インターバルなど、大した時間ではなかった。浩之のダメージを回復させるのには、まったくと言っていいほど時間が足りない。
しかし、完全回復までの時間など、両方にないのだ。それよりも、今はその回復の時間で、この浩之に芽生えた、無茶苦茶な気持ちを消す方が問題だ
「さて、行くか」
「立てますか、センパイ?」
葵の心配通り、浩之は立ち上がれなかった。言ったはいいが、ダメージでまったく脚が動かないのだ。
「大丈夫、浩之?」
綾香が珍しく心配そうに聞いてくるので、浩之は苦笑した。
「大丈夫なわけねえだろ……だいたい、駄目だと言ったら、休ませてくれるのか?」
そんなわけはない。気合いが足りないと言って折檻されないだけましの状況だろう。
「もちろん、そんなことはさせないわよ」
「ほれ見ろ」
「何言ってるのよ。本当なら、もうここに勝って帰ってきてるはずよ」
「無茶言うなよ」
無茶は綾香とて重々承知。もう浩之はボロボロだ。三ラウンドを立ちあがって迎えることもできないかもしれない。
しかし、綾香もこの試合の結果、そして浩之がこれからどうやって戦うのかを、非常に見たいのだ。ここで止めてなるものか。
自分の好いた男の必死の姿に見惚れても、誰も文句はない、いや、誰にも文句は言わせない。
かっこいいなんてものじゃなかった。今綾香と浩之だけなら、抱きしめて背骨の一本ぐらい砕いてしまいそうだ。
「でもまあ、本当に大丈夫じゃないかもしれないぜ。何せ、今の状況を少し楽しく感じてるからな」
「それは……」
「末期かもしれないわね」
多分、葵は別のことを言おうとしたのだろうが、それは綾香のちゃちゃに消された。しかし、綾香の言うことももっともだった。
頭の方も末期ではあるが、身体の方も、浩之はすでに末期だった。
今も、試合に行こうとしているのに、身体が言うことを聞かない。脚が震えて立てそうにないのだ。しかも、そう簡単に治るものではない。
もっとも、寺町にも同じだけダメージを当てている自信も、浩之にはあった。条件は五分五分。どちらかが根をあげるまで、このバカらしい戦いは続くのだ。
てわけで……寺町がやれることを、俺ができないわけにはいかないんだよ!
浩之は、ぐいっと腕の力を使って、葵に肩を借りながらも立ち上がった。少しでも倒れていたのがいいのか、何とか脚は立ってくれた。
浩之は葵から手を放し、何度か深呼吸した。何とか、脚は立ってくれた。
「起き上がるのにも一苦労ね」
「向こうも同じだろうけどな」
寺町も、何とか立ち上がったところだった。浩之の方を見ていたのは、おそらく同じ思いがあったからだろう。
こいつには負けたくない。
いや、少し違うか。浩之は自分の意見を、少しだけ正しい方向に修正した。
こいつに、勝ちたい。
「どう、やれそう?」
綾香は、心配そうに聞きながらも、客観的に浩之のダメージを計る。出てきた答えは……
「浩之、あんた、よく立ったままでいられるわねえ」
「自分でも不思議だよ」
そう、不思議になってくる。ダメージは酷くて、さっさと倒れて立ち上がりたくないくせに、試合を早く始めたいという気持ちが先立つ。
やる気がないのが、俺のトレードマークだと思ってたんだけどな。
今日だけは、それを返上してもいい、と思った。
「思うんだ、あの格闘バカとは、俺の全精力を使って、戦っとかないといけないんじゃないかってな」
半強制的に、浩之はこの場に立ったはずだった。綾香が脅すから、命の危険を感じて寺町と戦っているはずだった。
最初は浩之の意志であったとしても、いつかそれは強制されていたような気がする。
だが……ここからは、俺の希望だ。
色々なものがある。寺町と戦うことによって得るものは、大きい。
今、自分の横で心配そうに自分のダメージをはかっている、このわがままな女に勝つために、俺はここにいるのだ。
そのためには、あいつを、この格闘バカと戦って、勝てば、何かそれに一歩近づけるような気がする。
……ああ、でも正直言うと、今俺は楽しんでいる。寺町と戦うことを、両方がそれこそ身を削って殴りあう、その時間が楽しいのかもしれない。
それから出てくる答えなど、一つだった。
俺は、強くなったんだな。
「葵ちゃん、綾香……」
「何ですか、センパイ」
「何、遺言?」
誰が、と心の中で突っ込みながら、浩之は、きっといつもならおかしいなと思うことを二人に聞いた。
「俺、かっこよくやれてるか?」
二人は、それを聞いて、思い思いの気持ちを胸に秘めながら、何故かどちらも赤面して、でも真剣に、葵は葵なりに、綾香は綾香なりに答えた。
「いつもセンパイはかっこいいですけど……今日、今は特別!」
「これで勝ったら、ほんとに認めてあげる、かっこいいって」
後一歩。それで、後押しには十分の力となる。
「凄く?」
「はい、凄く!」
「約束するわ。凄くかっこいいって!」
「二人とも、サンキュな」
やりがいも、ある。目的も、決まった。そして、楽しめる。
寺町に負ける要素は、浩之にはなくなった。打ち下ろしの正拳? それに負けないだけの、後押しがある。
「浩之ちゃ〜ん、がんばって〜!」
「ヒロ〜、まけんな〜っ!」
観客席から、聞き知った二人の声も聞こえた。それに声のした方に手をふって応える。
別に他人のために戦うわけじゃないけどな。
いや、はっきり言おう。俺は、自分のために今ここ、この場所に立っている。
でも、それでも、まわりの応援は、俺に力をくれる。でなければ、この脚、動いてなどくれなかっただろう。
「両者、中央へ!」
審判の声がかかった。とうとう、二人の決着をつける時間が来たのだ。
「じゃ、ちょっとくら行ってくるわ」
「がんばってください、センパイ」
「負けんじゃないわよ」
浩之には、勝てるとは言えない。だが、勝つ以外、浩之に道はなかった。
ここまで来ても、まわりの後押しに頼っている情けない男の、是が非でも負ける訳にはいかない、ここが正念場なのだ。
続く