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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(83)

 

 期待なのか、それとも、浮かれる自分をいましめるためか、葵は首をふって意識を整えた。幸い、距離があることもあって、将子は距離を詰めてこない。

 勝負は水物、どんな的確な攻撃であろうとも、一回ならば、何とかできてしまうことがある。まだそう決め付けるのは早計だ。

 もっとも、その一回、をつなげて勝負に勝つ恐ろしい人間もいるにはいるが……

 さっき反撃されたのは、あまりにも深く踏み込んだからだ。勝負を決めるつもりであったので、当然な話だが、確かに、それでは避けられた後はリスクが大きい。

 まだ、私は将子さんの実力を、全部つかんだわけではないのに。

 自分が気付かないうちに、あせっていたのでは、と葵は思った。技は冴えていようとも、無鉄砲な戦略の通じる相手ではない。

 ゆっくり、確実に。

 葵は、三度それを頭に叩き込んだ。一か八かの戦いをするには恐い相手だ。それでしか勝機がないのならまだしも、葵にだって、自分の実力に自負がある。

 ゆっくり戦えば……。

 葵は、その考えがのどもとにひっかかり、飲み込めないでいた。

 ゆっくり戦えば、勝てる相手?

 そうとは、思えなかった。将子の実力には、まだ深いものがあるように葵には感じていた。一回戦目は手加減をしていたのか、それとも、本当に一回で強くなってきたのか、そこまではわからなかったが、それでも、葵の改心のフェイントを受けきった上に、反撃してきたのは確かなのだ。

 ゆっくりやろうと、一気にやろうと、簡単に勝たせてもらえる相手では、ない。

 しかし、だからこそか、葵は慎重に行くことにした。

 手は出す。しかし、深追いはしない。もちろん、そんな小手先の動きでは、将子の身体を倒すことは無理だろう。打たれ強さは、あの身体を見てわからない方がおかしい。

 葵は、目の前の相手に集中して、手を前に突き出した。

 守り?

 観ている者で、格闘技を知っている者ならば、皆そう思っただろう。

 打撃を狙うのなら、腕はひいておかなければならない。手を前に突き出すということは、組み技か、守りに入ったということだ。

 しかし、葵はそこからフットワークを使い出す。

 距離は遠い。仕切りをしている将子には、その射程圏内に入らない限り、攻撃される心配はほとんどないにも関わらず、その攻撃範囲外で、葵は動きだした。

 将子さんが、一回戦では実力を隠していたのだとしても。

 ヒュンッと、葵の突き出された左手が、しなって空を切った。

 私は、私の、全てを出す!!

 タンッ

 軽やかに、葵の身体が横から縦の動きに変わる。それと、将子の仕切りのためにマットにつかれた拳がダンッと音を立てるのはほぼ同時だった。

 ボフッ!!

 肉の塊となった将子の身体が、ありえない速度で空を、いや、空間を突き抜けた。

 その風に、まるで巻き込まれた木の葉のように、葵の身体が将子の斜め後ろに舞っていた。

 タンッタッ

 まるで、というより、そのまま、舞を舞うかのごとく、葵の身体は空中を飛び、軽いステップで着地していた。

 が、距離が遠すぎて、将子の後ろは狙えそうになかった。葵がステップを踏んで、着地するころには、すでに将子は振り向きざまだったのだ。

 将子のぶちかましが、葵に直撃したかのように見えた観客は、一瞬沸き、そして、それを葵が軽やかに避けたのを確認して、また沸いた。

 しかし、正直なところ、葵はかなり心臓がドキドキしていた。

 あ、危なかった。

 葵の予想では、自分の攻撃は、ダメージはともかく、当てることはできるとふんでいた。しかし、結果は辛くも避けることに成功しただけであった。

 相撲では、腕を前に突き出すなどという「守り」はない。突き出される腕は、あくまで攻撃のものだ。

 だから、葵は、左手の先だけで、フェイントをかけた。素早い左のひじから先だけの動きで、葵の姿を消したのだ。おそらく、将子からは、葵の身体は左腕の動きに隠れて、ほとんど見えなかったはずだ。

 だが、フェイントではない動きに、将子が反応するまではわかっていた。事実、将子は、最初葵から完全に外れる方向に突進していた。しかし、将子は、そこから、葵の方向にぶちかましの方向を修正したのだ。

 ぎりぎり、葵の直撃という位置ではなかったので、葵は何とか避けることに成功したが、はじかれたのは左腕だけなのに、身体全体がきりもみするような格好になってしまった。

 綾香の華麗なダンスのステップのような捌きをみていなければ、さっきのも無様にこけていたかも知れない。そうなれば、後は起き上がる前に、将子につかまり、終わっていただろう。

 ……綾香さん、感謝します。

 今は葵のためを思ってとは言え、一言も助言してくれない綾香ではあるが、その存在が、葵には十分な力を与えてくれていることを、葵は再度確認できた。

 そして、将子の実力も、再度確認できた。

 今までの二度の攻防で、自分が倒れなかった方が奇跡なのかもしれないと、今思える。一回戦は、それは威力は高かったが、将子の異種格闘技戦における戦い方はまだまだなっていないものだ、と思っていた。

 しかし、それも単なる自分の思い違いだというのが、よくわかった。

 これで、もし将子が一回戦で経験したことのみでここまでになっていたとすれば、葵には勝ち目がないだろう。

 人は成長はするが、そんなに急激にはできないものだ。それができる相手、しかも、今実力で均衡している相手に、勝てるわけがない。

 だが、これで葵は十分わかった。

 将子は、一回戦目は、その実力を隠していたのだ。そうでなければ、説明がつかない。自分の左腕のフェイントを、普通に相撲をやっていて反応できる方がおかしい。

 将子は、葵の顔の緊張を読み取ってか、残念そうな、見ようによっては嬉しそうな顔をした。

 人の良い笑みをしながら、将子はしたたかに狙っていたのだ。自分が、将子の実力を読み間違えることを。

 卑怯、とは、まったく思わなかった。むしろ、尊敬さえできる。

 試合が始まる前から、戦いは始まっているのだ。試合外に不意打ちをかけるようなことは許されなくとも、相手に自分の実力を読み間違えさせることなど、基本中の基本であり、しかし、それだけになかなか難しい話なのだ。

 一回戦を、実力を隠す恐さというものを、葵は痛いほどわかる。

 実力差があれば、なるほど、できないことはないだろう。

 が、だ。

 実力を隠したまま、こんな相手のことがわからない戦いを自分に強いるのが、どれほど危険なことか、わからないわけではないだろう。

 勝負は、水物。そんな余裕を見せていれば、いつ足元をすくわれるかわからない。いや、すくわれないとしても、誰もそんな危険なことはしたくないはずだ。

 隠し技を最後まで残せる人間など、いないのだ。十分に強いからこそ、隠し技であるのなら、それをさっさと使った方が、楽に決まっている。

 それさえ我慢して、将子は自分との戦いに望んだ。

 葵は、嬉しくなった。素直に、嬉しかった。

 こんな強い人に、そこまで認めてもらえるのが、葵にはとてもうれしかった。今まで、試合では結果を出してこれなかった葵には、特定の人間以外、実力があるとなど、誰も思ってくれなかったのだ。

 それが、綾香の挑発によるものだとしても、ただそう思ってもらえるだけで嬉しくて、葵は思う。

 それに、応えたい、と。

 

続く

 

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