作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(28)

 

「次の試合の相手、強すぎるんじゃないの?」

 坂下も、もちろん英輔を挑発するためにそんなことを言ったわけではないし、何より、すでに英輔は試合場に向かっていた。

「北条桃矢……でしたか?」

 久しぶりというか、かなり珍しく、寺町が相手の名前を覚えていた。まあ、これで忘れていたら、格闘バカというよりも、単なるバカだが。

 英輔の相手は、北条桃矢。鬼の拳、北条鬼一の息子であり、エクストリーム、ナックルプリンスの、地区どころか本戦で優勝候補として上げられていた選手だ。

 北条鬼一のネームバリューもさることながら、見たところ、その実力は本物だ。この大会でも、一人群を抜いている。

 プロの格闘家が北条桃矢を避けて、他の地区大会に出たのもうなづける強さだ。

 だが、その実力は、今は正当に評価されているとは言いがたいかもしれない。

 一回戦目の相手が、あろうことか、綾香を追い詰めた修治だったのだ。修治はまったく無名ではあったが、浩之や綾香はその実力を知っており、この大会でも、その実力を如何な発揮した。

 相手を血どろみにして反則負けをくらったのは、エクストリーム始まって以来の出来事だろう。

 もちろん、反則である肘を使う、という暴挙ではあったが、北条桃矢のマウントポジションをあっさり返し、避けれないほど素早く入り込んでの肘で、胸に深い傷を負わせるのだ。まさに怪物の実力を発揮しての結果だ。

 その結果、修治は反則負けになってさっさと帰っていったが、その一試合目の無様な姿が観客や選手の頭にこびりついており、二回戦目で相手を圧倒しても、それはまだ完璧に拭えるものではなかった。

 何しろ、他のナックルプリンスの試合は、白熱に白熱を重ねているのだ。

 それで、北条桃矢は、優勝候補からは外れないものの、むしろ低く見られてしまっている。

 だが、坂下が見たところ、北条桃矢の実力は、本物だ。

 高い位置で打撃も組み技も完成している。このエクストリームに合った戦略を考えて練習してきたのだろうが、それは実に理にかなっている。

 正直、まともに試合をしたら、坂下よりも強いと思う。エクストリーム向けの技術においては、まったく相手にならないかもしれない。

「でも、英輔さんなら、何とかがんばってくれると思います」

 葵は、英輔と北条桃矢の実力差を、どうにかなるレベルと感じていた。実は、坂下もそれに関してはあまり異論がなかった。

 どう言えばいいのだろうか、北条桃矢は、強いとは思うし、坂下でも勝つ自信はなかったが、ぶっちゃけて言うと、自分が負ける姿が思いつかなかった。

 決して、北条桃矢を弱く見ているというわけではない。強いと思う、強いと思うが、何故か強敵だとは思えない。

 言ってしまえば、北条桃矢には、寺町などが持っている、「怖さ」というものがないのだ。

 実にバランス良く格闘用に鍛えられ、訓練された北条桃矢は、相手の力を封じ込め、何もさせない間に相手を倒すだろう。

 だが、理不尽な強さを持つ、綾香や修治と戦えば、仕方のないことだが、それは簡単に崩される。

 もっと言えば、寺町のような「バカ」を相手にしたとき、その技術は、いかにももろい。

 どんなに格闘技は精神ではなく、肉体でするものであっても、それを動かす人間は、精神に引きずられるのだ。

 そういう意味で、北条桃矢は、まったく怖くないのだ。強いし、打撃を当てるのも、関節技に取るのも難しいだろうが、反対に、普通に打撃を当てれば、倒せるように感じてしまう。

