作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(9)

 

「よくもまあ、おめおめと帰ってこれたもんね」

 一ラウンドが終わって、浩之は綾香達のところに戻ってきた。

 あれから、結局浩之は逃げ腰で時間を過ぎるのを待つことしかできなかった。それだけでも、寺町から逃げ切るのは大変なのだから、よくやったのかもしれないが、そんな言い訳を綾香が聞いてくれるとは、浩之は思っていない。

 予想通り、帰ってきた浩之にかけられた第一声は、綾香の突っ込みだった。

「浩之、逃げてばっかりでどうするのよ」

 浩之は、とりあえずその言葉を無視して、葵に話しかけた。

「葵ちゃん、ドリンク取ってくれるか?」

「はい、どうぞ」

 葵は待ってましたとばかりに水筒を浩之に渡す。浩之は、一口だけ葵の出したドリンクをストローから吸って、飲んだ。えらく緊張する試合だったので、喉は渇いていたが、試合中に水分をあまり多く取ると試合に響くので、一口だけだ。

「ありがとう、葵ちゃん。助かるよ」

 浩之はお礼を言って水筒を葵に返す。

「いえ、とんでもないです。それどころか、応援ぐらいしかできなくて心苦しいです。何かアドバイスぐらいできればいいんですけど……」

「何、葵ちゃんの応援ほど心強いものはないって」

「センパイ……」

 実際、二回戦は葵の応援があったからこそ勝ったようなものだ。葵の嬉しそうな顔も含めて、ないがしろにできるものではない。

 もっとも、今現在、横の方でかなり何かをないがしろにしていたりするのだが。

「……浩之?」

 無視された綾香の声が酷く優しくなったので、浩之はあわてて綾香の方を向いた。このまま無視していれば、綾香にKOされるかもしれないのだ。寺町に試合で負けるならともかく、休憩中に綾香にKOされて棄権、という事態は避けたかった。

「人がせっかく応援してるのに……無視?」

 どこが応援なのかさっぱりわからなかったが、綾香の頭の中ではそうなっているらしい。どうせそれを指摘しても命が危なくなるだけなので、浩之はその思いを心奥深くに隠しておくことにした。

 しかし、そのまま放置するには危険過ぎるので、仕方なく反応する。

「ま、まあ待て、綾香」

「何よ」

「とりあえず、試合中に暴力を振るうのはやめてくれ。KOされるにしても、時と場所を選びたい」

「……浩之、私のことどう思ってるのよ」

 じろりと綾香が浩之を睨む。

 どう思ってるかなど、もちろん愛しているのだが、今返すべき言葉としては間違っているし、何より、時と場所を浩之としては選びたいわけで、その半分本気の冗談は口に出さないことにした。

「確かに、俺は後半逃げたが、他に手がなかったんだから仕方ないだろうが。寺町も、もう隙をつけるダメージは残ってなかったしな」

 寺町のダメージも、すでに一ラウンド後半になると、ほとんど抜けていたようだし、そんな状況でうかつに攻めたら、返り討ちされるに決まっている。

「のわりには余裕そうな顔してたわね。後半、顔が笑ってたわよ」

「単なる強がりさ」

 あながち嘘でもない。笑っていたのは、だいぶ表情を作ったからだ。せっぱつまった顔などしていたら、相手の攻撃はもっときついものになっていただろう。まだ作戦があり、様子を見て隙を狙っている、そう思わせるための行為だ。

 心理戦が寺町にどれだけ効くかはわからないが、浩之のできること全てを使って総力戦をしているのだ。どんな小さな手だって浩之は使っていくつもりだった。

「でも実際なあ、笑っちまうぜ。全然つけいる隙がねえんだもんな。あの打ち下ろしの正拳でプレッシャーかけられて、タックルにはいけそうもないし、打撃はあっちの方が、一、二枚上手ときてやがる」

 つくづく、怖い相手だ。一撃、不完全でもダメージがあるように当てれたのが嘘のようだ。その後のピンチにいたっては、生きているのが不思議なぐらいだ。

「どうにもできないの?」

 綾香がそう訊ねてきたので、浩之は首をかしげながらも答えた。

「まあ……まず無理だな」

 綾香になら、寺町や浩之の実力など手に取るようにわかるだろう。浩之のスペックでどうにもできないと綾香が評価するなら、それはもう手がないということだ。

 だが、綾香は今になっても、言わない。

 もう十分無理だということはわかっているだろうに、まだ浩之には勝てない、といわないのだ。

 まあ、応援する方が駄目なんて言えば、できることもできなくなっちまうがな。

 綾香は、もしかしたら、少しの可能性にかけているのかもしれない。可能性が少しでもあれば、駄目などとは言わないはずだ。

 ……てことは、あるってことか。

 綾香が無駄な努力をよほど重要と思わない限り、綾香なら言うはずだ。浩之には絶対に寺町には勝てないと。

 だが、綾香の口にしたのは、まったく正反対だった。

「浩之、一撃、当てれたわね」

「ああ、一撃必殺、とはいかなかったけどな」

「それで十分よ」

 綾香の応援の言葉は、それで十分。それだけで、浩之には十分伝わっていた。

 あくせく戦略を練って、色々フェイントを織り交ぜて、相手の反応まで読んで、そうやった結果、浩之は一撃なりとも寺町に打撃を当てたのだ。

 何より、結果が出ている。

 一ラウンドが終わっても、浩之はダメージを受けずにここに戻って来れた。寺町は、手加減などせずに、浩之を倒そうとしているのにだ。

 打つ手がないのは、浩之もそうであるが、冷静に考えれば、寺町もそうなのだ。オープニングヒットを許し、そこから起死回生で決定的な隙をついたはずなのに、それも逃げられている。

 浩之は、逃げて一ラウンド耐えたと思っていた。だが、それは半分違っている。実力に差があるならば、逃げようが何をしようが、KOされていたはずだ。

 寺町も、一ラウンドの後半は逃げていたのだ。何とか隙をうかがいながらも、ダメージの回復をはかり、そして無駄に時間を重ねるしかなかった。

「そうか」

「そうよ」

 葵が綾香と浩之を不思議そうな顔で見ている。二人の話の内容をつかめなかったのだ。少なくとも、葵には決してアドバイスをしているようには見えなかった。

 だが、浩之には最高のアドバイスだった。

 浩之の心は、少し苦戦した程度では折れないが、それでも、ちゃんと自分の力が通じているのを教えてもらうのは力になる。

「スタミナは?」

「大丈夫だ、まだそんなに疲れてない」

「ダメージは、ないわよね」

「ああ、逃げてたからな」

「よし、それじゃあ……」

 ぴっと綾香は試合場を指差した。

「今度はもうちょっとかっこよく戦ってきなさいよ」

 さすがに、まかせとけとはいえなかった。かわりに、自分のできる最大のことをやるつもりで、試合場に向かった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む