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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(24)

 

 残心、などという生易しいものではなかった。

 寺町は、完璧に戦うために右の拳を上で構えた。

 浩之が、腕をついて、上体を持ち上げていた。ざわつく観客とは反対に、綾香達は静かになっていた。

 無理を通せば、道理が引っ込む、などというわけにはいかないのだ。

 今の浩之のダメージは、さっきまでも無理に無理を重ねてはいたが、今回のは間違いなく、立ち上がれない。

 人間の我慢できるレベルを超えている。しかし、それでも、浩之は立ち上がろうとしていた。その頭に、意識が残っているのかどうかも別だ。

「ファイブ、シックス……」

 審判も、驚きで声が小さくなっていた。そして、シックスで、カウントは止まった。

 観客達も、「オーッ!」と驚嘆の歓声をあげている。

 審判が、あまりの驚きにカウントを止めたわけではない。浩之が、立ち上がったのだ。

「まさか」

 綾香の短かく言った声が、その全てだった。

 そのまさか、浩之は立ち上がっていた。きっと、最後の力を振り絞って。きっと、意識も消えかかっているだろうに。

 自分の打ち下ろしの正拳を、しかもカウンターで受けて立ち上がる浩之を、寺町は嬉しそうに眺めていた。

 寺町にだって、余裕はないはずだ。最大の打撃を打って、それを当ててさえ立ち上がってくる相手に、後何が残っているだろう。

 それでも、寺町は嬉しく思う。この強敵が、強ければ強いほど、粘れば粘るほど、寺町の格闘バカの心は満たされていくのだ。

「だ、大丈夫か?」

 審判が、恐る恐ると言った風に浩之に聞いた。見ただけでも、それはわかる。

 大丈夫ではない。浩之に、残っている意識はない。意識がなくとも立ち上がってくる選手は、今までもいたし、格闘技の世界では珍しいほどの話ではない。

 だが、ここまでのダメージを負って、それでも立ち上がってくる選手は、おそらくこの体育館の中の、誰も観た経験も、もちろん自分がやった経験もなかったはずだ。

 目はどこをみているのかわからないし、身体はふらついている。試合のできる状態ではない。審判には見ただけでそれはわかる。

 しかし、浩之は立っていた。

「セ……ッ」

 葵も、応援を飛ばそうとしながら、それを飲み込んだ。

 今、浩之に声をかければ、それで糸が切れたように倒れるかもしれない。本当に、危うい糸に引っ張られるようにして、浩之は立っているだけなのだ。

 何かの物音が、それを切るかもしれないし、葵や綾香の声が、それを切りかねないのだ。

 試合の結果は、おそらく浩之の負けになるだろう。すぐにでも、審判は試合を止めるはずだ。

 だが、それでも、浩之には立っていて欲しかった。

 勝てる勝てないではない、戦える戦えないという話になったとしても、それでも、浩之には戦って欲しかった。

「大丈夫か?」

 審判が、再度浩之に確認を取る。浩之からは、名前を言われることも、大丈夫という言葉もない。ただ、下を向いて、立ち上がっているだけだ。

 これ以上試合を続ければ、危険だ。

 審判がそう判断しても、何ら不思議はなかった。いや、むしろこの状態では、誰しもがそう思っただろう。

 だが、審判は、すぐにその瞬間には試合を止めなかった。確かに、この試合の結果は決まったも同じであったが、浩之は立ち上がってしまった。

 試合を続けるかどうか、審判は、一度北条鬼一にそれを確認するように、席に座って見ている北条鬼一の方を見た。

 審判から視線が外れた瞬間、浩之は、動いていた。

 パアンッ!

 素早く寺町の懐に飛び込んだかと思うと、左のストレートを寺町の顔面に叩き込んでいた。

 あまりの突然の、不自然なまでのスピードに、寺町も一瞬反応ができなかったほどの動きだった。

「え……」

 審判も、驚きのあまり、浩之を止めれなかった。試合を始める合図はしていない、が、まさかここから浩之が動けるとは思っていなかったのだ。

 ズバッ!

 打ち下ろしの正拳を、浩之はアウトステップでかわす。それは不自然なほど、速い。浩之のいつものスピードではなかった。

「まさか……」

 綾香も、これに似た状況に一度だけなった。それは圧倒的な強さで、怪物である修治さえほとんど子供扱いのように吹き飛ばしていたほどだ。

 三眼。

 限界を超えた先に見える、非人間的な世界。

 ……いや、そこまでではない。左のストレートを受けた寺町はぴんぴんしているし、スピードも、浩之から言えば速いが、常識を超えるほどではない。

 しかし、少なくとも、一つの壁を浩之は抜けていた。

「どいていてください。これからは、試合は関係ない」

 寺町は、あっけに取られる審判に、それだけ言うと、自分は浩之に向かって走りこんでいた。

 寺町の怒涛のラッシュ、浩之はそれを軽く避けていた。かすりさえ、近距離で放つ寺町の打撃が、かすりもしないのだ。

 突然、カクンッ、と浩之の膝が落ちる。それを狙っていたかのように、寺町の左の中段回し蹴りが、浩之の身体を横に弾く。

 限界は来ていた。

 浩之は、少なくとも限界を超えている。だが、今の状態では、それも長く続かないし、寺町は、浩之が限界を超えてもそれさえ対等に戦おうとするのだ。

弾き飛ばされた浩之は、試合場のすぐそばで見る、綾香と葵の前に、背中を見せて立っていた。

 その背中に、二人はどれほど焦がれるものを感じただろうか。意識がなくとも、それでも戦いを終わらせようとしない浩之を、この少女達は、どれほどいとしく思ったろうか。

「浩之っ!」

 綾香は、叫んでいた。これで均衡が崩れて、倒れてもいい。それでも、浩之の名前を呼びたかった。

 浩之は、振り向いて、綾香の方を見た。その目には理性が……

 ……意識を、取り戻してる?

 それも、一瞬のことだった。寺町の追撃が、浩之を襲った。

 襲い掛かる寺町の横を、素早く浩之は動いて、寺町の後ろに回りこんだ。寺町も、それに合わせて浩之の方に身体を向ける。

 綾香と葵の視界から浩之が、寺町の身体の影になって消えた瞬間。

 ズンッ!

 酷く重い音と共、寺町の身体が、まるで車でも真正面から受け止めたように、揺れた。

 だが、寺町は倒れなかった。

 そして、寺町も、それに続いて、打ち下ろしの正拳を、二人から隠れた浩之の顔面に向かって、打ち下ろした。

 

続く

 

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