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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(13)

 

 パアンッ!

 今度こそ、ガードなしの寺町の顔面に、右ストレートを浩之は叩き込んだ。

「あれはっ!」

 叫んだのは、坂下と寺町のセコンドにつくために、綾香達と離れていた中谷だった。叫びたくもなる、それは、前の試合で散々浩之を苦しめた自分の得意技だったのだから。

 左のショートフックで打撃を弾く。弾かれた後は、片手はガードには使えないし、間の悪いことに、寺町は渾身の力を入れていて、上体も一緒に泳いでしまった。

 しかも、寺町の右は上に構えられている。避けようもない打撃だった。

「センパイ!」

「やった!」

 一瞬前とは違う意味で、綾香も葵も叫んでいた。

 これは間違いないクリーンヒットだった。いかにダメージに強い寺町でも、我慢できるレベルを当に超えているはずだ。

 ぐらりっと寺町の上体が後ろに傾く。

 浩之は、極度の緊張と悲鳴の上がるような無茶な動きをさせた身体の調子をはかった。無理をすれば動ける、浩之はそう判断した。

 まさに、緊張の一瞬だったのだ。

 浩之が、二ラウンドが始まってからずっと狙っていたのはこの左のショートフックだった。

 他の戦略は、その状況を作るためのオプションみたいなものだ。

 左のショートフックで相手の打撃を弾いて、一撃を入れる。それには色々な制約があった。

 まず、打ち下ろしの正拳には無理な話だった。スピードが速すぎる上に、あまりにも重い。下手をすれば左フックごと持っていかれる可能性もあったし、あまりにも怖くて、浩之もそんなことはしたくなかった。

 通常の打撃でも、それは難しいかもしれないが、一番いいのは、打ち下ろしの正拳を打った後に、左のストレートを弾くこと。これがベストだった。

 むろん、そのためには右の打ち下ろしの正拳突き以外の打撃も使わせる必要があったし、何より、打ち下ろしの正拳を一度避ける必要があった。

 他にも、寺町に攻戦一方に回られるのは避けたかった。そんな状態で捌ききれるとは思えなかったのだ。だからそこは相打ち狙いや、誘いなど、むしろ寺町が待ちに回るような作戦だけを実行した。

 そして、その一瞬の、まさにベストの状態での賭け、その状態まで持っていって、さらに打ち下ろしの正拳を避け、左のショートフックで打撃を弾くまでの、長く分の悪い賭けに、浩之は勝ったのだ。

 右のストレートの手ごたえは、間違いなかった。いかに打たれ強い寺町でも、これは倒れる。

 倒れた後に追い討ちで組み技に持っていけば、勝てる。

 どんなに寺町が組み技が逃げるのがうまくとも、それは少なくとも浩之の方に分があり、かつ、寺町のダメージは小さくない。

 本当はもう動きたくもなかったが、浩之は弱音を吐く身体を引きずるように、というにはあまりにも素早く倒れそうな寺町に組みかかった。

 寺町の巨体が、ゆっくりと後ろに倒れる。

 ゾクリッ

 と同時に湧き上がった寒気に、浩之は上体を後ろにそらしていた。

 ブンッ!

 倒れる勢いを殺さずに身体とは反対に振り上げられた寺町の足が、さっきまで浩之のあごがあった場所を通りすぎた。

 寺町は肩をついてバク転しながら、倒れる勢いを利用して浩之を下から蹴り上げようとしたのだ。

 まだ動くのかよ、こいつっ!

 気分はゾンビを相手にしているようなものだった。それが無意識だったとしても、ダメージを受けながらも意識的だったにしても、その打撃には浩之を下がらせる効果があり、浩之はそのまましりもちをついて倒れた。

 寺町も、バク転の後は力尽きたようにうつぶせに倒れている。

 最後の、抵抗か?

 そのまま組み技に持っていかれれば、寺町の負けは決まっていたも同然だ。KOされるだけのダメージを負いながらも、寺町はそれに抵抗してみせたのかもしれない。

 だが、それこそ最後のあがき……

 ギンッ!

 怪物のように鋭い双眼が、立ち上がる前の浩之に向けられた。寺町は、倒れたそのままの姿で、顔だけをあげて浩之を睨んだのだ。

 こ、こいつ、不死身なのか?

 浩之はあわてて立ち上がったが、そのときには寺町も腕をついた状態まで起きていた。

 脚が……動かない。

 まるで寺町の睨みで固まってしまったかのように浩之の脚は動かなかった。理由はわかっている。負荷のかかる動きをやり過ぎたし、ダメージもまだ残っているのだ。これ以上は、「無理やり」でも動かない。

 そこから、無理やり動かせるようになるまでの少しの時間、しかし、それでも、寺町が立ち上がるには十分な時間だった。

 勝機を、逃したのか?

 一瞬浮かび上がるその気持ちに、浩之はあわてて自分で否定した。寺町はダメージを受けている。起死回生の蹴りは外したし、立ち上がったのも、無理やりのはずだ。

 まだ、俺の方が有利……

 浩之の考えを知ってか知らずか、寺町は右拳を上に構えることもせずに、一歩、二歩と浩之との距離をつめながら、口を開いた。

「フフフッ」

 試合中にも関わらず、突然、寺町が笑い出した。

「フハハハハッ」

 大きな声ではないが、浩之の背筋に悪寒を走らせるほどには、その声は狂気じみていた。

 いや、狂喜じみていた、と言った方が正しいのだろう。寺町は、実に嬉しそうだった。格闘バカの名に恥じない以上に、ダメージさえ楽しんでいるように見えた。

 理性か、はたまたこの男にとっては、平常さえも狂気なのか、知っている者から見ればいつもの顔で、寺町はまた一歩距離をつめる。

「やっぱり、こうじゃないとな……」

「君……」

 試合中に笑ったり話しかけたりする行為は、普通注意される行為であり、今回も至極当然なことで、審判が寺町を注意しようとして近寄った瞬間だった。

 寺町の姿が、浩之の視界から一瞬でかき消えた。

 なっ!?

 構えは取っていた浩之だが、思わず寺町の姿を探すためにガードが落ちた。視界を確保するためであったが、それはあまりにも浅はかだった。

 すぐに寺町の姿を浩之は見つけたが、そのとき、浩之は無防備になっていた。

 右側面から、寺町が左腕を大きく振りかぶっているのを、浩之は捉えた。

 こいつ、審判を死角にっ!

 寺町は近づいてきた審判の後ろに、素早く回り込んだのだ。まだ審判は試合を止めていないので、これは反則ではないし、故意に審判にふれてもいない。

 しかも、回り込むだけでは飽き足らず、そのまま浩之を打撃圏内に捕らえたのだ。

 むしろ、ここでこんな行為ができるのは、素直に凄かった。さっきあれほどのダメージを受けたもののできるスピードではなかった。

 だが、浩之がそんな感心する間を与えず、寺町は左の手刀を振り下ろした。

 

続く

 

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