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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(75)

 

 立浜選手は、吉祥寺選手の右ストレートをかわしていた。

 いや、かわしたのではない、さばいたのだ。

 吉祥寺の身体が、横に泳いだ。

 相手の右ストレートを、立浜選手は右手でさばいたのだ。しかも吉祥寺選手の横にまわるようにして。

 打撃をさばく基本である。相手を外へ、自分は中へ。

 綾香との賭けで、浩之はそれをあまり深く考えずに実行している。考えてみれば、そんなに難しい理論ではないからだ。

 もし、相手が右ストレートを打ってきたなら、自分から見て右側に流すように受ける。そうすれば、苦もなく相手の側面を取れるのだ。

 しかも、エクストリームではその状態でも十分な効果のある打撃、ひじ打ちが禁止されている。こうなってしまえば、逃げるしか手はなかった。

 だが、立浜はそれさえ許そうとはしなかった。流した手で、吉祥寺の手首をつかんでいたのだ。しかも、吉祥寺の身体はその流しによって大きく下にしずんでいた。

 打撃にとっても有利な位置、むしろ、必勝の位置ではあったが、それは組み技にとっても、必勝の位置であった。

 もうここまでくれば、腕関節は決まっているようなものだった。多くの組み技を使う護身術ではポピュラーな形であるが、それだけ効果が高いからこそ、ポピュラーになるのだ。

 一発ではどうにかなる相手ではない。いや、三分三ラウンド全てを使っても、仕留めれる保証はない、それどころか、勝てる保証がない。

 だから、立浜選手は罠をはったのだ。打撃の威力を殺し、相手が向かって来易い状況を作り、相手に大振りで手をださせた。

 狙っていたとしか思えない動きに、吉祥寺選手はまんまとはまってしまったのだ。どんな人間でも、不完全な体勢では、多くを出せない。

 関節技が決まってしまえば、終わりだ。そして、その体勢までになって、逃がすほど立浜選手は甘くないだろう。

 これで、決まりだ。

 ドシンッ!

 浩之の心に反応するように、吉祥寺の身体が立浜の身体をはじいていた。

 反対ではない。吉祥寺が、立浜の、だ。

「はっ?」

 浩之の間抜けな声に、綾香が横でくすっと笑った。綾香には最初から、この攻防が読めていたというのだろうか。いや、その可能性も否定できないが、おそらくは浩之があまりにも間の抜けた声を出したから、おかしかったのだろうが。

 肉と肉のぶつかる、酷く重い音を立てて、立浜の身体が跳ね飛ばされていた。もちろん、関節技もかからなかったし、完全有利の位置からも弾き飛ばされたのだ。

「今、決まると思ったでしょ?」

「あ、ああ」

 綾香の意地の悪い声にも、浩之は素直にうなずいていた。

 もちろん、見ていたのだから何が起こったのかはわかっている。吉祥寺は、流された体勢からさらに一歩前に出て、立浜の身体に肩をぶつけたのだ。

 体格に差がある吉祥寺と立浜の上に、ほとんど不意打ちだった。だからこそ、大きく立浜は後ろに飛ばされたのだ。

 ダメージは低かったのだろう、すぐに立浜は体勢を立て直したが、浩之には吉祥寺には十分追撃する余裕があったのではないかと思えた。

 それだけ、その一度の攻防で相対している二人の表情が変わったからだ。

 跳ね飛ばされた立浜の顔には、ありありとあせりが出ていた。おそらく、罠を避けられたら自分も同じような顔をするだろう、と浩之は思った。

 策士策に溺れるというが、方法がないから策を弄するのだ。それを破られれば、当然危機に決まっている。策士には、策が最後の頼みなのだ。

「キックボクシングに肩なんかあったか?」

「正式にはないだろうけど、試合をしてれば普通に使うんじゃない。近距離でのぶつかりあいもあるだろうし、相手をはじいて距離を取ることもできるし、うまく入れれば、十分つなぎ技には使えるわよ」

 KOへの、つなぎというわけだ。

 それはそうだ。両手足だけでなく、攻撃部位がもう一つ増えるのだから、使いこなせればその戦略的幅は増大するだろう。しかも、吉祥寺は両膝まである。

 そこに両肩となると、まさに人間凶器だ。

「でも、これで楽しくなったわねえ」

「はっ?」

 今度は間の抜けた声ではなかった。浩之は、動物的というより、経験的勘で、綾香がまた変貌するのを予知して、誰にではないが警告の声を出したのだ。

「これで、組み技は吉祥寺選手には封じられたも同然ね。下にいけば膝で倒され、上にいけば肩ではじかれる。でも、打撃で行くには……」

 綾香が、ついと試合場を指差す。

 吉祥寺選手が、立浜選手との距離を縮めていた。

 肩を引き寄せ、完全に攻撃の構えを取っている吉祥寺に対して、立浜選手は腕を前に出して、完全に守りの体勢に入っていた。

 気圧されているのだ。相手が攻撃に転じたときこそ、つけいる隙があるのだろうが、それを立浜選手に実行できるだけの精神力、冷静な判断が、今なくなっているのだ。

 斜め後ろから振り上げられるようなフックに近い左アッパーを、立浜選手はその腕でさばいた、ように見えた。

 バシィッ!

 それと時を同じくするように、吉祥寺のその左アッパーに隠れるように放たれた左のローキックが立浜選手のふとももに完全にヒットしていた。

 何でもない、単なるローキックではあるが、それはむしろ少林寺の立浜にはあまり経験していない打撃だったのだろう、見事に決まっていた。

 たった一発で、がくっと立浜選手の身体がしずむ。それで動きが止まった立浜選手に向かって、吉祥寺選手は今度こそフェイントでない左アッパーを打ち上げた。

 が、それは読まれ、すでに立浜選手はガードを取っていた。

 ドガシッ!

 しかし、それさえも気にしていないかのような吉祥寺のアッパーがガードごと立浜の身体を後ろにはじく。足捌きなどがあって、初めてのスピードなのだ、足を止められては、よけるどころか、受け流すことさえできない。

 それにさらに追い討ちをかけるように、吉祥寺選手は前に一歩踏み込んで、脚をふりあげようとしていた。それは、浩之の目にも前蹴りに見えた。

 立浜選手にも、そう見えたのだろう、受け流せない、かわせない状況では、それから身を守る手は一つしかないと考えたのか、身体の下で十字に腕を組み、ガードをかためた。

 吉祥寺選手の蹴り脚が、まるで何かに引き込まれるように、立浜選手の延髄に叩き込まれていた。

 ズパーンッ!

 ひときわ、大きな音を立てたその蹴りを食らい、立浜選手の身体が、ゆっくりと前つのめりに倒れる。

 あわてて審判は立浜に近づき、そして、カウントは取らなかった。

「それまでっ!」

 吉祥寺が、凶悪な笑顔で笑ったように、浩之は感じた。

 

続く

 

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