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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(8)

 

 軽々、というのは、いつもならば誇張を混ぜて言われるのだが、少なくとも今回だけは、誇張は少しもなかった。

 バランスを崩したところに、打ち下ろしの正拳突きを受け、浩之は文字通り軽々と三、四メートル吹き飛んだ。

 その一撃の威力で、浩之はそのまま試合場のラインを超えて吹き飛び、無様な格好で倒れた。

「場外!」

 審判が冷静に言う中、観客はそのあまりの威力にワッと観戦をあげた。

 蹴りならまだしも、パンチで人間をあそこまで吹き飛ばすのは、無茶もいいところだ。

 審判に試合を止められて、寺町は不満そうな顔をして浩之に背を向けた。

 何とか……生きてるな。

 浩之は派手なリアクションとは裏腹に、すくっと立ち上がった。

「大丈夫だね?」

「はい、大丈夫です」

 審判に返す声も別段いつも通りだ。

 素人には一見派手に見えるが、浩之はわざと派手に吹き飛ばされたのだ。

 少なくとも、試合に出ているような選手なら見てわかるだろうし、自分の打撃の威力を殺されたのをわかっていて寺町も不満そうな顔をしたのだろう。

 浩之は、バランスを崩して避けようがなかったときに、わざと自分で足を浮かせたのだ。

 場外まで吹き飛んだのも、計算済みだ。しかし、それでも無様に倒れたのは、浩之の予測よりも打ち下ろしの正拳の威力が大きかったからだ。

 身体ごと飛べば、いかに練られた打撃とて威力は殺される。もっとも、寺町にダメージがなかったらそんな悠長なことはできなかったのだろうが、結果オーライというか、浩之にはそれしか手がなかったのだ。

 少なくとも、わざと外に出たのではないのだから、審判に注意されることもなければ、ダメージがないのも審判なら見てわかるだろう。

 最小の被害で、何とか自分のミスを消したのだ。

 もっとも、それに綾香が納得しているかどうかはわからなかったが、浩之としては怖いのであまり綾香の方は見たくなかった。

 案の定、綾香は不満そうな顔で浩之の方を睨んでいた。

「まったく、無様な戦い方して」

「で、でも、あの場合、一番いい方法だと思いますよ。それに、あそこまでとっさに動けるなんて、さすがセンパイだと私は思うんですが……」

 葵はそうフォローするが、綾香の不機嫌が治るわけでもない。

 もちろんわかっている。あのとき浩之の能力で行える逃げ方としては、最良を浩之は選んだ。それまでの攻めがお粗末だったから、あんなピンチを呼んだのだが、自分でどうにかしたのだし、そこを責める気はない。

 ただし、綾香の耳は葵よりも良いのだ。歓声の中の、浩之の無様に倒れた姿への失笑を、綾香は聞き逃さなかった。

 さすがに笑ったのが誰だったかまではわからなかったが、それがわかっていたら、かなり怖いことになっていたかもしれない。

 浩之はよくやっている。ちゃんと自分の実力を読んで、寺町の能力も読んで、何とかしようと努力している。

 報われる報われないは置いておいて、いや、浩之ほどの人間が努力すれば、ほとんどの確率で報われるのだが、綾香はその努力を笑う気はないし、けなす気もない

 それどころか、まったく反対だ。それを笑う者を、綾香が許せるわけがない。

 浩之に向かって悪態をついたのは、むしろ精一杯に理性を保った結果なのだ。

「自分で招いたピンチでしょ、もうちょっとしゃんと逃げなさいよ」

「……」

 葵は苦笑した。葵に言わせれば、綾香は浩之にとことん厳しい。愛のムチであるのは重々承知しているので、それが悪いとは思わないが、今はもっと一方的に、何があっても応援するべきではないか、などと生意気にも思ってしまう。

 少なくとも、今は浩之に対して悪態をつく場面ではないような気はしていた。

「センパイ、ファイトーッ!」

 なので、とりあえず葵は綾香よりも何倍か単純に、浩之に応援の声をかけた。

 葵の声はよく通る。騒がしい試合中でも、浩之の耳には届いた。

 かわいい後輩であり、師匠でもある葵の声援、こたえないわけにはいかなかったが、実は浩之はかなりせっぱつまっていた。

 打撃は見切られているようだし、タックルにもいけない。浩之の戦い方など、この程度しかないのだ。

 寺町は、すでに試合場の中心で右拳を上に構えて待っている。試合は中段されているのだが、その姿には隙がない。

 これだよ、この構えが嫌なんだ。

 浩之がさっきタックルを断念したのは、この構えのせいだった。

 試合にのぞんで、浩之はタックルを練習してきていた。だから、けっこう自分でも低い体勢からタックルができると思っているのだが、それは相手の攻撃をかいくぐれるという意味も持つ。

 上から来る打撃、当然タックルに行きやすい形なのだが……

 しかし、浩之は寺町のプレッシャーにあっさりと負けた。いや、プレッシャーなんて生易しいものではない。どう見てもそれは罠だった。

 腰を落として構えた浩之を上から見下ろす寺町は、明らかに狙っていた。

 ……上からの打撃ってのは、タックルにとっては嫌なもんだからな。

 綾香や坂下にボコにされた経験は、確かに浩之の中で生きていた。

 タックルで封じるのが容易い打撃は、前への打撃なのだ。だから、距離のある状況での正拳突きやフックなどは封じやすい。蹴りも、自分から距離を縮める体勢になるので、あまりダメージを受けない。

 だが、上から下への打撃は、何せタックルでは上は見えないので避け難いことこの上ないし、距離もあるのでふりは十分だ。

 鍛えれば瓦や氷の柱も折る空手家の手刀に、浩之が何度KOをくらったことか。

 その経験から言うと、打ち下ろしの正拳は、前の打撃にも、上からの打撃にもなりうる。威力だけではない、かなり理にかなっている。

 おそらく、不用意に踏み込めば、寺町は待ってましたとばかりに浩之を打ち落としていたはずだ。

 さて、一体どうしたものやら。

 浩之は、距離を取りながら、思案にあけくれた。

 寺町のダメージを回復させる時間を与えてるとしても、手がないのでは、さっきのように反撃されるのが目に見えている。つまり、もううかつに手の出せるダメージは残っていないということだ。

 まったく、困った相手だぜ、本当にな。

 そう思う浩之の顔は、どことなく笑っているように見えた。

 

続く

 

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