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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(52)

 

 フットワークを止め、腰を落として、相手のタックルに構えた吉祥寺選手を見て、葵は混乱した。

 ここでは、そんな必要がないのだ。吉祥寺選手ならば、相手のタックルに打撃を合わせることだってできるかもしれない。しかし、それにしたって、まだ距離があるのに、わざわざ相手が向かってき易いように、腰を落とすなど、打撃系の選手にしてはありえない。

 相手がタックルを狙うなら、相手の裏を読んで、自分から打撃を狙うか、相手の前進に打撃をあわせるか、それが最善手だと葵は考えている。

 そのどちらにも、素早い動きというのは不可欠だ。腰を落とす必要はあまりないはず。

 であるなら、これにも意味があるということだ。

 葵は、それを自分で考えなくてはいけなかった。きっとこの場面では綾香はアドバイスしてくれない。それの意味がわかっていてもだ。

 ちらりと横を見ると、綾香はいつも通り、坂下はうなずき、浩之は首をかしげていた。浩之も、葵と同じように、意味がないのでは、と思うところまでは考えれているのだろう。

 ここで、坂下に聞くのも手ではあったが、葵は自分で考えることにした。

 頭のまわらない自分だが、だからと言ってずっと人に頼っていてはだめだろう。

 そう思って、葵は試合をよく観ることにした。きっと、意味があることなのだから、結果さえわかれば、何をしているのかも想像がつくはずだ。

 吉祥寺選手は、腰を落として、足を止めている。それに対して、相手の選手の足も止まっていた。

 あれ?

 打撃の選手が、足を止めてくれているのだ。組み技系の選手ならば、ここはチャンスのはずだった。そうでなくとも、異種格闘技戦というのは、自分のペースに持っていくのは難しいのだ。相手から来てくれるのなら、それこそたなぼたものだ。

 ここは、攻めの一手だろう。何を相手選手は躊躇……

 ああ、そうか。

 葵は、吉祥寺選手が足を止めたわけを、一つだけ理解した。

 躊躇もするだろう、目の前に餌があるのだ。獣ならいざ知らず、いや、獣でさえ、何か罠があるのではと躊躇する。

 疑心暗鬼にかられる異種格闘技戦ならば、なおのことだ。相手が、自分の戦い易いように動いてくれた。何かあると思って当然だ。

 葵がここで攻めの一手、と思ったのは、相対していないからだ。何かあることよりも、ただ単純に相手が自分の攻め易い形になってくれた、と喜ぶだけでいい。

 しかし、相対していたら、そういうわけにもいかない。ここで何かあると思っても前に出れるのは、寺町のようなバカか、北条桃矢のように、冷静に判断するか、そのどちらも、普通の人間には難しいのだ。

 もちろん、相手を躊躇させ、攻めさせないだけならば、フットワークでもいい。

 しかし、足を止めたのは、ただ時間稼ぎのためではないのだ。それが証拠に。

 ジリッと吉祥寺は相手選手との距離を縮めていた。それに反して、相手選手は、後ろに下がっていく。

 これは、れっきとした攻撃だ。相手の精神にダメージを与え、相手が無謀な技を仕掛けやすくする。精神戦とでも言おうか。

 経験豊富、などという甘いものではない。明らかに、エクストリーム用に作戦を練って、練習をしてきている。そして、こんな精神戦、練習でどうにかなるものではない。試合を何度も何度も経験して、初めてできる玄人の技だ。

 狙っているなどというものではない。完璧に、相手に安易に技をかけさせようと、プレッシャーをかけているのだ。打撃だろうがタックルだろうが、タイミングは大切だ。しかし、プレッシャーをかけることによって、そのタイミングを駄目にするのだ。

 少なくとも、これが吉祥寺選手が足を止めた理由の一つ。

 まだ、これには何かあるのでは、と葵は思った。確かに、精神戦をしかけるのは、凄いとは思う。しかし、それだけでは相手は倒せないのだ。打撃系ならば、自分の打撃を当てねば相手は倒せない。

 足を止めるというのは、打撃の威力を上げるとしても、あまりいいことではないのだ。ふりのついた打撃の方が強いし、足を止めれば、スピードが犠牲になる可能性は高い。足をしっかりついて、力まかせに打ったからと言って、必ずしも打撃の威力があがるわけではないのだ。

 相手の急所を突くには、フットワークは最重要であるし、何より、つかまれてしまえば、打撃の威力は半減する。それを防ぐためにも、フットワークは必要不可欠だ。

 それをやめてまですることが、その作戦にはあるということだ。

 ある程度の、予測はつく。一試合目であるし、エクストリームで初めて戦うのならば、一番選手が望むこと、というのは何だろうか?

 簡単な話だ。そんな状態ならば、安定を望むに決まっている。

 試合数は多い。毎回毎回、浩之のように成功したらおなぐさみ、のような試合運びをして、簡単に勝たせてもらえるわけがない。

 一か八かの勝負は、本当にここぞと言うとき以外は、したくないものだ。ここぞというときだって、それしか手がないからするのであって、誰も望んでしているわけではない。

 精神戦も、どちらかと言えば一か八かのような気がするし、だいたい、自分の持ち味である打撃を使いにくくするべた足というのは、一か八かでさえない。

 ここから、相手を確実にしとめれる手があるということなのだろうか?

 キックボクシング、と聞いていたので、打撃だけだと思っていたが、実は組み技の方が得意であったとか? いや、しかし、それに類することは資料にも書いていないし、注目と言われるのなら、もしできるのならそれぐらいのことは書いていてもおかしくないし……

 坂下からもらった資料には、こう書いてあった。

『キックボクシングの使い手。近、中、遠距離全ての打撃を使いこなす。まさに打撃系のオールマイティ型。一つの距離にしばられることの多い打撃系としては、驚異の能力』

 得意な距離を持たず、どんな距離からも打撃を打てるということだろう。その有効性というものは、葵にはわかるが、組み技に関しては、何一つ書かれていない。

 至近距離になると、打撃というのは威力が殺される。振りのついていない打撃というのは、本来の威力の半分も出せないだろう。どんな距離でも平気、とは言っても、それは肘技が許されているキックボクシングだからこそだろう。

 エクストリームは肘は禁止だ。これによって、打撃系の選手は極端に至近距離に弱くなった。それだけ、肘の効果が高いということなのだろうが……

 そのとき、試合場では、精神戦で消耗し、しびれを切らした相手選手が、一歩前に踏み出していた。

 仕方ないだろう、これは、行くしかない。

 相手が罠をしかけていたとしても、もう相手選手には攻める以外の手は残っていないはずだ。こんな状況になる前に攻めればいいのだろうが、それができれば苦労はいらないだろう。

 もう少しで、射程範囲。

 しかし、葵の予想に反した遠い距離から、相手選手は飛び込んでいた。

 遠……くないっ?!

 ドンッ

 そのときには、相手選手の身体は、吉祥寺の下にもぐりこんで、腰に腕をまわしていた。葵の予測以上のリーチを持った、速いタックルだった。そのせいか、吉祥寺選手も、そのタックルを真正面から受ける体勢となった。

 さすがに、倒れはしなかったが、がっちりと相手選手の腕が吉祥寺をつかんでいた。組み技系としては、体勢十分だった。

 ここから、一体何を?

 葵は、わかっていたはずなのに、相手選手を懐に入れた吉祥寺の動きを、じっと観察した。

 

続く

 

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