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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(33)

 

 英輔の身体が、綺麗に弧を画いて飛んだ。

 ズダンッ!

 英輔は、腕を封じられていたので、とっさに足の裏で受け身を取る。

 プロレスラーなどはよく使う受け身だ。柔道では普通は使わない受け身だが、腕を完全に封じられた状態で取れる受け身などそう多くはない。

 柔道の受け身でなかろうとも、英輔が使えない道理はなかった。

 英輔は、足からマットに落ちると、すぐに身体をひねっていた。

 その回転につられて、北条桃矢の身体が、同じく半回転した。一瞬の間に、背中から落ちるたずだった英輔が上になっていた。

 だが、そのまま北条桃矢は下になったりはしなかった。その一瞬で、英輔の右腕をつかんで、素早く腕がらみに移行していた。

 しかし、さらに英輔はそれに反応して腕をひきつける。身体の離れた状態だったので、英輔は腕をつかまれたままではあったが、腕をひきつけることに成功した。これで、北条桃矢の関節技はそう簡単には決まらなくなった。

 さらに北条桃矢は、英輔のえりをつかもうと英輔の腕から手を放したが、その一瞬をついて、英輔は北条桃矢から距離を取った。

 ほんの数秒の間に、それだけの動きをして、二人はまた立って対峙していた。

 観客達は、狐につままれたような顔をして見ていた。動きが速く、そして複雑だったので、一体何が起こったのか理解できなかったのだ。

 数秒の間を置いて、歓声が広がる。やっと二人の凄さに声がついていったのだ。

 葵も、特に組み技であったのもあるが、英輔と北条桃矢の動きを最後まで追えなかった。動きはそれは見えるのだが、一体何の目的で動いて、どんな技をかけようとしているのか、よくわからないのだ。

 坂下には、ある程度は見えていたが、それにしたって、全部を理解できているわけではない。

 もっとも、それを言うと、二人の動きを最後まで追えた人間など、この体育館に何人いるだろうか?

 綾香も修治もここにはいないので、おろらくは、北条鬼一ぐらいだろう。英輔と北条桃矢の動きを最後まで追えたのは。

「速いですね、英輔さんも、北条選手も」

「そうだね。今までの試合は、どっちかと言うと打撃が主だったからねえ。組み技の選手も凄いのがいるってわけだ」

 そうは言いながらも、坂下は少し不満があった。

 それは打撃戦ではないからなのだろうか? それだけ高レベルの試合を観ているというのに、まったく血がたぎったりしないのだ。

 他の試合、特に浩之対寺町の試合は、いきなり乱入してもいいと思うほど血がたぎる試合だった。

 正直、試合を観てエクストリームを大分見直していたのだ。空手とは、試合の内容も技も違うが、その中で戦うのは、やはり格闘技者なのだと、少しうれしかったりもしていたのだ。

 だが、この試合は、展開は、かなり高レベルなのに、何かたぎるものがない。

 ためしに、寺町を見てみると、何故かあくびをしている。さっきも、この試合、というよりも、北条桃矢を認めないようなことを言っていたが、それは間違いなく、寺町の本心なのだろう。

 つまらない試合をする相手に、寺町は用事はないのだ。

 組み技では、英輔はむしろ押されていると言っていい。今のところは互角ではあるが、ここぞと言うときに、簡単に封じられている。

 いや、もしこれが寺町であったとしても、北条桃矢は、けっこう簡単に寺町の技を封じてくるかもしれない。

 それだけの実力があるのも、わかる。いや、実力があるからこそ、英輔を封じながら戦えるのだ。

 だが、バカらしいのかもしれない、これは格闘家としてはしごく当然の話なのかも知れない、が相手を封じても、何も面白くないのだ。

 このままやれば、判定でも勝てるだろうし、そのままギブアップなりを奪えるかもしおれない。多分、この展開から言ってそうなるだろう。

 だが、観客が驚くほどには、坂下は驚けなかった。

 格闘技で相手に勝つ方法は、相手に何もさせないことだ。得意な技を出しにくい状態にして、自分は有利な状態で戦う。

 技のことごとくを封じ、相手の勢いを殺す。方法は色々ある。

 それには、もちろん実力が必要だが、反対に、実力があれば、できる可能性は十分にある。経験が多ければなおさらだ。

 しかし、そんなことをして勝っても、坂下ならまったく面白くなどなかった。

 浩之と寺町が真正面からガリガリとやりあう、ああいうのこそ、坂下の求める格闘技だった。

 フェイントも、コンビネーションも、何もかも、確かに勝つには必要だし、それを血のにじむ思いで習得する。それにも意味はあると思うし、非常に重要なことだと思う。

 だが、戦って楽しくないのなら、坂下はこの場所になどいなかったろうし、葵も、綾香もいなかったろう。

 見ていて面白くないはずだった。北条桃矢は、坂下の格闘理論のまったく正反対の存在なのだ。寺町にとっても、それは同じことなのだ。だから、寺町は北条桃矢に興味をいだかない。

 英輔は、何とかして北条桃矢の隙をつこうとしているが、最初からまともに戦う気のない、それほどまでの実力者を相手では、勝つのは難しかろうし、一矢むくいるのも大変だろう。

 いかに英輔が闘志に燃えようとも、それを空回りさせる方法で北条桃矢は戦っているのだ。葵がさっきから、英輔の目の闘志を感じないのはそのせいもあった。

 相手あってこその闘志なのだ。空回りさせられた闘志など、何の役にもたたない。

 もう、一ラウンドも残り少なかったが、英輔は攻めあぐねていた。すでにしとめるには時間がないと北条桃矢は判断したのだろう、守りに入っていて、英輔の付け込む隙など、まったくなかった。

 安部道場の面々にも、嫌な雰囲気がただよっていた。今まで、英輔がここまで一方的に技術負けすることなどなかったのだろう。さらに上の、プロの技術を見て、その差に愕然としているのだろう。

 危険なことを起こさずに、相手に何もさせないようにして勝つ。

 まさにプロ。勝つためには、これほど確実な方法はないだろう。

 しかし、勝つだけが格闘技ではない。坂下はそう思っているし、葵も、綾香はどうかわからないが、寺町もそう思っているはずだ。

 浩之とて、今ならそう思っているかもしれない。

 坂下は、半分同情の目で英輔を見ていた。封じられ、このままずるずると負けていく運命が英輔には待っていると思ったからだ。

 だが、その反面、期待もある。

 この面白くない戦い方をする男に、少しぐらい目にものを見せてくれるのではないのか。

 葵の目は、それを完全に期待しているようであったし、寺町がそれでも試合を観続けるのは、おそらくそういう理由からだろう。

 どれほど対抗できるかわからなかったが、少なくとも、このまま終わるには、英輔の目には、闘志の色が強かった。

「待てっ!」

 一ラウンドの終わりの合図が響いた。

 

続く

 

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