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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(61)

 

「ファイトッ!」

 審判の合図と共に、一回目とまったく同じように相手選手は将子から距離を取った。もともと、普通の相撲の仕切りの距離よりは遠い立ち位置なので、それを無理に将子も追おうとはしなかった。

「ここは、攻めの一手だと思うんだがなあ」

 浩之は、相手選手の動きをそう評価した。

 もう、一回同じことをしているのだ。精神的にも、かなり落ち着いて試合が始めれたはずだ。浩之なら、あの仕切りに飛び込むのは怖いので、反対に、相手が心の準備をする前に攻めたいと思った。

 だが、相手の選手も、同じことをするためにそんなことをしたわけではなかったようだ。後ろに下がって距離を取ると、すぐにフットワークを使い始めた。

 相手の打撃の届かない距離で、足を使う。典型的なアウトボクサーの戦い方だが、それはあくまでポイントの関係あるボクシングでの話だ。

 逃げてポイントだけを取るというのは、このエクストリームでは非常に難しいし、逃げてばかりいれば、それで注意されてしまうし、下手をすれば反則負けになってしまう。

 相手に押されて手が出せないならともかく、逃げてポイントを取るような戦い方を、勝ちとは認めないのだ。

「戦い方自体は、私は間違っていないと思います」

「葵ちゃんはそう思うか……まあ、でもそうかな。俺には、ハイキックみたいな、遠距離からの打撃はないからな」

 安定した遠い距離での打撃がある分、葵は遠距離で戦うことを苦にしない。むしろ、持たれる可能性を低くするだけ、そちらの方が有利だ。

 浩之も、とび蹴りなど、遠い距離での打撃はあるが、あくまでそれは相手の不意をつく技であり、決して安定して使えるようなものではない。

「将子さんは、あれだけの身体をしていますが、それでも他の人と比べると重いですから、動いて翻弄して、体力を削るのが、一番確実です」

 どんなに筋力をつけても、スタミナはその分増えるわけではない。むしろ、筋肉は重いのだ。長期戦に、将子の身体はむいていない。

 葵にしてみれば、将子が勝つとすれば、この試合で少しでも疲労していた方が有利に事を進めれるのでは、と浩之などは思っているのだが、葵はそんなことを少しも考えていないのか、真剣に試合を見ている。

 相手選手は、葵の言うように、将子を翻弄しようと、遠くで動く。

 が、将子は、試合開始から、微動だにしなかった。

「当然だろう、向こうも、それぐらいは予想するね」

 坂下は、空手家の方の戦い方を、あまり評価しなかった。それは、考えてみればすぐにわかりそうな話だ。

「あっちの相撲取りにしてみれば、さっき葵が言ったような作戦で相手が出てくるのは百も承知。打撃の当たらない距離なら、動かなければいいのは当然だね」

 相手を翻弄する手しかないのはそうだろうが、それさえ、自分の打撃が届く距離でなければ、プレッシャーも何もない。

 結局、勝つためには、危険を冒さなくてはだめなのだ。

 それは、坂下に言われなくともわかっている、といわんばかりに、聞こえたわけではないのだろうが、相手選手は動きを止めた。

「もし、これぐらいにひっかかってくれるようなら、助かったもの、とか思ってたみたいだけど?」

「私なら、そんなまどろっこしいことしないけどね」

 綾香の言ったことが正しいのだろう。それは、戦い方の違いだろうか。坂下なら、意味のない行為はしない。しかし、危険を冒さずに勝てるのなら、それに越したことはない、と相手選手は思っているのだ。

 戦うためではなく、勝つためにあの選手はそこにいるのだ。

 坂下のような、戦うことを楽しんでしまう、格闘バカに特化した選手ではないのだ。エクストリームに出ている選手のほとんどが、勝ちたいのだから、あたり前なのかもしれないが、それは坂下とは大きく違う点だ。

 もっとも、綾香も葵も格闘を楽しもうとする気持ちは人一倍強いので、同じ穴のムジナなのだろうが。

 ジリッと一歩相手選手が踏み出す。そして、一気に飛び込んだ。

 ブオッ!

 その筋肉の身体ごと、下からかち上げるような将子のぶちかましが、空を切った。それは、相手選手のどの打撃よりも遠い距離の打撃だった。

 飛び込むフェイントをかけた相手選手は、将子の届かないところ、それはつまり自分の打撃も届かないところまで逃げていた。

「相手としては、ひやひやものね」

 通常、タックルしか怖がらなくていい距離を、物凄いスピードで突き上げの体当たりが来るのだ。対処するどころか、逃げるのが精一杯だったのだろう。表情も、かなりけわしくなってきている。

 しかし、それでも、葵は相手選手が一歩先に進み、将子に対して有利な状況を作ったと思った。

「速いなあ、あれ、ほんとに体当たりか?」

 張り手の突き上げはあるとは言え、ほとんど体当たりに近い、相撲のぶちかましを見て、浩之は背中が冷たくなった。

「あの身体に、あんなのやられたら、俺でも吹き飛ぶぜ」

「でも、よけました。カウンターは取れませんでしたが、相手の作戦は、成功したみたいです」

「成功って、あのぶちかましを見てか?」

 一般人なら、脚がすくむような体当たりだ。それを見てしまうと、足がすくむことはなくとも、恐怖で出足が鈍る可能性は多いにある。

「しかし、避けれました。そして、相手のぶちかましのスピードを見ることができました。さらに、自分の手の内はまだ一つも見せていない。相手の選手、なかなかやりますよ」

 一番怖い初撃を、かわしたのだ。エクストリームにおいて、経験のない種類の格闘技を相手にするときには、一番危険な場所を、無傷で越えることに成功しているのだ。

 しかも、飛び込むまでが早かった。遠い距離でのけん制は意味がないと悟ったら、すぐに飛び込むのだ。その勇気は凄いと葵は思う。

 ぶちかましのスピードと距離を見られ、相手の打撃の手の内を見れていない将子は、まわりが見ているほど有利ではない。

 いや、相手の選手がうまいのだ。将子と違い、異種格闘技戦の経験があると思われる。

 北条鬼一も、無意味に空手の恐ろしさ、教えてこいと言ったわけではないのだ。自分の門下生ならば、それぐらいはできて当然、そう思っているのだろう。

 将子は、その自分の不利をわかっていないのか、一度にやりと笑うと、脚を垂直になるまで横に振り上げた。

 ズドンッ!

 将子は、相手に何のダメージも当てれるわけのない、四股を踏んだ。しかし、その一発は体育館に大きく響いた。

 まるで、今から自分のする戦いに、注目しろと言わんばかりだった。

 そして、一度は避けられた仕切りからのぶちかましを、再度狙うように、仕切りを取る。

 相手選手も、拳を低く構え、飛び込む体勢に入った。

 何の合図もないのに、まるで、相撲の仕切りを取るように、二人は同時に飛び込んでいた。

 

続く

 

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