作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(32)

 

 北条桃矢の巨体が、ふわりと宙に浮いた。

 それだけで、ワッと観客が沸く。英輔はあまり大きい体格ではないのに、この地区大会では一番大きいであろう北条桃矢を持ち上げたことに、素直に驚いているのだ。

 だが、それだけでは英輔の目的は少しも達成されていない。

 持ち上げられて、動きの止まった一瞬の間に、北条桃矢はバタバタと身体を動かす。不恰好ではあるが、その投げに対しては、一番効果のある防御方法だ。

 しかし、英輔の下半身は、それだけではびくともしなかった。

 元来、柔道の投げ技というのは、ダメージを狙ったものではない。スポーツ化が進み、その特徴はより強くなっていった。

 むしろ、危険な技は反則として、消されていくような状況だ。

 しかし、その中でも、ほぼ唯一、投げとして相手にダメージを当てれる投げがある。それが、今英輔が仕掛けようとしている技。

 相手の後ろから、がっちりと自分の腕をロックして胴体を捕らえ、そのブリッジの力で、相手を後頭部から後ろに放り投げる。

「ふっ!」

 気合い一閃、英輔は、北条桃矢を後ろに放り投げた。

 裏投げ、柔道技で、おそらく唯一相手をダメージで倒すことを目的とした投げ技。

 ズダーンッ!

 綺麗な弧を画いて、北条桃矢は、後頭部からマットに叩きつけられた。

「英輔さん、すごいっ!」

 葵も、思わずそれに他の観客と一緒に感嘆の声をあげる。北条桃矢の身体は、百九十センチほどもあるし、しかも体重も軽いわけがない。その巨体を、英輔は、その小柄と言ってもいい体格で、投げてみせたのだ。

 しかも、その投げが、相手の体重を利用して、などという技ではない。力で引っこ抜いた裏投げだった。

 英輔は素早く投げた仰向けの状態から、身体をひねってうつぶせの状態になってひざをついた。

 しかし、北条桃矢も、投げられたばかりだというのに、同じく素早くひざをつく状態まで立ち直る。

「効いてない?」

 安部道場の面々も驚いている。英輔の裏投げで、脳震盪を起こした道場生は何人もいるのだ。それを、何もなかったかのように立ち直る北条桃矢に、驚かないわけがない。

「いや、効いてないわけはないと思うよ。受け身を取られたんだろ思う」

 葵は、一応色々な格闘技を見ているので、裏投げにも受け身の取り方があるのを知っている。

 柔道では、受け身は手で取るものだが、他の格闘技にも、受け身の取り方というのはけっこうな数がある。

 少林寺拳法などでは、受け身は、そのまま身体を回転させて起き上がることを言う。ダメージも消せるし、倒れてピンチを作ることもない。

 そして、今回は、北条桃矢は、プロレスなどでよく取られる受け身の方法を取った。

 肩で受け身を取ったのだ。肩というのは、前側からの衝撃には非常にもろいのだが、鍛えられた肩というのは、後ろからの衝撃には、非常に強い。

 鍛えた肩の筋肉というのは、異常に多いのだ。そこで衝撃を逃がし、さらに、あごを引くことによって、後頭部を打つのを避ける。こうやって、裏投げやバックドロップなどの投げに対応するのだ。

 だが、葵の見たところ、北条桃矢は、投げの全てを中和できたわけではなさそうだった。あくまで、それはスプリングの効いたマットや、畳の上だからこそ効果のある受け身。

 受け身でいくらかダメージは逃がしたとは言え、まったくダメージがなかったとは考え難い。それに、北条桃矢の体重は、こと投げに関して言えば、明らかに不利な条件だ。絶対に、人よりも多くの衝撃がかかる。

 それでも素早く体勢を立て直したのは、そのままの体勢でいれば、明らかに不利な体勢で英輔と組み技をしなければならないという現状を打破すべく、無理をしているとしか考えられない。

 対峙してしまえば、ダメージがあると思っていても、英輔の動きはいくらか止まる。それを期待しているに他ならない、と葵は判断した。

 葵がそれだけ考えているということは、英輔も当然それに関してはそう思っているということで、英輔は素早く、膝をついたまま、北条桃矢と組み合った。

 しかも、英輔が上になるような体勢でだ。

 簡単に説明すれば、北条桃矢の頭が、英輔の胴体の下になった。それは、こと寝技に関して言えば、かなり有利な体勢だった。

「やっぱり、ダメージがあったんですよ!」

 無理してひざをついたまではよかったが、英輔の動きに反応できなかったのは、完璧にダメージを受けていたからだ、と葵は思った。

 その体勢からならば、いかようにも英輔なら料理できるはずだった。

 だが、英輔は、何故か顔をしかめた。

「?」

 安部道場の面々と、葵達がそれを疑問に思うころには、その場の状況は決していた。

 北条桃矢が、英輔の腕のそでを引き絞って、両腕とも下から掴んでいたのだ。

「また……」

 またそでを持って封じられたのだが、今回は前回とはまた違っていた。

 有利な体勢なのに、何もできないのだ。

 そでを引き絞って掴まれているので、英輔は掴むことができない。普通なら、腕を引き抜くなど簡単なことなのだが、北条桃矢の力で、しかもそでを引き絞って、という体勢では、抜くに抜けない。

 しかも、その腕の力で封じられていては、腕を首にまわす、などの行動もとれない。

 さっきはただ柔道の形だけであったが、今回は、完全に有利なはずの体勢で、さらにそれを封じられてしまったのだ。

 腕の差、なのかもしれない。

 まだ一ラウンドであったが、試合を観ている者のほとんどがそう思っていた。それは安部道場の面々や、葵でも変わりない。

 動きをことごとく封じられている。投げれたのは、単なる向こうのミスのようであるし、反対に、それ以外は何ら隙を見せていない。

 寺町も、試合が始まる前とは違って、神妙な顔で試合を観ている。北条桃矢の実力を、見くびっていたのを、修正したのかもしれない。

「どうしたの、寺町。意見変えた?」

「うーん、そうですねえ。まあ、意見は変えるつもりはありませんが……強いですねえ、北条桃矢は」

「そうね、正直、私もここまでとは思ってなかった」

 それほどまでに、試合展開は一方的だった。英輔が、決して弱い選手ではないだけに、その実力が際立つ。

 北条桃矢は、そのまま上で何とか腕を外そうとする英輔の腕を脇にかかえ、膝をついた状態から、脚を引き込む。

 当然、広げている身体を小さくすれば、その分組み技では不利なのだが、今は英輔を完全に封じてあり、その余裕もあったのだろう。

 完全に英輔が逃げられなくなった状態から、北条桃矢は足をふんばった。

 そして、英輔を、さっきのお返しとばかりに、ブリッジを使って、後ろに投げ飛ばした。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む