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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(23)

 

 寺町のフックを避け、浩之は素早く前蹴りを放つ。

 ドカッ!

 ガードごしに、浩之の前蹴りが寺町に当たる。完璧にガードされた上に、この手の技は体重が物を言う。むしろ浩之の身体が後ろに飛ぶ。

 だが、それはわざとであった。浩之は前蹴りを使って、寺町との距離を取ったのだ。

 後、どれぐらい時間があるのか、浩之にはもうわからなくなっていた。後一秒なのか、まだニ分もあるのか。

 しかし、それは寺町も同じことだ。この前蹴りが当たるまで、二人は動きをまったく止めることなく、それこそ、足さえ止めることなく打ち合って、動きあっていたのだ。

 試合が再開されて今まで、少しも動きが止まることがなかったのだ。

 それは、ごく短い時間のことであった。おそらく、十秒もたっていないのではないだろうか。だが、まさにそれは「止まることがなかった」。

 そのわずかな時間の間で、寺町さえ肩で息をしている。浩之もそれは同じだし、何度かダメージのある打撃も受けた。

 そう、何度も。

 一発一発が、浩之を苦しめていた。

 どうしようもない溝が、寺町との間にはあったのだ。

 寺町が拳をふるうほど、蹴りを打つほど、浩之は一歩一歩、自分が追い詰められているのを感じていた。

 確かに、それは中谷との戦いでもあったこと。

 実力が、違うのだ。何年もかけて、つちかってきた下地というものが、浩之にはない。それが、その差を作っていた。

 何年も何年も続けた、血の出るような、いや、おそらく何度も血を出したろう研鑽、それが寺町と浩之との間に、大きく立ちはだかっているのだ。

 浩之とて、綾香や葵に天才と評価されるだけの男だ。半分、いや、八割素人ながら、ここまでは来れた。

 この地区大会を通して、浩之はどれだけ成長できたのか、わからないぐらいだ。

 この格闘バカとタメをはれるなど、昨日の浩之の浩之の姿では想像もつかなかったろう。

 だが、そこまで来ても、まだ差があった。

 打撃の一つの、重み、スピード、プレッシャーが全然違う。同じように必死に戦ってみて、それはさらに顕著に表れていた。

 もう、作戦もない。できるだけの体力もない。そして、今の寺町には隙がない。

 いや、あるのだ。打撃はおおざっぱになっているし、天性とも言える勝負勘も、ほとんどなりをひそめてきた。

 それは、寺町にも余裕がないということなのだが、この後が浩之とは違う。

 隙があっても、寺町は気にしないのだ。

 一発打たれたら、一発返せばいい。そんなバカらしいことを、必死の寺町は、絶対に実行してくる。

 同じことをすれば? そんなことをすれば、浩之の負けは決まったも同然だった。

 綾香も、葵も黙ってしまった。運によってもくつがえせない、ほんの少しの差。それを、強い二人は見てしまっているのだろう。

 それでも、葵は声を張り上げた。

「センパイッ、がんばれっ!」

 ここで、その言葉を吐くのが、どれほど意味のあることなのかわからないし、どれほど無責任かもわからない。しかし、ここで言う言葉を、葵は一つしか持っていないのだ。

 ここまで来たのに、勝てないのか?

 浩之は、心の中に芽生えるその言葉をもみ消した。それを、今認めてしまえば、浩之はその場に倒れて、動けなくなってしまう。

 今も、すでに気合いで動いているだけなのだ。そして、同じく気合いだけで動いている寺町に、勝てない。

 このままで……終われるかよっ!

 浩之は、寺町に向かって飛び込んだ。もう、残りの力のあらん限りを使って、打ち合うしか、手はないのだ。

 ブオンッ!

 打ち下ろしの正拳を潜り抜け、浩之は、左のボディーを寺町に決める。だが、鍛えられた腹筋と、今の寺町の二重の守りは、それでゆらぐことさえなかった。

 近距離での、左ボディーの返しで素早く左アッパーの掌底を放つが、それを寺町は素早く距離を取ってかわす。

 ワンツーッ!

 パパンッ

 牽制のワンツーを煙幕にして、浩之は右のローキックを放つ。ほとんどやぶれかぶれのコンビネーションだった。

 スパーンッ!

 しかし、浩之が驚くほど綺麗にローキックが決まった。寺町は下の打撃への防御は弱いのに、今更ながら浩之は気付いたが、しかし、今の状態の寺町を、ローキックで倒すことはできない。

 だが、それが一瞬の、絶好のチャンスを作った。

 決めれない、それでも、一瞬の隙ができるのを見て、浩之は右拳を引いた。

 待ったなし、本当に、これで最後かもしれない拳を、浩之は握り締めた。もう、身体がこれ以上は持たない。

 俺の、最大最後のストレート、くらいやがれっ!

 そのストレートのスピードは、今まで浩之が使った打撃の中で、一番速かったかもしれない。それほどに、完成されたストレートだった。

 だが、寺町は、そのストレートを避け。

 ズバシュッ!

 そのストレートに覆いかぶせるように、打ち下ろしの正拳が、浩之の顔面を、ぶち抜いた。

 浩之の身体が、今度こそその打撃の威力で後ろに吹き飛ぶ。自分で飛んだとか、そういう次元の話ではなかった。

 文字通り、吹き飛ばされた。

「センパイッ!」

 葵の叫びの横で、綾香も戦慄していた。

「打ち下ろしの、カウンター……」

 寺町の最大必殺技、打ち下ろしの正拳突きを、寺町はこともあろうか、カウンターとして使ったのだ。

 浩之は、おそらくそれで試合を決めるつもりで打った、全力のストレートだった。ということは、浩之は、寺町の打ち下ろしの正拳の力と、自分の最大のストレートの力、両方を一度に受けたのだ。

「センパイッ!」

「浩之、立ち上がるのよっ!」

 それはむなしい言葉でしかないのかもしれない。寺町のカウンターは、今度こそ小細工なく、完璧に決まっていた。

 これで立ち上がれる人間が、怪物以外にいるものか。

「ワンッ、ツー!」

 審判のカウントが、無常にも響く。観客は割れんばかりの歓声をあげている。あまりにも劇的な試合は、あまりにも劇的な打撃で、終わりをつげようとしていた。

「浩之、立てっ!」

 無理だ、もう、浩之に意識はない。それは、綾香が見てもわかる。よしんば意識があったとしたら、絶対、浩之は立ち上がるだろうから。

 観客も、審判と一緒になってカウントを始める。その声には、どこかまだ浩之に立って欲しいという気持ちもあるのかもしれないが、おおむね、その試合に勝とうとする寺町に対するものであった。

「スリー、フォー!」

 審判のカウントが続く中、寺町は、右の拳を、上で構えた。

 

続く

 

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