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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(76)

 

「それまでっ!」

 獰猛な笑み、とでも言おうか。

 もともと、人間の笑いというものは、威嚇の意味があったと言われている。それを、人間は社会を構成する間に、「笑み」としてきたのだが。

 吉祥寺の笑みは、原始の笑みにもっとも近い笑みだったろうか。

 酷く無邪気で、しかし、残忍な笑みをもって、相手を蹴り倒した。その事実を持ってしなくとも、人が見れば寒気を感じる、そんな笑み。

 まあ、浩之から言わせれば、よく見ている笑みではあるのだが。

 何せ、横に吉祥寺などまったく相手にならないほどの危険な人間が、やはり嬉しそうな獰猛な笑みを浮かべているのだから。

 とりあえず、そんな話を出したら恐いので、何はともあれ、吉祥寺の動きについての話を出そうと浩之は思った。

「何だ、さっきの蹴り、前蹴りに思えたんだが」

 前にむかって、脚を相手から見て直線にふりあげるのが前蹴りだ。

 あまり身体の回転などは力として伝えることができないが、体重はかかりやすい蹴りで、体重差がなければ、相手を吹き飛ばすこともできるだろう。

 反対に、蹴った方が体重が軽ければ、蹴った方が後ろに飛ぶこともある。

 まあ、もっとも、今回は前蹴りは決まっていない。少なくとも、前蹴りは延髄に決まるような技ではない。体勢的に、相手の後ろに回らない限り、絶対に無理だ。

 しかし、吉祥寺の脚は、相手の延髄に決まっていた。しかもガードさえ間にあわなかったのだ。KOされるのは必死とは言え、浩之にも何が起こったのかわからなかった。

 初期動作は、確かに前蹴りなのだが、決まった技は回し蹴り、ハイキックだった。前蹴りにあわせて、下で腕をクロスさせた立浜がガードできないのは当然だった。

「あれ、私見せたことなかったっけ?」

「……ない、と思う。昔は、綾香の動きを追えなかったからな」

「あー、じゃあ、だいぶ前に見せたのかな? 変則の蹴りよ。前蹴りの体勢から、膝をひねって回し蹴りに変更するの」

 綾香はこともなげに言ってみせたが、浩之は頭痛を覚えた。

 それが、いかにまずいものか、すぐにわかったからだ。

「……それって、反則的な動きじゃねえか?」

「ま、反則は取られないわよね。打撃格闘家に決まるかどうかは別にして」

 しかし、打撃に特化していたわけではないが、十分に打撃を使える立浜に、ハイキックなどという大技を決めるのだ。それは脅威だった。

 もちろん、反則などではない。何の負い目もない、単なる打撃の一つなのだが、そういう意味ではなく、浩之にはその打撃は危険すぎると思えたのだ。

 よく、脚は腕の三倍の力があると言われている。打撃は力だけではないとは言え、三倍もの力が加われば、当然強くなるのは当たり前であり、かつ、安定性はともかく、威力に関して言えば、熟練すれば脚の方が力を乗せやすい。

 しかし、脚技はふりが大きいし、安定しない。フェイントも入れ辛いので、相手に容易にかわされるのだ。だから、キックよりもパンチの方が、試合では有利となる。

 しかし、あくまで、蹴りは読みやすいからこと恐くないのだ。それがたったあれだけだが、二通りの道ができるだけで、それはものすごい脅威となる。

「何深刻そうな顔してるのよ」

 綾香は、浩之の不安そうな顔を見て、ばんばんと背中を叩いた。

「葵だって、あれぐらいは使えるわよ。確かに、防御しにくくはなるけど、来るのがわかってるんだから、そんなに恐くはないわ。むしろ、あの技を決める隙を作ったことを気にするべきね」

 相手の策に、わざと自分からはまり、それをあっさりとくつがえしてみせる。

 もともと、何をするかわかっている策ほどもろいものはないとは言え、それでも真正面から向かうのには度胸も技術もいるだろう。

 しかし、策をつぶしたとき、相手の動揺は大きい。そこを狙って、少林寺ではあまりなれていないであろう、ローキック、ガードを狙った打撃、と入れる。

 むしろ、最後の変則蹴りは、立浜にとってはなれたものだったかもしれない。しかし、普通ではできることを、できないまでに追い詰められていたのだ。

 何をほめるべきかと言えば、そこまで追い詰めた吉祥寺の技だ。

「葵は試合経験が少ないから、案外、経験差で不覚を取ることもあるかもねえ」

「……」

 葵の弱点を、綾香はよく知っているだろうし、浩之だってよく知っている。それはここで言ったところで、不利にもならないし、有利にもならない。

 しかし、浩之が何も言わなかったのは、何を言っても仕方なかったからではない。その場合、浩之は葵を弁護していたろう。

 そんなことを言いながらも、浩之には、綾香の顔は葵が勝つことを、少しも疑っているようには見えなかったのだ。

「……何か言いたそうな顔ね」

「いや、別に何もないぜ」

 嘘である。別に綾香が作戦をさずけるなり、情報を与えるなりしても、何ら問題はないだろうとか、そんなに信じているなら、わざわざプレッシャーをかけなくてもいいだろうとか、気になるのなら自分で教えてやれよとか、相変わらず綺麗だよなあ、とか、言いたいことはそれこそ色々ある。

 しかし、最後以外は、言えば拳が飛んでくるのは必死だ。はずかしがっているわけでもないし、もしはずかしがっているのなら、最後の言いたいことさえ拳が飛んでくるということだ。

 一言しゃべるたびに、寿命が縮むのは浩之としてもいただけなかった。

 考えても、たまに縮んでいる気もしないでもないのが、困ったところだが。

「……殴られたい?」

 浩之が考えたのが読めたのだろう。珍しく、綾香が事前に聞いてきたのだが、それを聞いて来たからと言って、そして、その後浩之がどんな答えを返したからと言って、それを許してくれる綾香ではないのは、火を見るより明らかだった。

「殴られたくは、当然ない」

 まあ、だめもとという話もある。

「じゃあ、蹴るわね。さっきの技、見せてあげる」

「……ちょっと待て。ほら、お前スカートだし」

「大丈夫よ、下はスパッツみたいなものだし」

 いわゆる試合着なのだが、それにしたって、見たいという人間は多かろう。

「それに、スカートの中なんか見えないわよ、速くて」

 ごもっとも。

 綾香の全速の蹴りを見える人間など、そうはいまい。そしていたとしたら、スカートの中身よりも、綾香自身に興味が沸くだろう。

 どっちにしろ、素直に蹴られる気は浩之にはなかったから、ガードをしながら後ろに飛びのいていた。

 

続く

 

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