距離を取った。

 綾香のときに練習してたからいいが……

 タックルを完璧に見切られたときに使った逃げ方だ。相手の意表をつくので、ほぼ完璧に距離を取れる方法だが、綾香のときに練習していたとは言え、とっさに使えたのは浩之にとっても驚きだった。

 しかし、あそこで逃げれなかったら、カウンターで正拳が決まってたのは間違いない。

 ダメージがない訳がないので、いつもよりは威力が落ちたとしても、カウンターで寺町の正拳突きを受ける気にはならない。

 驚くべき二人の動きに、観客は歓声をあげているが、やっている方としては戦々恐々だ。

 浩之を睨むようにしながら、寺町は手を膝についている。

 少なくともダメージがあったことよりも、目でけん制しているとは言え、試合中に堂々と休む寺町の度胸に目がいく。

 ちゃんと、当たったはずだ。

 前蹴りがあごに決まれば、どんな屈強な大男でも倒れるはずだ。変則で、むしろ威力が落ちたとしても、いや、あの蹴りの感触は間違いなく十二分な威力の出た感触だった。

 浩之が迷っている間に、寺町は回復をすませたのか、上体を起こした。

 楽しそうに笑う表情は、獣そのものだった。

 

続く

 

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