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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(31)

 

 北条桃矢は、その腕力で腕を掴んだまま、英輔を左右に振る。そして、持たれた手首を引きつけた。

 その動きだけで、英輔の手が北条桃矢の腕から外れる。

「そんな、あれだけで!」

 安部道場の面々から悲鳴ともうなり声ともつかない、驚きの声があがる。

 英輔の握力は、他のどの部分よりも飛びぬけて強い。おそらく、安部道場では上位に入る、もしかしたら、三位ぐらいには入れるかもしれない。この大会でも、まず握力で負ける、ということはないだろう。

 だが、計ったわけではないが、おそらく北条桃矢の握力は英輔を超えているだろうし、何より、どんなに握力があろうとも、手首を握られたぐらいでは、簡単に外せるのだ。

 柔道では一般的ではないが、合気道や少林寺拳法などでは、基本中の基本の動きだ。相手に手首を掴まれたら、手首を掌が開くように曲げてやればよい。ただそれだけで手は外れる。

 英輔がその程度の研究を怠っているとは思えないが、まったくのフリーの状態、つまり倒れているわけでもなく、完全に密着しているわけでもないこの体勢ならば、いかに英輔がそれを阻んだとしても、外されないようにするのは無理な話だ。

 しかも、北条桃矢は、英輔の身体を左右に振って、バランスを崩そうとしている。その程度ではバランスは崩せないかもしれないが、英輔を守りに回らせるには十分な動きだった。

 さっきまでは、英輔が少し不利。今は、英輔が完全不利だった。

 そして、さらに悪いことに、北条桃矢の、おそらくかなり強いだろう握力で柔道着のそでを持たれてしまったら、外すのはまず無理だ。

 そのままでいれば、不利なのに変化はない。英輔は、北条桃矢の懐に飛び込んだ。腕を持たれているとは言え、完璧に密着した状態ならば、締めも使えるし、相手の技もかかり難い。それに、関節技をかけられるほど、英輔は弱くもない。

 ドッ!

 が、北条桃矢は、肩で中に入ろうとした英輔の身体を弾いた。同じく肩でぶつかった英輔にはダメージはなかったろうが、身体は外にはじき出された。

「距離を取って、戦うつもり?」

 組んでいるからと言っても、距離があれば、当然相手は対応がしやすい。近距離に来られれば、何をされているのか全貌がつかめないのと違い、距離が離れていれば、それだけ相手の動きが見れる。

 北条桃矢が何を狙っているのかはわからなかったが、少なくとも、英輔を中に入れる気がないのは確かなようだった。

 そして、その体勢は、まるで柔道をやっているような体勢であった。英輔は北条桃矢のどこも持ててはいないが、北条桃矢の方は、相手の袖をつかんでいる。そして、少し距離を取るように構えた姿は、完全に柔道の形だった。

「柔道の型になっているのに……」

「……これは、手が出せないな」

 安部道場の面々は、口惜しそうにつぶやいている。

 英輔は、こんな異種格闘技戦には出ているが、柔道が本当の畑だ。柔道でやりさえすれば、どんな重量級とだって対等に渡り合える。ベスト8で終わってしまったのは、相手が超重量級の、優勝候補、結局は優勝したので、優勝者だったからだ。

 そう、英輔のベスト8というのは、無差別級での話なのだ。

 しかも、判定での負けであり、大会では一度も技あり以上を取られていない。優勝候補と言われるだけの実力があるのだ。

 その英輔が、柔道の型になっているというのに、手が出せない。それは屈辱だったかもしれない。

 やはり、異種格闘技での、柔道が受ける壁は厚い。

 その一番の差は、やはり柔道着だ。つまり、掴みやすい服、これがあるとないとでは、柔道の実力者にとっては、スナイパーが使い慣れた銃を持っているか持っていないかほどの差があると言っても言いすぎではない。

 上半身がほとんど裸、そうでなくとも、非常に掴み難い服を着ている異種格闘技戦では、その実力を半分も出せない。

 むしろ、路上の方がましかもしれない。路上で上半身裸でいる人間は少ないからだ。

 しかも、柔道着を着ている英輔に対して、組み技で対抗すれば、英輔が不利になるのは当然だった。確かに武器にもなるが、相手の方が使いやすいのだ。

 柔道の能力が、ほとんど組んだ瞬間に決定するのは、その組み方でかけれる技の種類も効果も大きく左右されるからだ。だから、相手を握れていない英輔では、いかに柔道の型になっていても、手が出せない。

 もちろん、英輔はそれで黙ってやられるのを待っているわけはなく、相手を掴もうと腕を伸ばしているが、そのことごとくを北条桃矢にはじかれている。しかも、北条桃矢は英輔の袖をしっかりと掴んでいて、いくら英輔が外そうとしても、びくともしない。

 まるで、組み技の素人が、柔道家を相手にしているような展開になっていた。しかし、英輔はかなりの柔道の使い手で、それなのに、北条桃矢にいいように遊ばれている。

 英輔が、それでも腕を振り解こうと、腕を身体ごと引いた瞬間に、北条桃矢が動いた。

 今度は、北条桃矢の方から英輔の懐に入り込み、つかんだ英輔の腕を肩にかつぐ。

 一本背負いっ!

 何と、北条桃矢は、英輔相手に、柔道の技を使ってきた。

 英輔は、それに腰を落として素早く耐え、何とか持ちこたえる。

 だが、その攻防は、むしろ格闘技を、または柔道を良く知っている者を混乱させた。

 一本背負い、背負い投げなどの相手を肩に背負う投げは、身体の小さな選手が得意とする。それは、力がなくとも相手を投げ易いというのもあるが、相手を背負うために、相手の重心を腰に担がねばならず、重心が低い、つまり身体が小さい者相手には、やり難い技だからだ。

 いかに北条桃矢に力があっても、自分の重心よりも重心が下にある相手を、一本背負いなどできるわけがない。

 しかも、英輔も背負いの防御法など、もちろん心得ている。

 英輔相手に、一本背負いは、あまりにも無駄というか、むしろ、危険であった。英輔ほどの組み技を練習してきた選手なら、後ろにまわれば、相手を裏投げで投げることもできるはずだ。

 まったくその通り、英輔は、一本背負いを耐え切ると、今度こそ北条桃矢の腕から、自分の腕を引き抜いた。

 技がかからなかった後というのは、隙が多い。柔道の試合ではないのだから、技の掛け逃げという方法も使えないことはないだろうが、それでは倒れた状態で相手に上から乗られてしまう。それはあまりにも不利だ。

 そうでなくとも、技の後というのは、組み手を外しやすいのだ。英輔も、それを狙っていたのだろう。

 英輔はそのまま北条桃矢の腰に腕をまわし、手をロックする。その動作は素早く、北条桃矢が対応する時間を与えなかった。

 鍛えに鍛え抜かれている英輔の背筋ならば、いかに体重差があろうとも、相手を持ち上げることができる。

 北条桃矢が、素早く腰を落とそうとしたが、すでに遅かった。

 ふわり、と北条桃矢の身体が、浮いた。

 

続く

 

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