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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(49)

 

 ズドンッ!

 全身を襲った激しい衝撃と共に、葵の身体は宙をまっていた。

 い、一体何が?

 そう思う暇もなく、葵はマットの上に華麗に着地しながら、構えを取っていた。

 衝撃を全身に感じたのは、それが有無を言わせず身体全身を吹き飛ばしたから。受けた衝撃は、一番背中が大きかった。

 表面よりも、身体の内側に衝撃が走るように感じたのを考えると、先端、拳や足ではなく、肩や背中での打撃だ。

 それを頭の中で一瞬で思考したわけではなくとも、身体は勝手に反応して、丁度自分を背中から襲った相手に対して向くように、空中で身体をひねって葵は着地していた。

 着地した瞬間には、すでに打撃を打てる構えになっていた。何千、何万回と行ってきた構えは、完全に葵にしみついているのだ。

 審査員席から、綾香の隣まで、数メートルの距離を、自分のような身体の小さい者であろうとも、吹き飛ばすような打撃の使い手。

 それは、綾香レベルの使い手だ。それを思うと、葵の軽く握られた手の平に、じとっと嫌な汗が出る。

 その怪物に、背を向けていた恐怖に、今になって身体が反応しているのだ。

 しかし、それでも構えを取り、相手を見据えた状態ならば、そう簡単には……

「いらっしゃい、葵」

「えっ?」

 綾香に肩を叩かれ、葵は我に返った。

 審査員席を見ると、両腕を突き出した格好で嬉しそうにしている北条鬼一。そして、横には綾香。

 ついでに、体育館をうめている、大勢の観客。

「え、ええっ!?」

 葵は、完全に試合場で、綾香の横、つまり、真ん中に立っていた。

 当然のように、観客達は、いきなり飛び込んできた、それも宙を飛ぶように、一人の少女に注目している。

 綾香は、嬉しそうにマイクのスイッチを再び入れた。

『私の空手の後輩の、松原葵。今日、ナックルプリンセスでは地区大会優勝で本戦の切符を手に入れるわ』

 オオオッ、と観客がわく。どう聞いても間違えようのないほどの優勝宣言だ。多種多様の格闘技と選手が混在するエクストリームでは、それが地区大会であっても、なかなか優勝宣言はできない。

「あのバカ……」

 綾香の耳には、浩之のつぶやきと言うには大きな声が、ちゃんと耳に入っていた。地獄耳をなめてもらっては困る。後から折檻ね、などと思いながら、言葉を続ける。

『他のナックルプリンセスに出ている選手には悪いんだけど……今日の主役は、この子よ』

 オオオオオオォォォォォッ!

 例え雑誌などの報道関係者に対するリップサービスでも、ここまで言い切ることはまれだ。それだけ、格闘の世界というのは何が起こるかわからない。

 しかし、それでも綾香は言い切った。

 問題がいくらかあるとすれば、戦うのは綾香ではないし、ついでに責任を取るのも綾香ではない。

 今、自分の横で固まっている葵だ。

 観客の中から、試合場で固まっている葵を見ながら、浩之は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

「まさか、綾香があそこまでするとは……」

 甘い考えだったのかも知れない。綾香が、葵のことをそこまで目の仇にして倒そうとするとは、思っていなかったのだ。

 葵を倒す、一番確実な方法を、綾香は取ってきた。

 つまり、地区大会で予選落ちさせるのだ。そうすれば、本戦には出て来れずに、結果綾香は試合をすることもなく葵に勝つ。

 葵の上がり性を、見事なまでに突いた作戦だった。いや、上がり性がなくとも、あんな場所でそんなことを言われて、平静でいられる選手など、この中に何人いるだろうか?

 綾香の葵に対する期待と、それを口にしてしまった以上、葵に生まれる責任感。

 それが、いい方向に向かってくれればいい。しかし、葵の場合、それはいい方向に向かいそうになかった。

 綾香は、本当の本当に、葵ちゃんを倒しに来ている。少しの手加減もなしだ。

 あそこで、葵ちゃんを逃がせなかった自分が恨めしい。あそこで葵ちゃんを逃がしておけば、こんなことには……

 しかし、浩之にも、綾香の心意が読めなかった。勝つためには、それがいいだろう。しかし、それで、綾香は満足するだろうか?

 自分の手でボコボコにするならまだしも、他人がおいしそうな後輩をボコボコにするのを見て、満足する女だろうか?

 それについては、違うと言い切れる。綾香のサドは、本物だ。相手がボコボコにして楽しい相手なら、間違いない、綾香は自分でボコる。

 あまり美しくない綾香に対する信頼がある以上、綾香の行為は何か考えがあるのでは、と浩之は思った。

『じゃあ、葵から一言もらおうかな』

 そこで、綾香は一端マイクのスイッチを切った。

「ほい、葵。かっこよくね」

「あ……あの……」

 葵の膝が、小さく震えている。顔色も、悪いなどというものではなかった。観客からは距離があるのでわからないかもしれないが、葵は完全に萎縮していた。

「葵、そんなことでどうするのよ」

「で、でも……」

 こんな場所で、冷静にいられるほど、葵は人間として完成していない。むしろ、落ち着け、そして気の利いたセリフの一つでも吐け、など、無茶もいいところである。

「はあ、まったく……」

 そう言うと、綾香は、にやりと笑った。

「そんなんじゃあ、浩之にかっこいい姿見せれないわよ」

「え……」

 さっきまで震えて、まるで雨にぬれた子犬のようだった葵が、ぴくんと反応する。ただ、そのセンパイの名前が出てきただけで。

「浩之、試合、かっこよかったわよねえ」

「は、はい」

 それだけは、今こんなに緊張した状態でも、思い出せた。

 相手の打撃を受けても、何度も立ち上がる浩之。不可能と思える実力差を、作戦と、それ以外のものでひっくり返す浩之。

 ……うん、足は、マットの上にある。

 浩之の姿だけが、葵を冷静にさせた。いや、もっと舞い上がらせているのかもしれない。この状況が、関係ないほどに。

 何のことはない、人が前に沢山いても、綾香に過度の期待をされても、自分の足は、マットの上についている。

 立って、両足がマットについているなら、打撃は使える。

「ここで浩之にかっこいい姿見せておけば、浩之も惚れ直すかもよ」

「そ、そんな……」

 今度は、葵は顔を赤くした。心では、浩之は綾香とお似合いと思っていても、やはり、捨てれないものは捨てれないし、浩之をかっこよく思う気持ちにかわりはなかった。

「今の気持ち、浩之に伝えるみたいに、口に出しさえすればいいのよ」

 好きです、だったら、かなり伝説なんだけどね。

 綾香は、葵をその気にさせながら、バカなことを考えていた。

 お願いだから、言う言葉間違えないでよ。もし、そんなこと言ったら、今度こそ、塩を送るなんてせずに、完膚なきまでに倒さなくちゃいけなくなるから。

 綾香は、葵にマイクを渡した。

 葵は、下を向いて、一度だけ深呼吸して、マイクのスイッチを入れた。

 言った言葉は、何の変哲もない、単なる一言。

『私、がんばりますっ!』

 自分なりの、色々なものへの宣戦布告。

 それが、かなり危険な宣戦布告になるとは、やっぱり舞い上がっている葵には、よく理解できていなかったりもしたりするのだが。

 

続く

 

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