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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(53)

 

 相手選手の腕が、がっちりと吉祥寺選手の腰にまわされていた。それだけでなく、相手選手は、吉祥寺選手の打撃を警戒して、身体をぴったりとくっつけた。

 これだけ近づけば、打撃の威力も殺されるし、何より、組み技は有利になりこそすれ、不利にはならない。

 何の工夫もなく、受けた?

 吉祥寺選手に、完全にタックルは決まっていた。いや、もしかすれば、何かをしようとしていたのかも知れないが、相手選手のタックルは、鋭く、そして速かった。

 葵でさえ、その距離を読み違えていた。来るとわかっているのだから、それでも何とか対処はできたろうが、反対に、少し読み違えていれば、同じ結果になっていただろう。

 もっとも、その前に、葵ならばこんな状況にはなっていないはずだ。フットワークと得意の打撃を使って、相手を翻弄しているはずだ。

 しかし、吉祥寺選手はこちらを選んだ。その方が有利と見たわけなのだが……

 タックルが決まって、一度沸いた会場だが、その後歓声はおさまったものの、ザワザワという声が消えなかった。

 ……相手選手のタックルは、完璧に決まっていた。

 の、はずなのに、吉祥寺選手が倒れないのだ。

 腰をがっちりと落として、吉祥寺選手は止まっていた。相手選手は、下で何とか動かそうとしているようだが、吉祥寺選手の身体は、さっぱり動かない。

 相手選手の方が身体は大きい。吉祥寺選手は、むしろ痩せている方だった。しかし、その体重差を持ってしても、吉祥寺選手の身体を、タックルの状態から動かせないのだ。

 これは……

「こうも完璧に上から封じられたんじゃあ、手が出せないわよねえ」

 綾香が、それを見ながら嬉しそうに言う。吉祥寺選手が強いとわかって、うれしかったのだろう。

「おいおい、キックボクシングの選手なんだろ?」

 その防御方法は、タックルを封じる方法を、熟知しているとしか思えなかった。

 タックルで、腰を完全に持てたとしても、それで絶対に倒せると決まったわけではないのだ。吉祥寺のように、脚を横に開き、腰を落として、相手を上から押しつぶすようにすれば、そう簡単に倒せるものではない。

 特に、吉祥寺選手には体重はないものの、身長があった。それは、普通に立っていればタックルをされたときに不利であるが、腰を落として、あのように完全に守りに入った状態では、その身長はつっかえとなり、ひっくり返すのは難しくなる。そうでなくとも、広がったものというのは動かし難いのだ。

 と言うことは、吉祥寺選手は、相手のタックルを止める自信があったから、フットワークを止めた?

 それも何か納得のいかない結果だった。なるほど、タックルを止めることができるのはよくわかった。しかし、これからどうやって勝つつもりなのだろうか?

 所詮、近付いての打撃など、対して威力があるわけでもない。相手を上からつぶしても、そのまま手をマットにつかれれば、それで終わりだ。

 まさか、キックボクサーと言いながら、ここから組み技を持ってくるわけでもないだろうに。

 一朝一夕で、人間は強くなれるものではない。

 中には、浩之のように、昨日の今日で強くなれる人間はいる。しかし、それは程度の問題であり、属性の問題ではない。

 浩之は、打撃も組み技も使える。しかし、葵は打撃に特化している。柔道を習ってはいるが、やはりまだまだ試合で有効に使えるほどの腕前ではない。

 それは、格闘属性が違うからだ。昔からやってきた打撃と、つい最近始めた組み技では、差が出るのは当然。

 吉祥寺選手だって、それは同じはず。守りはかなり上達しているかも知れないが、どこまで攻撃にそれを使えるかとなると……

 三十秒ほど、相手選手は下でもがいていたが、この体勢から相手を倒すのが無理とわかったのか、動きを止めた。

 そして、さっきから、ガードの体勢にはなっているものの、吉祥寺選手も打撃を使おうとしていなかった。

 威力は落ちるだろうが、それでも、相手を少しでも消費させるために、ここは細かくでも打撃を使うべきではなかったのだろうか。

 自分ならば、ほとんどフリーの両腕を使って、脇を狙うだろう。いつもの威力は出せなくとも、ボディーに対する打撃は、スタミナを削る。

 それでガードの体勢が悪くなる可能性もあり、それが一概に良いとは言い切れない部分もあったが、葵としては間違っていない判断だと思っていた。

 このまま相手に逃げられても、何も得るものがない。それでは、わざわざ相手のタックルを待った意味がないではないか。

 相手は、手さえつけばいいのだ。それで倒れた状態となり、吉祥寺は打撃を使う機会を無くす。まったく被害を被らずに、この体勢から逃げる方法があるのだ。

 そう思った瞬間に、相手選手は吉祥寺の腰から手を放していた。

 手を……つけないっ!

 相手選手がマットに手をつこうとしたのを読んでいたように、吉祥時選手は相手の腕を外から胴体ごとつかんだ。

 丁度、相手に上からのしかかるような体勢で、相手の腰と胸の中間辺りに腕をまわしていた。

 完璧な体勢だった。これが、次に投げ技に持っていくのならば。

 相手の腕を封じたところまでは、葵でもできないではなかった。相手がどうやって今の状態を外すのか、すぐに予想はつく。後は、相手が腕を腰から放すのを待てばいいだけだ。両腕がフリーならば、それぐらいはできる。

 しかし、こんな体勢では、それこそ打撃は……

 と、吉祥時選手は、相手の身体をつかんだまま、大きく脚を振り上げていた。相手選手には、その脚は見えなかったし、何より、今の体勢は吉祥寺選手を倒すことなどできない。

 でも、この体勢で打撃なんて……

 吉祥寺選手は、迷うことなく、脚を振り下ろしていた。

 ドガッ!

 鈍く思い音が響いた。そのあまりの破壊の音に、一瞬場内がシンと静まる。

 その一撃で、相手選手の膝がガクッと下がるが、吉祥寺は胴をつかんでそれを阻止した。そして、もう一度、大きく脚を振り上げた。

 ドガッ!

 二発目に満足したのか、吉祥寺選手は、相手選手の胴にまわしていた腕を放した。

 支えを失くした相手選手の身体が、今度こそマットの上に落ちた。

 追撃するまでもなく、倒れてピクリとも動かない相手選手を眼下ににらみつけ、吉祥寺選手は構えをといた。その姿に、あわてて審判が相手選手に駆け寄る。

 審判は、相手選手の様子を確認すると、腕をあげた。

「それまで!」

 

続く

 

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