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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(58)

 

「あんたんところの後輩と、二回戦であたる強敵さ」

 綾香はそれを聞いて、小さく笑った。それが、他の人間はどう見るかわからないが、浩之には確実に危険な笑みに見えた。

「強敵、ねえ」

 身体を見れば、わかる。この枕将子という女性は、はったりではない。その筋肉は、ボディービルダーのような、作り物の筋肉ではないのは、浩之が見てもわかる。

 動きも、きびきびして、まったくその重さを感じさせない。他の大女達がノシノシと動くのとは、大違いだ。

 戦線布告はしたものの、それでもかなり礼儀正しい相手に対して、綾香は、その口を開いた。そんな礼儀正しい相手に対する言葉としてはどうかと思えるような内容をだ。

「口ではどうでも言えるわよねえ」

 それがいやらしく聞こえないのは、綾香だからこそだが、言われた方の取り巻きだか後輩だかを激昂させるには、十分な言葉だった。

「言わせておけばっ!」

 と、一人がつっかかろうとしたところで、おもむろに、筋肉の塊、というのは失礼なのか、褒め言葉なのか、将子が動いた。

 ドバシッ!

 本当に、単におもむろに腕を突き出しただけのように浩之には見えた。しかし、その掌打による、相撲で言えばつっぱりによる一撃で、綾香につっかかっていこうとしていた大女の身体が、宙を飛んだ。

 ドシーン、と漫画のような音を立てて、大女の一人が床の上に倒れた。

 将子はつっかかっていこうとする大女を、横を向いたままつっぱりで吹き飛ばしたのだ。

「少しお前達は黙ってろ」

 さして大きくもない言葉に、残りの大女達だけでなく、まわりの人間も皆、その迫力に負けて黙った。

 唯一、そんな中でも、綾香だけは嬉しそうに口笛をふいた。

「へえ、やるじゃない。下からかち上げるならまだしも、腕の力だけでその体重を吹き飛ばすなんて。相撲以外をやってるようにも見えないけど?」

 それを聞いて、将子は嬉しそうに笑った。

「……さすがだねえ。そんな格闘技とは全然縁のないようなナリでも、今の意味をすぐにわかるなんて」

 将子は、大女を一撃で吹き飛ばした腕をひっこめた。まるで丸太のような腕であったが、それがかなりの速い打撃を打ったことの意味、浩之にも考えればわかる。

 相撲は身体ごと突っ込むつっぱりが得意であるが、反対に、腕のスピードは重要ではない。突進のパワーとスピードこそが命だ。

 だからこと、太くとも問題ないのだ。ある一定以上を超えれば、筋肉は動きを阻害する。阻害し難い、脚での一瞬の突進だからこそ、太くとも相撲取りは問題ない。

 その相撲取りが、こともあろうか、腕だけでもスピードの乗った、強い打撃を打ってくるというのは、実はかなり脅威だ。もともと、他の格闘家とは力が違う。打撃の威力は力が全てではないが、関係ないわけでもないのだから。

「今のは、どう見ても相撲のつっぱりね。空手の掌打とは全然違うわ。それでも、あれだけ速いんだから……OK、口だけじゃないって認めてあげる」

 それだけのものを目の前で見ても、綾香はまったく平気そうであった。その打撃は、ガードさえぶち破ってきそうなのだ。軽量である綾香にしてみれば、実はかなり危険な相手のはずなのだ。

 ……まあ、綾香には関係ないってことか?

 綾香の強さは、将子をはっきり上回っているだろうし、下手をすれば、この怪物は力でさえこの筋肉の塊のような将子に勝ってしまうだろう。

 むしろ、問題は相手にする葵の方だ。

 軽量級の葵には、いかにスピードがあろうとも、つかんでもいいエクストリームでは、体重の重い相手は恐い。

 しかし、綾香に関係ないというのは、むしろ、その強さを脅威と思っていないというよりは……

「でも、それぐらいで葵に勝てると思うのは、ちょっとばかり身の程をわきまえないと駄目かもね」

 それを聞いて、後ろにいる後輩達は目の色を変えたが、しかし、言われた当の本人である将子は全然平気そうであった。

「あんたほどのツワモノが押す選手だ。これぐらいで勝てるとも思ってないよ。それに……私だって、まだ本気を出しているわけじゃないからね」

 そこで、将子はあらぬ方向を向いた。そこには、トイレから帰ってきた葵の姿があった。

 睨み付けるのとも違う、しかし挑戦的な視線と、葵の素直な視線がぶつかる。

「葵、お客さんよ」

 綾香は、何も考えていないのか、または悪いことばかり考えているのか、素早く葵を紹介していた。

「あ……えーと、どちら様ですか?」

 葵は礼儀正しく、少し首をかしげながらたずねた。

「枕将子、あんたの二回戦目の相手だ、覚えておいてくれよ」

「枕……あ、相撲の……」

 葵は、ここで初めてまわりの大女達に気付いたのだろうか、納得した。綾香が相手側の、目的とは外れて後輩達を挑発していたので、かなり殺気立っているのだが、それはあまり気にならなかったようだ。

 葵は、相手が注目の選手だと知って、少し目が鋭くなる。しかし、それは挑戦的な目ではなく、真剣になった、という類のものだった。

「初めまして、松原葵です。私も一回戦目を無事に勝てるかわかりませんが、そのときはよろしくお願いします」

 そう言ってペコリと頭を下げた。

「ああ、よろしく頼むよ。もちろん、そのときは勝たせてもらうけどね」

 それは、一種の礼儀みたいなものなのだろうか。少なくとも、謙虚な姿勢の葵を前にして、自分の勝ちを宣言しているが、それがいやらしくはなかった。

 それが証拠に。

 葵は、それを聞いて、笑顔で返した。

「私も、負けませんよ」

「……いいねえ、あんた」

 葵の、その目を見て、将子は嬉しそうだった。自分のような者を目の前にしても、ひるむことも、いきがることもない。実に自然なその顔に、期待したのだろう。

 浩之は最初、実はどうなるものかと思っていたのだが、葵のその落ち着きぶり、もっと言えば、やる気に、かなり安心できた。

 こういう、他人から与えられるプレッシャーに、葵は弱いものとばかり思っていたのだが、綾香が無理やり葵を前に連れ出したのは、意味がなかったわけではないようだった。それが、うまい方向に進んでいる。

 ……しかし、てことは、綾香は敵に塩を贈ったわけになるんだが……

 綾香に、「好敵手」と判断され、塩を贈られるのが、さて、いいことなのか悪いことなのか……

 浩之の別の心配を他所に、将子はいたく葵のことが気にいったようだった。まあ、素直な性格の上に、スポーツマンとしても気持ちいい性格をしている葵なので、親しみやすいというのもあったのだろう。

「もう少しで私の試合だから、見ておいてくれよ。少しは、盛り上げるつもりだからさ」

「もりあげる、ですか?」

 葵が少し不思議がったを見て、将子は、ニンマリと笑った。

「そう、盛り上げる、さ」

 その笑いが、浩之には格闘バカの笑いにしか見えず、一歩退きたい心境だった。

 

続く

 

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