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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(54)

 

「それまで!」

 審判の声で、試合が止められた。

 吉祥寺選手は、さも当然と言わんばかりに、嬉しそうな顔一つせずに試合場から降りていく。

 一試合目という硬さも、異種格闘技という気負いも、何もない。倒せる相手を、順当に倒した、表情はそう言っていたが、その順当というのがが一番難しいのだ。

 圧倒的だった。相手のタックルを誘い、それを受け止めておいてから、相手が逃げれなくなった状況での、打撃。

「やるなあ、さっきの子」

 浩之も、目をまるくしていた。

 なるほど、打撃の威力だけならば、葵だってあの程度の威力は出せる。直撃させれば、それが崩拳でなくとも、相手を一発KOする自信はあった。

 しかし、あの体勢で、となると話は違ってくる。

 もともと、打撃は腕や脚、その当てる部分だけでするものではない。蹴りならば、腰の回転や、反対の足の親指を支点にし、腕の振りなどさえも、威力に関係してくる。

 つまり、他の部分を動かせないという状況は、打撃の威力を大きくそぐ。

 吉祥寺選手は、相手の腰を腕ごとつかんでいたので、体勢は有利ではあった。相手が動けない状況なのだから、それは当然なのだが、しかし、それは打撃格闘家にとって、イコール決定的な状況かと言われると、そうではないのだ。

 自由になる場所は、脚しかない。しかも、つかみ合っている状況なので、自由になるとしても片脚だけだ。

 しかも、腰はこれでもかと言わんばかりに落ちている。そんな状況から、決定的な打撃は、葵には打てない。

 いや、打てなかった、と言っていい、と思う。

 吉祥寺選手は、その可能性を示してしまったのだ。打撃自身は、そんなに珍しいものではなかった。これならば、葵にも使えそうであった。

 そう、単なる膝蹴りなのだから。

 吉祥寺選手の使ったのは、膝蹴りだった。膝蹴りと言えば、相手の首をかかえる、首相撲の体勢で、顔面なり腹部なりを狙うのが普通だが、吉祥寺選手のは違った。

 腰を落とした状況から、相手の頭を押さえつけ、脚を大きく振り上げて、相手の脳天に膝を叩き込んだのだ。

 あの身動きの取れない状況で、最大に身体を動かした、しかも膝という、おそらく打撃の中でもトップレベルに危ない部位での打撃だ。

 しかも、恐ろしいところは、他にある。

 一撃目で、おそらく相手は倒せた。何の警戒もしていないところに、急所である脳天に振りを思い切りつけた、しかも膝を主戦力として戦うキックボクサーに打たれたのだ。それで平気というならば、それはすでに人外だ。

 相手の膝が落ちたところで、それに吉祥寺選手は気付いていたはずだった。しかし、その倒れる相手の身体をささえ、いや、持ち上げて、さらにもう一撃だ。

 今日び、あんな完璧にとどめを刺す格闘家はいない。感情的になって、勢い余って倒れた相手にラッシュを続けるなどというものとは、根本的に違うものなのだ。

 降りてくる吉祥寺選手を、他の選手が無意識だろうが、避けている。恐いのだ。そのとどめもそうであったが、その目が。

 感情的に少しもなっていない。闘志も見えない。冷静に、相手を誘って、つかまえ、回避を不可能にして、とどめを刺す。

 冷静、という言葉では、表しきれないものがある。しかし、あえて冷静という言葉を使うならば、冷静にとどめを刺したのだ。

 ふいに、吉祥寺選手が、顔をあげて、辺りを見渡した。そして、お目当ての人間を見つけて、小さく、しかし、鋭く睨んだ。

 そう、去年のエクストリームチャンピオン、来栖川綾香が押す、無名の新人に。

 ゾクリッ

 目こそそらさなかったものの、葵の背中に悪寒が走る。

 冷静、などというものではないのかも知れない。葵は、再度そう思った。

 吉祥寺選手のその鋭い眼光は、綾香の持つ、得物を狙う目にそっくりだったからだ。

 でなければ、葵とて、睨まれたぐらいで恐怖を感じるわけがない。

 得物は、逃がさない。

 口を開いたわけでもないのだが、吉祥寺がそう言ったように葵は感じた。

 それだけ済ませると、吉祥寺選手は何事もなかったかのように下がっていく。

「……はあっ!」

 葵は、無意識にとめていた息を吐いた。まるで、試合前のような緊張だった。それだけ、吉祥寺選手が恐い相手だというのもわかるが、あんな人間が、地区大会で自分が優勝するために戦わないといけない相手かと思うと。

 ゾクリッ

 もう一度、葵の身体に悪寒が走る。しかし、それは、今度は恐怖ではない。吉祥寺の姿はもう見えないのだから。

 ……いや、恐怖、だろうか。

 葵は、自分の考えを、恐いと思ったのだ。

「あらあら、いっぱしに、葵に挑発くれて行ったわねえ、さっきの子」

「挑発くれてって……綾香、一応仮にもお嬢様な上に嫁入り前なんだから、んな下品な言葉使うなよな」

「いいじゃない、人がどんなこと言おうと」

 いい度胸ね、と綾香は言ったが、あきれているというよりは、やはり嬉しそうだった。葵の敵は、強ければ強いほど、綾香には楽しいのだろう。

 もちろん、その強い相手を倒して勝ち上がってくる葵を待つのが楽しいのだろうが。

「よかったじゃない、葵。地区大会にも、それなりに見れる選手がいて」

「それなりなんてレベルじゃない気がするんですが……」

 綾香の物言いにつっこみながらも、葵は心の中では笑えなかった。

 それは、相手が冗談にならないほど強いから、という意味で笑えなかったのではない。

 よかったじゃない。

 綾香は、それをごく自然に言ったのだし、他意はなかったのだろうが、葵は自分の心の中を見透かされた気がした。

 あんな相手と戦わないといけないなんて。

 それに続く言葉、それは、常軌を逸しているように葵には思えた。

 しかし、葵は疑問に思っても、それは何ら不思議なことではなかったのかも知れない。葵は、今こここの場に、逃げもせず、逃げようなどとは、浩之と違って少しも思わず、立っているのだから。

 少なくとも、葵が感じたその意味は、嘘ではない。葵の、本心だ。

 それが証拠に、葵の心は、何度も同じことをつぶやいている。

 戦わないといけない相手かと思うと、嬉しくなってくる、と。

 

続く

 

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