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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(41)

 

「どう、落ち着いた?」

 綾香の優しい言葉が、浩之の心を幾分か溶かしていた。

 と同時に、浩之は綾香に対して、酷く悪い気持ちになった。少し落ち着いてから、綾香に対する約束を破ったことに気付いたのだ。

「ああ、ごめんな、綾香」

「……何言ってるのよ、やってるのは格闘技よ。いっつも勝てるんなら、賭けなんて成立できないじゃない。それに、浩之は、よくやったわよ」

 よくやった、などと綾香の口から言われると、本当にそんな気分になってくるから不思議だ。いつもは、浩之に厳しいだけ厳しい綾香だからなおさらだ。

「格闘技をやり始めて、三ヶ月弱、むしろ、ここまで来れたのだって、褒められこそすれ、けなされることなんてないわよ」

「そう言ってもらえると……助かる」

 しかし、試合の始まる前であれば、やりすぎなぐらいやれたと浩之も思ったろうが、あの試合をした後では、そんな気持ちにはなれなかった。

 寺町の、人間とは思えない打撃をかいくぐり、一撃を当てたときの感触。

 反対に、かわしきれずに、受けた一撃の痛みや衝撃。

 もう絶対立ち上がれないダメージを受けているのに、それをまるで効いていないかのように動く身体。

 最後の、三眼の末端を垣間見た時間。

 浩之だって、そこまでできるとは思っていなかった。今まで、何度も何度も綾香達と試合をしたが、あんなことは初めてだった。

 でも、それに似た感覚も、今までに確かにあった。

 綾香との賭け。

 綾香の身体に、一撃を入れれるかどうか。

 最初は、酷く簡単な話だと思った。女の子となら腕力も違うし、スピードだって男の方が上だろう。さらに言えば、男も顔負けの大女ならともかく、目もみはるような綺麗な女の子だ。まさか、それがエクストリームチャンプだとは思うわけがない。

 あのとき、手加減していたとは言え、綾香に入れた一撃、いや、ニ撃だったか。その辺りは、あまり記憶にない。

 しかし、自分ではできるとは思っていなかったのは同じ。

 違うと言えば、試合では今回は負けてしまったということだ。KOされたのまで、他は一緒だ。

 浩之は、また一歩自分が何かの壁を越えたように感じた。結果負けたし、綾香の前で泣いてしまうほど悔しかったが、昨日と今日の自分では違う、そんな気分になっていた。

 もっとも、綾香と比べりゃまだまだなんだろうがな。

 綾香が、あのとき手加減をしていたなら、それこそ全力で入れておくべきだったのだ。きっと、もう一度綾香に一撃入れるなど、はるか先の、もしかしたら一生ない話なのだから。

「で、浩之……」

「ん?」

「賭け、覚えてるわよねえ?」

 その一言で、浩之は顔にこそ出さなかったが、心の中は真っ青になった。それこそ、どっかの誰かではないが、心が折れたと言ってもよかった。

「……あ、ああ、覚えてるぜ」

 しかし、しらばっくれるわけにもいかない。幸い、浩之が負けたわりには、綾香は上機嫌そうだ。この上機嫌な状態で賭けの負け分を払った方が確実によかろう。しらばっくれれば、いつもの綾香に戻って、無理難題言い放題になるはずだ。

 それは避けねばならない。死ぬかと思った寺町の試合を、何とか五体満足で終わらせることができたのだ。試合の後の綾香のわがままで死を迎えては、死ぬにも死に切れない。

「ど〜しよっかな〜」

 浩之の命を手で弄びながら、綾香は実に上機嫌だった。

 ……というか、この上機嫌さは、俺の命を手に握ってるからなのか?

 そうであれば、結局今だろうが後だろうが、死は免れないということだ。

 これが単なる友達同時の冗談ならばどれだけいいことか、と浩之は思った。しかし、残念ながら、綾香はいつも本気だし、何を置いても、綾香なら浩之ぐらい殺しかねないという、どうしようもない現実がある。

「……この際言い訳はしない。俺は静かに死を受け入れることにする<」/P>

「もう、私が命取るようなこと言わないでくれる?」

 ああ、とても上機嫌だ。笑顔で少しふくめっつらをしてそう文句を言う姿など、抱きしめたいほどだ。

 しかし、それが天使に見えずに悪魔に見えるのは、きっと浩之の偏見だろう。むしろ、偏見であって欲しいと、浩之は心から思った。

「センパ〜イッ!」

 しかし、浩之が死を覚悟した瞬間、遠くから神の助けの声があがった。

「あ、葵ちゃん……」

「何よ、その救助が来た遭難者みたいな声出して」

 綾香の比ゆは、あまりにも的を得ていたが、浩之は無視することにした。うなずこうものなら、助け船も関係なく張り倒されるのは目に見えていたからだ。

 葵が、浩之達に向かって走ってくる。

「センパイ、お疲れ様でしたっ!」

「うん……ああ、ごめんな、葵ちゃん。負けちまって」

「そんなことありませんよっ!」

 ぶんぶんと、葵は大げさに頭を横にふった。

「本当に、凄い試合でした。あんな試合、私も観たことありません。さっきの試合を観て、改めてセンパイを尊敬しましたっ!」

 葵の瞳が、キラキラと輝いていた。本当に、何の迷いもない瞳だ。

 そんな目で見られると、浩之も、自分が負けたことでくよくよしているのが間違っている気がしてきた。葵の目というのは、ただただ前向きなのだ。それに見られて、うじうじする方が恥ずかしい、と浩之は思った。

「そう言ってもらえると、嬉しいよ、葵ちゃん」

 浩之は、葵の言葉が嬉しくて笑った。

「……」

 浩之の顔を見て顔を赤くしながら見つめる葵を、綾香が横からつつく。

「葵、だめよ、浩之は私のものなんだから」

「え、いえ、そんなことじゃなくて……」

 葵は、しどろもどろになって何か弁解しようとしているが、器用でもない葵がすぐに気の効いたセリフを言えるわけがない。

「ほら、綾香。葵ちゃんいじめるな」

 そういいながらも、浩之は少し考えていた。

 葵ちゃんをからかうってのも珍しい。

 いや、この状況なら、浩之が一人責められておしまい、というのが普通なのだが。綾香も綾香で、少しは自分に嫉妬というものをするのかもしれない。

 多分、後数分後には綾香はいつもの綾香に戻ってはいるだろうが。

 それでも、綾香に嫉妬されるというのは、嬉しかった。この後、どちらにころんだとしても、まあ大体は地獄が待っているとしても、だ。

 

続く

 

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