 さっきの試合で見せた、浩之や寺町の精神力で戦う、ような道理にかなっていないことができない、それは、得てして怖くないと同義語だった。

「いや、確かに、北条桃矢は、強いと思いますよ。藤木君の実力は知らないが、楽して勝てる相手じゃないでしょう」

 しかし、むしろ寺町の言葉は、北条桃矢を弁護するような口調だった。もっとも、それも、次の言葉につなげる一言でしかなかったのだが。

「しかし、戦うなら、藤木君と戦ってみたいものです。まあ、試合を観るまではわかりませんが」

 ハッハッハ、と何がおかしいのか笑いながら寺町は大きな声で言った。おそらく、それは試合場にいる北条桃矢にも聞こえる声だったろう。

 ちらりと坂下が試合場を見ると、聞こえはしたのだろうが、他の人間よりも一回り大きい北条桃矢は、こちらの、というより、寺町の方を見てはいなかった。

 聞こえて、腹が立たないわけがなかろう。寺町のバカを許せるのは、中谷ほど人間ができていないと無理だ。

 しかし、寺町がそう評価したが、綾香も同じ評価をしていた。それは北条桃矢がそういう選手であると同時に、寺町と綾香の精神構造が、けっこう近いという現実も指し示していたりする。

 何が悪いのかはわからないが、確かに、坂下もあまり北条桃矢と戦いたいという気持ちはなかった。勝つにしろ、負けるにしろだ。

 試合を何度か観るうちに、寺町もそう思ったのだろう。北条桃矢の息子と聞いて、一度は天然の挑発で北条桃矢を挑発して、戦おうとしたのが嘘のようだった。

 しかし、戦いたい、戦いたくない、面白い、面白くない、を別にすれば、北条桃矢は間違いなく強敵であり、強い。

 試合場で相対している英輔は、そのことを重々承知しているはずだ。英輔の性格上、いかに相手が強かろうが、それで気持ちが気圧されることはないだろうし、まさか油断することもなかろう。

 怖さ、という面では大したことがなくとも、これは試合なのだ。試合になれば、むしろ北条桃矢のようなタイプはやっかいな相手だ。

 実力を出し切れないまま、試合巧者に騙されるように負けていく選手も少なくない。いかに強かろうが、その実力を出す機会を与えてもらえなければ、それは素人と一緒だった。

 ほとんどの試合がKOで決まっているから忘れている者も少なくないかもしれないが、エクストリームには判定勝ちというものがあるのだ。

 KO勝ちの方が確かに派手だが、勝ってしまえば、KO勝ちだろうが、判定勝ちだろうが、勝ちは勝ち。そして、負けは負け。

 英輔もその部分はよくわかってはいるだろうが、おそらくKO勝ち、つまりギブアップか「落とす」ことを目的にしているはずだ。

 英輔の動きは確かに判定勝ちを狙うものではない。二試合目などは、葵が見たところ、わざと倒れてKOを逃れるなどしている。

 反対に、北条桃矢は二試合目に、相手を完全KOで倒しているが、それだって、相手が大して強くないのを確認してから、一試合目のうさを晴らしただけのようにさえ感じていた。

 むしろ、今はだいぶ冷静になっているはずだ。

 冷静に対処される、というのは、こういう試合では怖いのだ。それも経験が多い選手にそれをやられて何もできないという危険は高い。

 まあ、実のところ、北条桃矢がどんな戦略を取ってくるのか、坂下や葵には読みかねる部分もある。極端というか、うまく試合がかみ合わないのか、どうしても違和感を感じてしまうのだ。

 英輔がどういう作戦をたてているのかはわからなかった。しかし、たてていないわけがなかった。冷静、という意味で言えば、英輔はかなり冷静なのだ。

 英輔は、いつもの闘志をその目に保ちながら、穏やかな顔で試合場に立っていた。反対に、北条桃矢は、鋭い目つきで、むしろ仁王立ちしているように見える。二人の印象は、まるで正反対だった。

 審判が、二人が位置についたのを見て、手を出した。

「それでは、準決勝、二回戦を始めます。レディー……」

 二人は、どちらも自然に、構えた。

「ファイトッ!」

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む