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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(80)

 

 ……試合場の外で見たよりも、大きい。

 飛び交う歓声の中、葵は対峙した枕将子を見ながら、そう思った。

 もっと大きな後輩達に囲まれていたからだろうか、それとも、これが将子の持つ強さの表れだろうか。

 とにかく、試合場の外で話したときよりも、将子の身体は大きく、厚く見えた。

 その姿を見ていると、ブルッと身震いがしてくる。

 格闘技は体格でするものではないとは言え、体格がいいものが有利なのは確か。しかも、葵はその中でも飛びぬけて小さい。

 将子の身体を、正面から受ければ、体重の差がある、当然弾き飛ばされるだろう。訓練は、物理法則を円滑に進めるものであって、物理法則を無視するものではないのだ。

 試合を見ていただけでも思ったが、目の前に立っていると、余計によくわかる。

 楽しい、この強い人と戦えるのが、何より楽しい。

 よくわかったのは二つ。将子が強いことと、その強い将子と、自分が物凄く戦いたいということだ。

 綾香が推す葵と、もとより優勝候補の枕将子、当然試合は注目されており、試合が始まる前から、歓声が飛んでいる。

 自分の方には、まったく知らない人間からの声援もあるし、浩之や坂下の声援もある。相手にも、やはり知らないだろう人間や、後輩からの声援がある。

 しかし、今の葵には、それに恐縮することはなかった。

 葵が注目しているのは二点だけだ。目の前の将子と、声援を送ってくれる浩之、この二つに、葵は完璧に集中していた。

 まだ試合がはじまっていないのに、ずいっと将子が葵に近づいてきた。

「そう睨むなよ、葵さん」

 将子の声は、今から試合を始めようとするには、かなり穏やかなものだった。さんづけされて、葵は少し恐縮した。礼儀を重んじる葵から見れば、将子は格闘技で言えば大先輩なのだ。

「睨んで……ましたか?」

「ああ、いい目で睨むよ。闘志にあふれた、いい目で」

 将子は、まるで子供の勇士を見る親のように、嬉しそうに笑った。もっとも、試合が始まって、将子が葵にするだろうことを考えれば、それはむしろ恐い、と思えただろう。

 しかし、葵だって、無抵抗にやられる気は毛頭ないのだ。

 試合を始める前の、注目された選手が、親しげに話をしている光景は珍しいのか、観客も注目している。さして大きな声を出しているわけでもないので、観客には聞こえないが、二人の顔は、かなり穏やかなものだった。

「すみません、緊張してしまって」

「いやいや、謙遜しなくてもいいんだ。試合が始まるのが、楽しみでしょうがないんだろ?」

 まるで、葵の心の内を全部読んでいるような言い方だった。葵は、まさにそれを思っていたので、思わずうなずいてしまった。

 それを見て、将子は豪快に笑う。

「やっぱりいいよ、あんた。一試合目に、あごをかちわられたのを見ても、全然動じてない。それどころか、楽しそうにしている。いるんだよ、世の中にはそういうやつが」

 言っている内容はかなり危ないが、口調は責めているものではなかった。それもそうなのだろう、将子にしてみれば、それこそが、欲した相手なのだから。

「私と同類みたいな人間が、やっぱりいるんだよな。私だって、そんな相手と戦うのは初めてで、うきうきして仕方ないんだ」

 明日の遠足を楽しみにして、眠れない子供のように、将子は無邪気にその恐ろしい性格を喜んだ。

 しかし、葵は、それに不快感も、恐怖も感じなかった。格闘バカではあるのだろうけれど、ものすごくさっぱりとした格闘バカなのだ。

 もちろん、バカはバカ、という言葉もあるのだが。

「……はい、私もです。将子さんとの試合、楽しみです」

「そうだね、もうちょっとで始まるようだし、お互い、楽しもうじゃないか」

 将子は、すっと右手を出した。握手を求められ、葵は笑顔で将子の手を取った。

 ギュッ

 くぐもった音で、観客の誰も気付かなかっただろう。今から試合をする二人が、スポーツマンシップにのっとり、握手をかわしている程度にしか思わなかったはずだ。

 半分はそれで正解だが、半分は違った。

 たっぷり三秒、握手をかわして、将子は満足そうにうなずいた。

「……駄目だよ、もう、我慢できそうにない」

 女性から聞く言葉としては、これ以上なく刺激的なのだろうが、その女性が、自分のふとももよりも大きな腕まわりをしている上に、その顔を、獣はこうやって笑うのだろう、と予想させるような笑みであったので、誰も喜びはしないだろう。夜中に見れば、大の男も裸足で逃げ出すだろう。

 しかし、葵は喜んでいた。その握手で、つかんできた握力の強さに。

 同じように、将子も喜んだのだ。その小さな身体から、自分に負けないほどの握力をひねり出す、その強敵に。

 それを見ていた浩之が、実はかなりはらはらしていたのだが。

「……心配かけさせないでくれよ、葵ちゃん」

 浩之には、二人がその少しの間に、お互いの実力を見せ合ったのを、理解していた。そういう部分は、他の誰よりも鋭いのだ。

 坂下は、にやりと微妙な表情で笑っているが、楽しそうなのは確かだった。力と力のぶつかり合いというものを、坂下が嫌うわけがないのだ。

「葵も雰囲気出すわねえ」

 当然気付いている綾香は、のん気にそんなことを言っている。心配するほどのものではないということをわかっていたのだろうが、葵のああいう態度に、少し闘争心をゆられたこともあり、あえてそんな態度を取っているのではないか、と浩之は当たりをつけた。

「それにしたって、葵ちゃんも隠しておいてもいいのになあ」

 葵の力は、その身体からは想像できないものがある。それは、相手を油断させるには十分な効果があるし、葵相手に油断一回は、十分葵を勝たせるだけのチャンスとなる。

 しかし、葵にそんなことを求める方がおかしいのかもしれない。

「葵は、まっすぐ行くにきまってるでしょ。実力隠したりとか、できる人間じゃないし、やる人間でもないもの」

「それもそうだな」

 浩之も、それは納得している。そういう姑息な手を使うのは、自分だから必要なことであって、葵には、葵の強さには、必要のないものなのだから。

 浩之は、試合場に目を向けた。すぐに、試合は始まるのだ。葵が、そんな姑息な手は必要ないと、証明できる時間は、もうすぐだった。

「それでは、お互い、位置について」

 審判の言葉で、二人はわかれ、それぞれの位置につく。

 しんっ、と試合場がしずまりかえった。今から始まる試合を、みんな注目しているのだ。

「レディー」

 少ししずまった試合場の中に、審判の声が響く。

 次の言葉を言い終わる直後か直前に、大きな歓声が、体育館の中をゆらした。

「……ファイトッ!!」

 

続く

 

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