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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(82)

 

 試合は始まったばかり、それを意識した瞬間に、葵の身体は脱力していた。

 そう、まだ試合は始まったばかりなのだ。

 さっきの蹴りを防がれ、さらに自分の身体がはじかれたのを経験して、肩に力が入っているのを葵は自覚したのだ。

 距離は十分に取ってある。ここで緊張する意味はない。

 驚くほど、簡単に身体の力を抜くことができた。わかっていても、そう簡単にできないからこそ、精神操作というのは難しいのだが、それが今は簡単に行える。

 二ヶ月前には、葵自身でさえ、想像もできない姿だった。

 何をしてくるかわからない強敵を目の前に、肩を力を抜くなど、浩之を知る前の葵には、夢のまた夢の姿だった。

 どれだけハイキックを練習したところで、それを有効に使わなければ、勝てるわけがない。

 それを考えると、昔の自分がいかに無謀であったかを思い知らせる。肩の力を抜くこともできないくせに、エクストリームを、綾香を目指していたのだ。

 どうやったら立てるかわからない赤ん坊が、走ることを夢見るようなものだった。土台、無理な話だったのだ。

 でも、今は違う。少なくとも、昔が無理だったということがわかる。

 一度肩の力を抜いた状態から、葵はすっと腕を上げた。

 腕を引き気味に、攻撃を狙う構えだ。

 短期決戦を狙っているわけではない。この構えも、フェイントの一つだ。

 さっきの攻防で、短期決戦で倒せるような相手でないことは、重々理解できた。それどころか、ほとんど決定的に近かった隙を、ガードされたのだ。長期決戦にしたところで、勝てない可能性さえある。

 こういう相手を倒すには、それでも、やはりフェイントしかないのだ。

 がむしゃらに手を出して勝てるのなら、葵だってそうしたろう。しかし、ガードされれば蹴りでも止められるのだ。それならば、相手のガードできない状況に持っていき、ガードのない部分に自分の打撃を叩き込むしかない。

 幸い、将子はまだ総合格闘技に慣れていないようだった。一試合目には、相手のフェイントにひっかかって、突っ込んでいる。

 そこに手を出すのは恐いが、待ち構えている将子を相手にするよりは、いくらかましだった。

 まずは、おびきよせる。

 そのために、攻撃の構えにしているのだ。もし、腕でもとられようものなら、それで試合がおわりかねない、そういう不安もある。

 動きの全ては、足の動きにまかせる。それで誘い、逃げ切る。

 何のことはない、単なるフェイントなのだが、それこそが打撃系で勝ち上がるためにもっとも必要とされるものだ。

 まっすぐつっこむ、などという無謀なことはする気はなかった。軽く左右に身体を流しながら、間合いを取ったまま、将子のまわりをまわる。

 さすがに、脚で動くよりも、その場で止まって方向転換した方が速いに決まっているのだが、それでも、少しは安定感が消えるものだ。

 しかも、仕切りの構えは、もとより構えた後も方向を動かすことを考えてやられているものではない。反対に、葵の動きは、最初から動きの速い者相手の動きだ。それだけでも、少し差ができる。

 将子は、それでも器用に葵の動きに合わせて方向を変える。やはり、この程度では、つけいる隙などなさそうではあった。

 もとより、これのみでどうにかなるとは思っていない。しかし、重要な布石だった。

 ここから、一瞬でも横にまわれた時点で、飛び込む。

 所詮は一瞬、相手を倒すには十分な時間ではないが、相手をだますには十分な時間だった。将子は、その一瞬でつっこんでくるはずだ。

 そして、やはりその一瞬の差で、葵は横にかわすつもりでいた。手を出せるか出せないかは、将子の動きに合わせるつもりであった。最初から狙うには危険すぎるが、チャンスを何度もつぶすのはあまり得策ではない、結果、取るつもりの中途半端と言われればその通りの戦略だが、葵はそう動くと決め。

 右にまわり、将子が合わせるのに合わせて、さらに右に動いた。

 さっきまでは左右交互に動いていたので、将子の動きが、少しだけぎこちくなる。しかし、今の葵には、十分な隙だった。

 ここから……

 クンッと葵の小さな身体が動く。

 飛び込むっ!!

 まるで地面と水平に飛ぶ鳥のように、葵の身体が瞬間に将子に向かっていた。

 撒き餌は十分だった、葵は、素早く横に避ける。

 ……

 葵の避けた場所を、将子のぶちかましが通り過ぎるはずであった。しかし、葵の予想に反して、将子はつっこんでこなかった。

 そして、それは葵にとって、かなりの誤算だった。すでに、脚は逃げるだけの余裕を残していない。さらに、将子の身体が、勢いをつけて振り向く。葵の背中に、悪寒が走る。

 危ないっ!!

 葵は、とっさに脚をうかして、両腕でガードしていた。

 ズカンッ!!

 将子の大振りの、張り手というよりも腕ごとたたきつけるような打撃で、葵の小さな身体が大きく横にはじかれる。

 ワッ!!

 観客が、その打撃の威力に一斉に沸くが、将子は嬉しそうに、そして憎々しげにとばされたものの、ちゃんと着地し、すでに距離を取った葵を見ている。

 決め切れなかったのを悔やんでいるのだろう。それだけ相手が強いので、嬉しそうにしたのだが、それと同じ理由で、憎々しく思ったのだろう。

 しかし、葵だってかなり心臓に悪かったのだ。

 のって、来なかった。

 一試合目は、けっこう簡単に相手のフェイントにひっかかって前に出ていたはずだ。それが、あっさりとひっかからなくなるということは……

 それも、葵のフェイントは、自分で考えるだけでも、完璧だった。あれになら、反応できる人間はまずひっかかるだろう、と思えた。

 読まれることはありうる話ではあるが、読んだだけでは、そうそうフェイントにひっかからないということはできない。身体が無意識に動いてしまうレベルまで来ている人間相手ならなおさらだ。

 しかし、将子は、何故か今までそんなフェイントを何度も経験したことがあると言わんばかりに、フェイントに反応せずに、冷静に攻撃してきた。脚を浮かせてにげなければ、かなり危険な打撃だった。

 それらから、求められる答えは一つ。

 葵は、自分の考えた一つの考えに、それこそ冷や汗をかいた。

 一試合で……成長している?

 それは、考えるだけでも、恐ろしい話であった。

 

続く

 

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