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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(42)

 

 浩之の前に並べられたお弁当の、箱、箱、箱。

 お弁当に匂いまで求めるのは酷というものだが、そうでなくとも、見た目だけでそれはかなり食欲をわかせた。

 お腹は、言わずもがな空いている。朝は試合があるのであまり食事をしなかったのもあるが、それ以上に試合で動いたのが原因だろう。

「はい、浩之ちゃん。作ってとは言われなかったけど、沢山作ってきたよ」

 ニコニコと、何故か重箱を並べているあかりのお弁当は、運動会かそこらで出てくるような、見事なまでの「重箱弁当」だった。

 おにぎりしかり、から揚げしかり、玉子焼きしかり、まさにどんな場所に出しても恥かしくない出来だ。

 しかも、お茶から取り皿、お手拭まで、周辺機器も完璧だ。ここは、やはり長年の経験と勘が物を言っている。

「あまり自信はないんですけど……」

 葵のお弁当は、やはり数人でつまめるようなお弁当だ。いつもは女の子にしてはよく食べる葵だが、試合の前後ということで、量は控えめにしてあるようだった。

 食べ易さを考えたのか、オーソドックスなサンドイッチだ。それでも、市販のサンドイッチではないところに、葵の今日にかける意気込みが感じられる。

 少し申し訳なさそうにしているのは、横にあまりのできばえのあかりのお弁当が並べてあるからだろうか。

「うーん、さすがあかりね。いつもながらおいしそう」

「ありがとう、志保」

 志保は、あかりがお弁当を作ってくるのを知っていたろうから、何も持参していない。もっとも、志保が料理をするなど聞いたことはないが。

 坂下も食べる一方のつもりで来ていたのだろう、何も持参していないが……

 問題は、綾香だった。

「残したら殺すわよ」

 脅迫と笑顔、この二つを兼ね備えて似合う、と思うのは、綾香だけだ。というか、一般人は脅迫などしたりはしないのだが。

 見た目は、ごく普通の家庭的なお弁当だ。みんなでつまむタイプではなく、明らかに個人用として作成されているように見える。

 献立も、そぼろご飯に、アスパラのベーコン巻き、ミートボール、ナポリタンスパゲティ、カボチャサラダ、玉子焼き、ニンジンのグラッセと、実に普通。浩之が全部料理の名前を言えるほど普通だ。

 だがしかし、しかしだ。

 見た目は、なるほど、普通のお弁当。これを見て、腰を抜かして逃げる人減は、浩之をおいて他にいないだろう。

 いや、浩之とて、腰を抜かしたりはしないが……

「……なあ、綾香。ちとつかぬことを聞くんだが……」

「何よ、改まって」

 聞けば、殺されるかもしれない。そうでなくとも、いつ綾香の拳なり脚なりお弁当箱が飛んでくるかわからない状況ではあるが、さりとて、聞かずに済ませることのできる内容ではなかった。

「……食べたら死んだりしないだろうな?」

「お約束ねえ。普通の食材で、普通に作ったんだから、そんなことあるわけないじゃない」

 いや、そうとも言い切れないだろう。綾香は天才だが、天才は常識を超えてくるかもしれない。それがいい方に行かずに悪い方に向かえば、お弁当一つで死人を出すことなど造作もないことかもしれない。

「だいたい、綾香って料理作ったことあるのかよ?」

「あるわよ、当然でしょ」

「いつ?」

「学校の調理実習のとき」

 お約束、というのはこういうことを言うのだろう。

 高校生で料理が得意など、思うほどいないものだ。葵だって、浩之にお弁当を作らなければ、ほとんどやったことはなかったろうし、他に浩之の知り合いで料理のできる女の子は、かなり少ない。

 あかりのように、かなり極めるまで料理をするのはともかく、一般的に言って、親がいれば親が料理をするものなのだ。

 まして、綾香は良い所のお嬢様、親どころか、コックがいるぐらいの家だ。綾香が料理を趣味にでもしていない限り、作ることなどなかろう。

「味見はしたか?」

「そんなの、せずに浩之の反応を見て楽しむに決まってるじゃない」

 確信犯ですか、よりにもよって。

「大丈夫だって、調理実習のときも、私が一番うまかったし」

 お嬢様だらけの調理実習、そこはかとなく、などではなくかなり危険な匂いのするそれを、見てみたいような見てみたくないような……

「ま、どっちにしろ、残したら言ったように殺すから」

 綾香の手作りのお弁当の質もさることながら、今並べられた料理の量にも頭を悩ませるところだ。

 今の状況が、いかに華やかか想像してもらいたい。浩之一人に、女五人。しかも、五人ともになかなか魅力的な女の子達だ。

 それに囲まれるようにして並ぶお弁当の数々。

 いや、この状況で俺の方を睨まない男がいたらお目にかかりたいものだ。

 しかし、裏を返せば、いかに坂下や葵が、普通の女の子に比べて沢山食べるとは言え、そのお弁当の量は半端ではないのだ。

 綾香も、そこらへんを考えて、もう少し小さなお弁当箱にすればいいものを、いつもの浩之が運動した後に腹が減った状態でもお腹いっぱいになる量のお弁当箱を選ぶ辺り、さすが綾香としか言い様がなかった。

 残すわけには、それはいくまい。綾香のは命がかかっているから当然として、どう見たって自分のために作ってきてくれた葵とあかりに対して、料理を残すというのは、かなり失礼だ。いかにあかりとは付き合いが長いとは言え、料理を残さないのは、最低限のあかりに対する礼儀だ。

「うーん、ちょっと多そうだね。私のはいいから、綾香さんのお弁当食べてあげてよ」

 浩之の心情を心得てか、あかりが苦笑しながら言ってくれた。だが、それを言われたからには、浩之としては、さらに残すわけにはいかなくなった。

 ……まあ、これぐらい食べたからって、死ぬわけじゃないだろ。

 さっきまでの極度の緊張や、過酷な試合を経て、浩之のお腹はいい具合というか、餓死寸前までに減っていた。冷静に量や味の心配をしていられるほど、自分には余裕がないと思いながらも、一応考えてみる浩之も浩之である。

 身体はまだ節々が痛むし、吐き気もするが、胃は上丈夫なのか、お弁当を前にして、余計にお腹が空いてきた。

 ええい、ままよ。腹がいっぱいになったときは、そのときだ。

「んじゃ……いただきます」

「はい、どうぞ」

 あかりのお弁当を食べるわけでもないのに、綾香の弁当を前にして決意の言葉を述べる浩之に、あかりは何げなく返事をした。

 浩之は、あかりから渡された割り箸を二つに割ると、綾香のお弁当を無我の境地で掻きこんだ。

 

続く

 

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