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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(51)

 

「レディー、ファイト!」

 審判の合図と同時に、試合が始まる。

 さすがに、どの試合場でも、いきなり仕掛ける人間はいない。それは葵達が観ている吉祥寺選手も同じだった。

 異種格闘技というのは、恐いものなのだ。いかに相手を研究つくしていたとしても、普段慣れない攻撃が来ると思うと、足が止まる。

 そうでなくとも、エクストリームはレベルが高いのだ。やっつけ仕事のように仕掛けても、相手にさばかれて、危機に陥る方が恐い。

 何より、今一試合目が始まったばかりの状態で、どんなに準備運動をしていたところで、身体はほぐれていないだろう。この状態でダメージを与えることができれば、もちろん有利だが、反対に与えられれば、かなり効く。

 落ち着いていれば、ここでは仕掛けないだろうし、緊張していれば、やはりここでは仕掛けれない。結局、まずは相手の出方を見るように落ち着くのは予想できた。

 吉祥寺は、かなり落ち着いているように葵には見えた。フットワークを使い、リズムを取っている。組み技もある試合で腰の位置が高すぎるような気もするが、相手選手との距離は遠く、腰を落としても十分事足りる距離だ。

 反対に、相手選手は、落ち着きなく構えを変えている。フェイントを織り交ぜ、相手を翻弄したいところなのだろうが、いかに言っても距離がありすぎる。

 相手選手は、柔道着を着ているところから見ると、組み技系の選手なのだろう。そうなれば、よけいに遠い間合いでは意味がない。タックルでも使えば一気に距離を縮めれるとは言っても、打撃を使わないのだから、動きは読まれている。

 しかし、やはり一試合目は皆、固くなっているのだろう。

 葵はそう感じた。普通なら、まだまだ制空権外であるので、形だけのフェイントなどいらないのだ。それをやってしまうのは、つまり恐怖でいつもよりも相手との距離が離れているということになる。

 ここで仕掛けるのは、勇気がいるが、有効だ。

 自分の不利は、すなわち相手の不利。自分が恐いということは、相手も恐い。ここで仕掛けるのは、酷く辛いが、仕掛けることさえできれば、相手を追い込める可能性は高い。

 と、はたから見ている分には思えるのだけど……

 葵だって、いきなり仕掛ける勇気はない。オープニングから、一度仕掛けるまでというのは、かなり緊張するし、わかっていても、身体が動くとは思えない。

 それを考えれば、他の人たちだって……

 と思った瞬間、吉祥寺は自然に前にニ、三歩進んでいた。

 スパーンッ!

 オオッ! と午後一発目の打撃に、観客が沸く。それほどの牽制の左のジャブだった。

 そう、それは単なるジャブのように見えた。しかし、ガードに当たったそれの音は、まるでストレートのような音を立てた。

「へえ、速いわね」

 思わず、綾香も褒めたほどだった。

「重そうなジャブだな。あんな音立てて」

「ジャブじゃ……ないですね」

「へ?」

「腰をひねりました。あまりにも腕の引きが速かったので、ジャブに見えたかもしれませんけれど」

 威力は、殺してあるように見える。言わば、中谷の見せたスピードのみの拳に近い。だが、それでもカミソリのような鋭さがあった。

「威力なしの、スピードだけの相手なら大して恐くもないだろうけど」

 そうではなかろう、と葵は思った。今の左の高速ストレートは、牽制というよりも、脅しだ。

 ようは葵の見せハイキックと同じだ。

 威力よりも、スピードを見せて、相手をびびらせるのだ。しかも、ジャブでは迫力がないと考えて、ストレートを使っている。それであんな大きな音を立てたのだ。

 ストレートさえ、これだけのスピードで使える。と吉祥寺は相手に見せているのだ。それを、まだ頭も身体もほぐれていないときに見せられれば、誰でも足がすくむだろう。

 相手をうかつに飛びこまさせないようにする常套手段だが、これは意味としては大きい。特に、組み技の相手もしなければいけないエクストリームでは、その意味はかなり大きい。

 一応注目の選手であるのだから、相手選手も研究してきてはいるだろうが、初めて格上の相手と対峙すれば、そんな研究など、ほとんど意味がない。

 そう、相手にも、自分の方が格上だと、無理やり刷り込ましているのだ。この攻防だけ見れば、吉祥寺の方が上手のようだが、相手を封じれるものなら、封じておいた方がいい。下手に特攻をされても、ラッキーパンチ一発でやられることもあるのだ。

 これだけのことでも、吉祥寺が試合経験豊富だというのがわかる。しかも、格下相手に対する対処までも良く心得ている。

 こんな試合でも落ち着いて、牽制を一発目に打てるところも、驚異だ。格闘技は、どうしても経験がものを言う場所がある。葵があまり経験してこなかった、試合の恐ろしさ、落とし穴を、吉祥寺は何度も体験してきたのだろう。

 相手選手は、それをわかっているのかどうかはわからないが、腰を落とした。もう、完璧にタックルの構えだ。

 でも、まだ距離が遠い。そこからでは、届かない。

 タックルだって、リーチというのはある。遠ければ遠いほど、相手に動きを見られてしまうというのもある。葵の見たところ、相手選手と吉祥寺との距離は遠い。これではタックルが届いたとしても、簡単によけられてしまうだろう。

 でも、このほんの一歩の距離をつめるのが……難しい。

 まだフットワークを使って、牽制を打った後にすぐ距離を取ってしまった吉祥寺には、距離を縮めるフットワークがあるのだ。

 しかも、相手の出方を見て、来ないと思った瞬間を狙っての打撃だったのだろう。だからフットワークを使う相手に、あまり離れた距離でのフェイントは意味がないのだ。フェイントとは言え、一瞬は隙ができてしまうのだから。

 相手選手だって、わかっていないわけではないのだろうが、恐いものは恐い。今までの努力でも、それを埋めるというのは難しいのだ。

 もっとも、一応はエクストリームに出てくる選手、ここでそのまま引き下がるとは、さすがに思えないけれども……

 ジリッと相手選手が、歩を進めた。それを見て、吉祥寺選手のフットワークが止まる。

 え?

 葵は思わず顔に?マークを作ってしまった。

 どうして、フットワークを止める?

 まだ距離はある。しかし、距離があるにしても、フットワークを止める理由にはならない。ここは、さらに距離を取って、相手が不用意に飛び込んでくるのを待つ場面のはずだ。

 それを、むしろ組み技をするつもりのように、相手に合わせて動きを止めるなんて……

 綾香なら、ここから向かってくる相手に打撃、というのも考えられるが、それは相手に対応する絶対の自信がなければできないのだ。

 どれほどの実力かわからない相手のタックルを、正面から迎え撃つほど、打撃系の選手にとって恐いことはないはずなのに。

 葵には、わざわざ自分から危険に飛び込んでいるようにしか、見えなかった。

 

続く

 

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