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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(29)

 

 英輔は、腰を低く落とした。柔道の構えというよりは、こういう総合格闘か、またはレスリングのような構えだ。

 飛び出しはしない。いきなり仕掛ける、というのはそんなに悪い手ではないのだが、これだけの実力の相手だ、それはうまくいなされることを承知しているのだろう。

 英輔に合わせるように、北条桃矢も腰を落とす。こちらの方が堂に入った構え方だ。もとが柔道の英輔がいかに練習をしていようと、もとから総合格闘を目指していただろう北条桃矢と比べると、見劣りする。

「この大会で、ここまで組み技が使える選手の戦いってなかったんじゃないの?」

「そうですね。むしろ、エクストリームは組み技の方が有利なルールなんですが……」

 空手家の北条鬼一が、組み技を有利なルールで大会をする。おかしな話だ。

 もっとも、危険なことを反則にしていたら、いつの間にかそういうルールになった、というのが正直なところだろう。それを許した北条鬼一は、かなり確信犯だろうが。

 それだけ、打撃には危険が多い。倒れた相手に対する打撃など、その最もたるものだ。もしそれが許されていれば、おそらく倒れた相手にそのまま組もうと思う選手などいなくなるだろう。倒れた相手の頭を蹴ってしまえば、それで試合は終わるのだ。

 もちろん、組み技にも危険な技はあるし、それは反則だが、組み技は危険な技を封じても、まだ色々できることがある。

 そういう意味では、立った相手への目や耳などへの打撃以外は許されている、そのスールを使い切らないと、打撃格闘者は倒せない。

 それをよく考えてなのかどうかはわからないが、綾香は相手の後頭部に巻き込むような打撃、いわゆるラビットパンチを得意としている。これを許したことが、組み技有利のルールの中で唯一、打撃格闘者が有利なる、北条鬼一の確信犯的な部分なのかもしれない。

 そのわりには、準決勝まで残った選手の中で、組み技オンリーの選手は英輔だけだ。こんな試合に出てくるのだ。組み技にしろ打撃にしろ、対策をしていない選手はいないだろうが、それでも得手不得手というのはついてまわる。

 英輔は、間違いなく組み技を得意とする。北条桃矢は、どちらでも使えるのだろう。修治を、何のかんの言ってもマウントポジションに取ったのだ。組み技が苦手なわけがなかろう。

 しかし、浩之もどちらかと言うと組み技をついで程度で使っており、寺町に関しては、打撃オンリーだ。

 ルールに泣く選手は、こういう異種格闘技では多い。しかし、有利なはずの組み技の選手の方が少ないというのはどういうことだろうか。

 参加選手の比率は、半々程度だ。そんなに違いはない。ということは、やはり打撃格闘者の方が実は有利なルールなのか、それとも、ただ単にたまたま打撃格闘者に強い者が集まったのか。

 まあ、少なくとも、寺町はたまたま集まった強い打撃格闘者だろう。今まで試合を観た誰もがそういうに決まっている。

「ということは、今回は組み技の試合が見れるわけですね

 相変わらずどこか嬉しそうに試合を観ている寺町は、そんなことを言った。

「別に打撃を使っちゃいけないというルールもないんだし、そうなるとも思えないけど……何、組み技の試合も観たいの?」

 それは少し意外な気がした。組み技にはまったく興味ない、相手として、それが戦力としてある以外にはまったく興味を示さない寺町が、組み技の試合自体に興味を持つこと自体が不可思議だった。

「まあ、参考までには。次の相手でもあるんですから」

「ぶ、部長が次の試合のために、人の試合を観るなんて……」

 中谷が驚愕しているが、寺町の方の部員誰しもが驚いていた。唯一の女子部員も、かなり驚いている。

「待て、中谷。俺が他人の試合を観るのがそんなにおかしいか?」

「はい、自分がやること以外全然興味を持たない部長としては、驚異だと思います」

 うんうん、と部員全員がうなづいている。当然、坂下もうなづいていた。

「そんなことはないぞ、特に、今回は藤木君か、あっちの方の動きをよく観ておきたいからな」

「北条桃矢選手の方はいいんですか?」

「まあ、この試合の動きにもよるが……あまり興味ないな」

 試合場の北条桃矢の肩が、ぴくりと動いたような気がした。寺町の声はかなり大きいので、この歓声の中で聞こえていても不思議ではない。

「またこの人はわざわざ敵を作るようなことを……」

 中谷も、すでに注意する気もうせていた。それに、聞かれていたとしたら、今さら止めても、火に油を注ぐだけだ。

「しかし、北条桃矢は、さっき鬼の拳使ってたじゃない」

「まあ、そうですが……あれは、昔私が見たのとは、雲泥の差です。もっとも、北条鬼一さんですか、あの人のような打撃を打てるようになるには、俺もまだまだ修行不足ですがね」

 寺町の基準が、生ける伝説である北条鬼一なのだから、比べるだけ無駄という話もある。それだけの拳があれば、おそらく修治といい勝負をしていたはずだ。

 しかし、北条桃矢は、名も知られないような男、修治なのだから仕方ないのだが、に惨敗、反則勝ちは収めたものの、甘く見られても仕方ない。

 反対に、英輔は前評判よりも良い結果を収めている。観客の目も、どちらかと言うと、英輔有利と見ているのではないだろうか。

 じりっじりっと二人は深く構えたまま距離を開けたりつめたりしている。

 お互いに、フェイントをかけているのだ。肩や脚の動き、視線などで、相手を騙そうとしているが、警戒しているのだろう、二人ともそう簡単にはかからない。

「いつもなら、ここで打撃、という手も入るんですけど……」

 葵が見る限り、二人は組み技のみで戦おうとしているように見える。腰の落ちている状態は、打撃には難しいし、何より、腕が前に出ている。

 これが片方だけなら、つまり腰を落としただけとか、腕が前にあるだけとか、その程度なら、打撃も使えるだろうが、二つを同時にすると、極端に打撃は使いづらくなる。

 腰を落とす、というのは、蹴りを封印する。ここから伸び上がって蹴りなど、無茶にもほどがある。

 腕を前に出す、というのは、パンチを封じている。ここからでは、ふりがつかず、どんなパンチであろうと威力を無くす。

 両方がこの構えを取っている以上、二人とも組み技でしか戦わないと言っているようなものだった。前に密約でもあったのではないかというほど、完璧に二人は組み技だけを狙っている。

 ここから、打撃に移っても、単に隙を作るだけ。まさに、組み技対組み技の構えだ。

「見たところ、北条桃矢が、あの英輔とか言う柔道家に合わせたように見えるけど?」

 英輔相手に、打撃戦なら、北条桃矢はかなり楽なはずだ。反対に、いかに得意でも、組み技で戦うとなると、英輔は強敵となる。

 いまいち、葵にも坂下にも北条桃矢の作戦が見えてこない。英輔は、反対に簡単だ。強い相手には、自分の強い方で相対する。そして、あわよくば不意の打撃を狙う。

 読まれていたとしても、それが一番勝つ確率は高い。

 だが、北条桃矢の方は、むしろ不利な、負ける確率の高い方を選んでいる。

 まさか、寺町のバカのように、不利な戦いを楽しむわけでもないだろうに……何を考えているのだろうか?

 坂下が心の中で疑問を考え、それを解消する前に。

 二人のシルエットが、素早く動き出した。

 

続く

 

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