さて、浩之と綾香、二人の邪魔をするはずの人間はと言うと……
あかりと志保は浩之と綾香を見失ったから置いておくとして、葵と坂下は、気をきかせて、仕方なく寺町の様子を見に来ていた。
後からかけつけたのか、今までどこかに隠れていたのか、寺町は、寺町の方の空手部の部員にかこまれていた。
部員達は、皆嬉しそうな顔をしている。こんな無茶な大会で、地区大会とは言え、準決勝まで部長が残っているのが、理屈抜きにして嬉しいのだろう。
もっとも、向こうの部員唯一の女子部員は、部員よりもよほど嬉しそうな寺町を見て、おろおろとしている。
はっきり言って、寺町はボロボロだった。
ニラウンド目に受けた傷が開いてもいて、そこから試合が終わったとたん、かなり血を流していた。道着はかなり赤黒くなっているし、そんなことはまったく関係ないぐらいに、見るからに満身創痍というやつだ。
「あの、部長、本当に大丈夫ですか?」
その声には、ただ部長を心配するだけの響き以外のもがあると、葵でも思ったが、天然格闘バカは、お約束といわんばかりに気付いていないようだ。
「ああ、平気だ。それよりも、俺はうれしくてなあ、それどころじゃないんだ」
言葉通り、寺町はニコニコとしている。その怪我と容貌、ついでに笑顔で、かなり怖いことになっているが、それには誰も突っ込まないことにしているようだ。
坂下としても、かなり突っ込みたいところなのだが、いかんせん、自分に寺町のような所がないわけでもないので、突っ込むのも気が引けた。
「今まで沢山の人と戦ってきたが、あれほど燃えたのは、いつぶりだろうかなあ。あ、いや、坂下さんとのも十分面白いですよ」
「ありがとう……とは素直に言えないわねえ」
坂下が相手の場合、当然というか、ここに浩之がいればそれを思い出して震え上がるだろうが、寺町を相手にして一歩も引かないどころか、坂下の方が強いのだ。
浩之もそうなのだが、寺町はまだ坂下と戦って、一回でも勝ったことがない。連敗記録を順調に伸ばしていた。
確かに強い相手と戦うというのは楽しいのだろうが、坂下もそれは楽しいので否定はしない、もっと切磋琢磨できる、実力的に同じぐらいの相手と、ゴリゴリとやりあうという経験を寺町はあまりしてこなかったのかもしれない。
自分の部では、おそらく飛びぬけて強いだろうし、坂下の部に来たときは、誰が何と言おうと、坂下相手以外では戦おうとしないというか、坂下相手に戦おうとするのだ。
路上で戦っていたとも言っているが、北条鬼一のような怪物相手では、それこそ相手にはならないだろうし、多くの人数に囲まれれば、不利になりこそすれ、通常の一対一では、負かせる素人などいないはずだ。
本人は綺麗な打撃を使うが、対する相手のことは、綺麗だとは思っていない動きをする。それは素人では、不意でもつかない限り、どうしようもないだろう。
となると、おそらく、実力的に近い、という相手は、ほとんどいなかったはずだ。浩之と比べると、寺町の方が強いのだが、成長した浩之なら、それは大した差にはならなかった。
おかげで、浩之は、寺町の相手を骨の髄までやらされたのだ。
綾香が看病してるとは思うけど、藤田も、うらやましい……いやいや、かわいそうに。
坂下は心の中でそう思った。
それは何も、綾香に看病して欲しかったわけではない。
実力伯仲の相手と、力の限り戦えるのは、嬉しいことだ。少なくとも、坂下には嬉しいことなので、寺町が喜ぶのがわかるのだ。
「でも、こんなにボロボロになって……」
向こうの女子部員、名前は覚えていなかったが、今のその心配は、寺町相手には無粋ではないのか、とも坂下は思ったが、心配する方が正常なので、これは常識として突っ込みは入れなかった。
「しっかし、寺町、あんたKOで勝ってるけど、毎回毎回、ダメージ受け過ぎじゃないの?」
寺町は三試合全部をKOで決めてきたほどの強打者ではあったが、毎回KO寸前のダメージを受けている。これだけの身体がなかったら、寸前と言わず、どこかでKOされていたはずだ。
「まあまあ、坂下さん。部長も、防御が下手ってわけじゃないんですから」
「それはわかるけどね。最後の方になると、とたんに守りが崩れるのは、直した方がいいわよ」
珍しい寺町に突っ込むでなく、擁護する中谷の言葉に、同意しながらも、坂下はきつい口調で言った。
「肝に銘じておきます」
寺町は、謙虚にその言葉を受け止めたようだが、さて、本当にわかっているのか……
実際、最後の最後になると、寺町は防御を捨てて攻撃にまわっている。まあ、そのおかげで、相手は必要以上にプレッシャーをかけられるのだが、それを跳ね返して、攻撃すれば当たるのだ。
浩之は最後辺りに、打撃を何発か入れていたが、それは恐怖心を跳ね返して攻撃した結果だ。
しかし、もっとも恐るべきことは、寺町がKO寸前のダメージを受けるのは、いつもまだ守りが堅いときだ。
そう、中谷の言うように、寺町の守りは、むしろ堅い。打撃では相手より一歩先をいける上、経験の差か、タックルなどに対する防御方法もきっちりと心得ている。
それでも寺町がKO寸前に追い込まれるダメージを受けているのは、相手がそれを上回ってくるからなのだ。
確かに、寺町にはロー系統の打撃に弱いという弱点もあるが、それは坂下から見た状況だ。普通の選手なら、確かに他よりはいいかもしれないが、まずローキック程度では効果をあげることはできないだろう。
それ以外は、むしろかなり完成度の高い守りを持っている。
おかしなことに、それなのにKOに近いダメージを受ける。
そこから導き出される答えは一つ。相手が凄いのだ。
寺町の戦ってきた相手で、誰一人楽な相手はいなかった。ほとんど完璧な守りを抜けて、KO寸前のダメージを当てるだけの実力があった。
それにも関わらす、寺町は勝っている。それが、寺町の恐ろしいところだ。
「でも、こんな状態で決勝戦、戦えるんですか?」
向こうの女子部員が止めたいというニュアンスを込めて言ったが、寺町にはそれでは大した効果は得られないだろう。
「大丈夫だ。決勝戦は、午後の女子の部が終わってからだ。回復する時間は十分にある」
ダメージを回復できるだけの時間がある、わけは絶対にないのだが、寺町の中ではそうなのだろう。
「ですけど……」
「まかせておけ。決勝戦もきっちり勝ってくるからな」
論点はずれているが、寺町の言葉には説得力があった。しぶしぶ、という風ではあったが、女子部員は引き下がる。
まあ、この子もやっかいな相手にほれてしまったものだ、と坂下は思った。
この男は、格闘技が、相手と戦うことが、全てなのだ。坂下にもそういうところがないわけではないのでよくわかる。
それが、強敵であればなおさら、そのバカは喜ぶのだ。
そして、寺町にとっては、その強敵の一人が、そこにいた葵に話しかけていた。
「やあ、松原さん」
葵が振り返ると、そこには見知った安部道場の面々と。
次に準決勝戦で戦う、英輔がにこやかに立っていた。
続く