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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(37)

 

「英輔さんは、コンビネーションが使えないんですね」

 葵の本質を見抜いた内容に、坂下は満足そうにうなづいた。

「そういうことよ」

「どういう、ことなんですか?」

 打撃にうとい安部道場の面々には、理解しかねる内容だったのだろう、美紀が坂下に訊ねていた。

 しかし、打撃格闘家の面々は、葵の言葉で、だいたいを理解できていた。寺町は坂下と同じぐらいで理解したようだし、中谷も、葵の言葉でその意味がわかったようだった。

 なるほど、言われてみれば、よく考えてある。

「英輔さんは、打撃のコンビネーションを捨てて、一撃しか鍛えなかった、ということなんだと思う」

「それって、何か意味なさそうなんだけど……」

 美紀は、素人考えで物を言っているとは思っているだろうが、実際は、かなりまとを得た言葉だった。

 打撃を練習するのに、コンビネーションを練習しないのでは意味はない。

 一人で何度も何度も反復練習するのは、確かに悪いことではない。的確なアドバイスさえあれば、フォームも研究できるし、どんなレベルであろうとも、そういう練習は効果もあげれるし、何より精神的なバックボーンとして大きなものとなる。

 だが、完全に効率がいいか、それだけすれば勝てるか、と言うと、そういうわけにはいかないのが実際の試合だ。

 どれだけ威力のあるパンチを打てたとしても、当たらなければ意味がない。

 寺町の打ち下ろしの正拳が強かったのは、何もそれだけを練習したからではない。それを、何度も実戦で使って磨ぎあげた結果だ。

 打撃のコンビネーションというのは、いわゆる独闘とはまったく反対のものだ。

 中国拳法などで、最初から動きに無駄なく連続技に入れる型を取り込んではいるが、それを何万回繰り返したところで、誰にでも勝てるわけがない。

 実戦は水物、連続技で自分の身体がなければならない場所に、人の身体があるかもしれないし、相手のリーチによって対処方法はまったく違う。

 さらに、相手は、対戦相手のいる練習を何度もしてきているのだ。

 少なくとも、動体視力や反射神経は、独闘ではつちかえない。何度も組み手をすることによって、それを鍛えていくのだ。

 英輔は、コンビネーションを捨てた。それは、色々な意味はあるが、最も大きいのは、その使える状況を限定するためなのだろう。

 コンビネーションは、何度も行って普通は身体に叩き込むものだが、それを生かすためには、言わばセンスというものがある。技は技として練習すればいいが、それを臨機応変に使用するとなると、天性の格闘勘か、長い練習が必要だ。

 英輔は、組み技、それも柔道をメインで練習してきたろう。おそらくは、かなり前から異種格闘技を意識はしていたろうが、それでも、打撃の練習できる時間は短かったはずだ。

 だから、英輔は、短い時間で最大の効果を出せる方法を選んだのだ。

「コンビネーションは、複雑だし、練習に時間を取られる。だったら、組み技のタイミングで使えるタイミングだけで使える打撃を使った方が有利、と英輔さんは思ったんだと思う」

 組み技のタイミング、つまり、相手を捉まえるタイミングでの打撃なのだ。

 さっきは、相手のタックルを切るタイミングで、右フックを重ねた。組み技を主に練習している英輔だから、北条桃矢であろうとも、動きが読めたのだ。

 おそらく、英輔は組み技のタイミングと、牽制に使えるだけの打撃を練習しているはずだ。

 巴投げのタイミングで膝蹴り、脚払いのタイミングでローキック、この結果から見ると、おそらく牽制もかなり捨てていると思われる。

 気のない打撃で距離を取るよりは、むしろ強引でも突っ込んで掴んだ方が有利に運べると思ったのだろうし、その自信があったのだろう。

 しかも、組み技のタイミングなら、相手に組み技でしかけられても、それをさばく自信が、これまた英輔にはあったのだろう。

 条件を考え、英輔の選んだ選択は、正しかったと思われる。

 それが証拠に。

「ほら、北条桃矢選手が、攻めかねてる」

 北条桃矢の動きが、あきらかににぶっていた。それは、おそらく右フックのダメージではない。

 北条桃矢の心理が、葵にも坂下にも読めた。

 英輔は、打撃も使うが、それは組み技だと思っているところで、いきなり使われるから怖いのだ。どんなに警戒しても、英輔ほどの組み技の使い手と組んでいる途中に、打撃を警戒するだけの余裕はない。

 反対に言えば、組み技の間の打撃が怖いのであって、他の打撃は怖くないということになる。

 実際、組み話の選手にしてはよく練習してはあるが、打撃格闘家にとっては、英輔の打撃はお粗末なものだった。

 打撃を打つ体勢からの打撃など、怖くとも何ともない。北条桃矢はそう判断していたはずだ。葵もそう判断していた。

 しかし、そこから、見事なタイミングの打撃で、北条桃矢は押し返された。

 迷いが生じても仕方ない。前までの作戦と、大きく違ってしまう。おそらく、北条桃矢はあせっているはずだ。

 どんな強者も、ぼろが出たときはもろい。天才が、多少の作戦の崩れで、そのままずるずると負けてしまうことはけっこうある話だ。

 少ない練習量でできる、打撃を生かす作戦。英輔の作戦は、成功している。

 相手の精神を攻撃する打撃、と言ってもよかった。

 よしんば、コンビネーションがなく、打撃だけでは決めれないと読みきっても、飛び込むのには勇気が必要だ。危険を冒さない北条桃矢が、そんな冒険をするか……

 しかし、葵も、そう思って少しおかしくなった。

 危険を冒さない人間が、打撃を封じたりするだろうか。

 北条桃矢の、浅さ、とでも言おうか。葵はそんなことを感じていた。

 余裕の相手だから、打撃を封じて実力の違いを見せようとした北条桃矢は、その余裕だと思った相手に苦戦している。

 だから、寺町は、北条桃矢から興味をなくしたのだ。

 強くても、寺町の食指は動かない。相手の技を封じた戦い方とか、そんなことはまったく意味はないのだ。

 戦って、すっきりできる相手かどうか、寺町の興味はそこに尽きているのだろう。

 北条桃矢は、すっきりしない、楽しくない相手。

 そして英輔は。

 英輔は、その均衡を、あっさり捨てた。

 おもむろに腰を落とし、本当におもむろ、だったのだ。さして急ぎもせずに、北条桃矢に、来るという心構えをさせておいてから。

 いきなり仕掛ければいいだろうに、英輔は、わざわざ相手がかまえる隙を作ったのだ。しかし、それは、おそらく北条桃矢の裏をかいた。

 北条桃矢の、気持ちの裏を。

 英輔は、北条桃矢にタックルをかけていた。

 

続く

 

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