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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(40)

 

「……テンッ!」

 審判は、カウントを最後まで言い終えた。

 試合の勝敗自体は、えらくあっけないものだった。二ラウンドの半ば、英輔はKOで倒された。

 浩之対寺町のときのように、どちらもが極限まで粘るような試合ではなかった。内容は高度ではあったが、盛り上がりには欠けたし、結局、あっけなく決まった。

 しかし、勝った北条桃矢の顔は、どう見ても勝者の顔ではなかった。息を乱しているのはいい、試合後だ、それは不思議ではない。

 英輔が、ふらつきながらも、何とか立ち上がろうとしているが、はやり打撃が脚にきているのだろう、立ち上がれずにしりもちをついた。

 安部道場の面々は、見ていられなくなって、全員英輔にかけよった。

「英輔さん、大丈夫ですか?」

「ほら、しっかりしろ、英輔」

 観客からも、まばらながらも、拍手が英輔に送られていた。中には、この試合の意味をよくわかっている観客もいるということだ。

 葵は、どこか冷めた顔で、北条桃矢を観察していた。

 顔は青ざめ、結局圧勝で英輔に勝った者の表情ではない。ダメージもおそらくはほとんどないだろうから、それは精神的なものだ。

 あのまま打撃を使っていれば、勝てたかもしれないのに。

 葵も、それは思う。だが、今回はあれでよかった。負けたとしても、それは別に悪いことではないような気さえした。

 北条桃矢の顔を見てもわかる。英輔は、試合には負けたが、勝負には勝った。

 自分を、エクストリームをなめた北条桃矢に、痛いほど思い知らせてやったのだ。なめた態度のまま、勝てるような甘い試合でも、自分でもないと。

 英輔は、安部道場の面々に肩を借りて、試合場から降りる。ダメージが脚にきて立ち上がるのもやっとだろうが、表情は意外に晴れ晴れとしていた。

「ほら、少しはなぐさめてやったら?」

 坂下が、少し意地悪く言ったので、葵は苦笑した。

 含みのある内容なのだが、葵はそれに気付いて苦笑したのではない。今の英輔に、なぐさめの言葉などいらない、と思ったからだ。

 しかし、試合を一生懸命やってきた英輔に言葉をかけるのは、間違っていない。

「英輔さん、お疲れ様でした」

「……いや、こうもあっさり負けて、恥ずかしいよ」

 安部道場の面々に肩を借りている英輔は、葵に優しく言葉をかけられて、しかし、どこか自分では納得したように笑いながら答えた。

 意識ははっきりしているようだった。試合が終わっても、自分で立ち上がろうとしていたのだから、何も不思議がることはないが、本当に、これで相手が浩之や寺町なら、試合を続けれたかもしれない。

「まあ、実力じゃあまったく張り合えないと思っていたから、仕方ないと言えばそうなんだけれどね。やれることはやったつもりだよ」

「十分だって、相手の鼻もあかしたしな」

 安部道場の面々はそう言ってお互い笑った。英輔が負けたのが悔しくないのか、それとも、やはり英輔のように納得しているのか。

 英輔は、顔をあげて、寺町の姿を確認すると、寺町に向かって言った。

「寺町さん、次の試合の相手はできませんが……寺町さんはがんばってください」

「あんたと試合ができないのは残念だが……とりあえず、勝つつもりで戦うことにするよ。相手としては、面白くないけれどね」

 英輔にも圧勝した相手を、面白くないの一言で一蹴するあたりは、さすがは格闘バカである。

 しかし、それも、葵にもうなづけた。

 まだ試合場で呆然、というよりもおびえている北条桃矢を見て、葵は戦いたいとは少しも思わなかった。むしろ、今の自分なら負けないとさえ思えた。

 技も、身体も、格闘技には大切な要素だ。それのどれが抜けても、強くなるのは難しい。

 しかし、心技体という言葉が示す通り、心が一番最初に来るのだ。

 心折れた相手に、葵は負ける気がしなかった。どんなに身体が大きくても、技が優れていても、最後の最後で、心が折れれば、それは負けだ。

 精神論、などというものを嫌う人間は多かろうが、格闘技をするのが人間である限り、その精神を除外しては考えれないのだ。

 英輔は、結果北条桃矢が自分で封印していた打撃を使わせて、あっさり負けてしまった。負けたのはそれは悔しいだろうが、しかし、英輔はある意味勝っているのだ。

 北条桃矢の心は、英輔によって折られた。

 心の折れた、三つのうち、一つを無くした相手に、それは寺町が興味を持つわけがないのだ。

「では、がんばってください。僕は一応、検査してもらってきます」

 エクストリームには、地区大会とは言え、医師がついている。打撃で倒された英輔の場合、大事を取って軽い検査をするのが正しい行為と言えた。試合は負けたが、まだ全てが終わったわけではないのだから。

 英輔は、葵達に頭を下げると、安部道場の面々に肩を借りて、医務室に向かった。

 北条桃矢の方を一度も振り向かずに、葵の方さえ一度も振り向かずに。

「……」

 葵は、微妙な顔で英輔を見送った。

 確かに、英輔は北条桃矢の心を折った。そのために、ある意味試合を捨てたと言っても嘘にはならない。

 だが、英輔だって、負ける気ではなかったのだ。

 勝負には、なるほど、勝ったろう。しかし、試合には負けた。

 負けて悔しくない人間など、ここにはいないのだ。そんな人間が、エクストリームに出ていないわけがない。北条桃矢だって、一試合目に試合には勝ったが、勝負に負けて激怒していた。

 ならば、試合に負けた英輔が、悔しくないわけがないのだ。

 英輔が後ろを振り返らなかったのは、葵にあわせる顔がないわけでもない、北条桃矢に、何の興味もなかったからではない。

 ただ、負けてくやしくて、その表情を隠すためにだ。

 葵は、同じように負けてしまった浩之のことを思った。

 正直、英輔のことよりも、それがよほど気になってはいたが、初めて公式戦で負けた浩之が、葵達に見られたくない行為をするのは、半分予想はできたので、気をきかせて、浩之を綾香に頼んだ。

 でも、正直、私も負けたセンパイを慰めたかった。

 しかし、負けた本人は、それを望んではいないだろう。浩之はそうだろうし、英輔もそうなのだ。

 負けたくない、葵も、素直に思っていた。

 色々なものが、それを葵に訴えてくる。負けた者の悔しい気持ちとか、それを見るまわりの者の気持ちとか、自分の気持ちとか。

「……がんばります」

 誰に言うでもなく、葵はそうつぶやいていた。それは、葵にとっては一大決心の言葉だったのかもしれない。

 がんばって、勝つという。

 

続く

 

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